第73話 ホワイトナイト、レッドクイーン(4)

 白枝診療所にやってきて、シャワーを浴びる。……正直真冬の川に飛び込み軽く死ぬかと思ったが、そんなことも言ってられない。


「すいません、お風呂使いました」

「いやいや、構わないよォ、それよりすずが、迷惑をかけたみたいだねェ」

「……」


 ――もうオレの目標もなくなった。


「で?どうしてなんですか?」

「うん?何がだい?」

「この診療所、なんでなくなるんですか?」

「……」

 少し遠い目をした後……


「何の話かな?」

 と、にこりと笑みを浮かべる。


「とぼけるのはなしですよ。そもそも俺が白枝と一緒にここに来た時点で、何か知ってるかもしれないとは思わないんですか?」

「いやァ灰島君、隅に置けないとは思ってたけど、さすがだねェ。でもこれは俺たち家族の問題。さすがに灰島君にすずがお世話になってると言っても、話すわけには行かないよォ」

「でも、それであいつがどんだけ悩んでると」

「分かってから言ってるのさ」

 出さんは、少し暗めの声で言った。


「……俺だって、あいつの夢を、簡単に壊したくはなかった。あいつの希望も、簡単に壊したくはなかった。でもね灰島君。これが現実なのさ」

「そうやって、諦めるんですか?」

「……」

「そうやって諦めるんですか?現実って言葉だけで、白枝の心のよりどころを壊して」

 突然出さんが机を叩き、立ち上がる。その音に俺は、燃料が切れたかのように動きを止める。


「灰島君でも怒るぞ。それ以上知った口を聞くのは!」

 そして今まで見たことがないような鋭い眼光を俺の方に向ける。その釘に、俺は動くことが出来ない。


「俺が一体どれだけ悩んだと思っているんだ!それを君の杓子定規でわかったように話を進めようとするんじゃない!」

「……」

 そう、言ってから気付く。そしてしばらく無言になった後……


「……参ったな、はめられた」

 と、右手で頭を抱えながら言った。


「やはり本当なんですね」

「……あァ。しかし灰島君も、案外性格が悪いなァ。そんなんだとモテないよォ?」

「自覚してるんでほっといてください……」

 軽く心臓を抉られたところで。


「それにしても、どうして?すずは何も言ってないはずだよォ?」

「青柳……クラスメイトの子から聞いたんです」


 ・

 ・

 ・

「すずっち……」

 1時間前の図書室。白枝が去り、茫然とする俺たち。


「白枝先輩……どうして……」

「大丈夫ですか?赤城さん」

「う、うん。手はひねってないし、大丈夫だよ」

 そんな中、青柳が難しそうな顔をしている。……こんな顔をするのは珍しい。


「どうした?青柳」

「……みんな、聞いて欲しいの」


───────────────────────


「おはよう、白枝さん」

 校門の前で白枝さんに会った私は、挨拶を交わそうとする。だが、白枝さんは……


「……」

 なぜか虚空を眺め、動かない。


「白枝さん……?」

「……!?……あ、青柳、か……」

 明らかに様子がおかしいが、こちらも授業がある。とりあえずチョコムースを受けとる。


「それ、渡すなら早めにな。一応冷やしておいたけど、生クリーム使ってるから傷みやすいぞ」

「……」

「どうした?」

「……」


 ――例えば、青柳さんに妹がいたとする。その妹はもうすぐ、自分の目標だった夢をかなえられる。……でも、その妹が風邪をひいてしまった。大事な夢に続く大舞台を前に風邪をひいてしまったことで、妹はその夢に繋がる梯子を外された。……この場合、なんて言って励ませばいいと思う?


 出さんのあの言葉……もしかして。


「……白枝さん」

「じゃ、オレは先に渡してくるから」

「えっ白枝さん!」

 その言葉を最後に、白枝さんは走り去っていった。


───────────────────────


「つまり、朝言ってたことと矛盾してるってことか」

「……白枝さん。もしかして、何かあったのかも。家の事で」

 するといの一番に駆け出そうとしているのは赤城。


「あてもなくさまよう気かよ!まだ帰ってないかも知れないんだぞ!」

「でも!すずっちを放っておけないよ!」

「まずは落ち着け!何の手がかりもなく白枝を探しに行ってもしょうがないだろ!?」

「むうう……!」

 歯ぎしりをする。だが、赤城の気持ちもわかる。白枝と赤城は親友同士なのだから。


「でも、このまま放置しておくのも白枝さんの精神的に不安です。ここは手分けして探しましょう」

「そうだな。俺はあいつの家の周りを探してみる」

 ・

 ・

 ・


「……君たちの情報網の速さには驚くねェ。……そっか、じゃあもう隠したところで無駄だな」


 ……そして、出さんはゆっくりと話し始めた。

 白枝診療所を、今月いっぱいで閉院することが決まった。ということ。

 その原因は、看護師が足りないということ。

 そして……白枝が、現実を受け入れられなくなってしまっている。ということ。


「あいつにとってこの診療所はすべてだったんだ。そのすべてをあっさり奪ってしまう。俺たちは……ダメな大人だな」

「出さんのせいではないでしょう。でも……」

 言葉が出かかって、そして消えていく。

 確かにこの白枝診療所から歩いて30分ほどで、あきら先生の入院している病院に着いてしまう。車や自転車があるなら、なおさらそちらに行くだろう。


「……白枝は?」

「部屋にいるよ。……俺は、今日も診療所しないといけないから、また後で」

 それだけを言うと、出さんは居住スペースを出た。


「……」

 俺に、任せているんだろうか。




「……!?」

 白枝の部屋に入ると、白枝は写真立てを見ていた。


「……な、なんだよ。勝手に入ってくんな」

「その割には入口開けっぱだったじゃねぇか。不用心だぞ?」

 俺が言葉を発すると、白枝は写真立てを持ったままベッドの上に座り込む。


「……前に……お袋が話しただろ?親父の事」

「あぁ。それに、親父さんがお前に言っていたこともな」

「その言葉と……お前もだよ、奏多」

 写真立てに目を落とし続ける白枝。その顔からは、得も言われぬ悲愴感が漂っていた。


「親父は、ずっと自分の事で苦労をかけてるって、オレたちに気を遣ってたんだよ。……自分が一番、辛かっただろうに。苦しかっただろうに」

「……」

「でも、あの時言った{医者になりたい}って夢は、今でもずっと変わらないし、これからも変わらない」


「そう、思ってたんだ」

 その言葉に、俺はゆっくりと目を閉じた。


「……見せたかったな……{パパ}に……」

「{パパ}?」

 その言葉を言った途端に、ポタ、ポタ、と、何かが落ちる音がする。


「……」

 白枝が何をしているのか、すぐに分かった。だから俺は、あえて白枝の方を向かなかった。


「うぅ……うぅ……!」

 そのまま折りたたまれたように、ベッドに座りながらうずくまる白枝。


「もうやだよ……オレ……!」

 そして堰を切ったかのように、白枝から言葉があふれ出す。


「夢も希望も何もかも失って、それであたったところでどうしようもない梓にまであたってしまって……何やってんだよオレ……!」

「……」

「もう、オレには何もない……何も残らない……だからどうすりゃいいのかわからねぇよ……!勉強する意味もねぇし、友達も裏切っちまった……一体オレ、どうすりゃいいんだよ……!」

 顔がくしゃくしゃになる。そして湧き水のような量の涙は、やがて川のように多くその頬を伝っていく。


「……」

 俺も、どう言葉をかければいいかわからなかった。

 黒嶺のように、加害者がいるわけでもない。まして、被害者もいるわけがない。でも、このまま白枝が絶望していく様は……見たくはない。

 そっと白枝の手をとる。


「あっ……」

「……お前がどれだけ卑下しようが、正直どうでもいい。だけど……お前が思ってる以上に」


 ――すずっちが思ってる以上に、


「「お前(すずっち)を心配してる人って多いんだよ」」

 白枝には、その時何が見えていたんだろうか。しかし俺がそう言った瞬間、白枝は……


「うわああああああ!!」

 俺の肩に顔を伏せて、大声で泣きだした。

 ……そうしている間にも、俺は白枝の手から、自分の手を離さなかった。




 5分ほど経った。


「……ほら、水持ってきたぞ」

「ありがとう」

 ようやく落ち着いた様子の白枝に、俺は水を手渡した。


「悪いな。オレなんかのために、時間を使わせて。学年末テストも近いのに」

「問題ないさ。お前の方がよほど心配だし」

「……でも、もういいよ。奏多」

 それを言うと、あきらめたかのようにふうっと息をつく。


「梓にも伝えといてくれ。オレの事はもう構わなくていいからって」

「お前、それで」

「いいんだよ」

 白枝はそれを言うと、目を閉じながら続ける。


「あいつのしてきたことを全部ひっくり返すような真似をしたんだ。もはやあいつは許さないだろうし、許してもらおうとも思わない」

 それは、すっぱりと諦めるような口調だった。


「お前はまた、そうやって」

「諦めたいわけないだろうが!」

「!?」

「諦めたいわけないだろ……?梓も、オレの夢も……でも、梓はオレが蒔いたタネだし、オレの夢はもうどうにもならねぇだろ……?だから諦めるしかないだろうが……」

 『梓は自分の蒔いたタネ』か。


 ――でも!すずっちを放っておけないよ!


 赤城のその言葉と、白枝の言葉の間で、俺の精神は浮き沈みしていた。

 時計の針を目にすると、すでに午後6時になっていた。

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