第49話 プラシーボ効果

 2学期の期末テストまで、あと3日。


「……」

 俺は自作した小テストの結果を見てみる。


 青柳:100点 赤城:64点 緑川;70点 黒嶺:92点


 ……そして、白枝:56点。


「……」「……」

 図書室で向かい合う俺と白枝。


「悪い……いいわけするんじゃねぇけど、最近風邪ひく人たちが多くて……診療所の手伝いよくしてるから、勉強する暇あんまりねえんだ……」

「……いや、いいわけさせたいわけじゃない。俺の力不足なのも、大体わかってるからな」

 しかし、このままでは出会った時とまるで変わらない。

 このテストでもし、彼女の点数がいまいち変わらなかったら、彼女は『医者になる』と言う夢を諦めてしまうかもしれない。


「……なぁ、白枝」

「え?」

「この後、暇か?」




 白枝診療所へやってくる。


「ただいま」

 白枝の声。と言っても今は夕方の診察の時だ。誰も出迎えては……


「あら!すずちゃんお帰り~!今日も灰島君を家に連れ込んできたのね!?」

「言い方」

 出迎えたのは、すずと同じように白い髪の女の人。


「やめろよマ……お袋。だから灰島はそう言う奴じゃないって」

 マ?


「はいはい分かってる分かってる」

「ぜってーわかってねぇだろ」

「とりあえず今、出が診察してるから、手伝ってあげて?灰島君はあたしが案内しておくから」

「わかった」

 すずは制服を着替ようと、家の奥へと入っていった。


「灰島君。悪いわね~。またすずに付き添ってもらってるでしょ?」

「いえ、これは俺が好きでやってるんで。お邪魔します」

「あたしはすずの母、白枝 真美(しろえだ まみ)。灰島君。とりあえず飲み物入れてくるから、すずの部屋で待ってて?」

「ありがとうございます。でもお気遣いなく」




 白枝の部屋に上がると、そこは綺麗に片付けられていた。

 あちらこちらにスポーツのグッズが置かれており、デスクトップ用のパソコンには『さわるな』と書かれた貼り紙が貼ってある。

 これを使って動画を編集したり、生配信したりしてるんだな。きっと。スタンド型のマイクもあるし。


「……」

 なんだか女の子の部屋に1人でいるのは落ち着かない……

 と、その時……


「?」

 伏せられた写真立てを見つけた。俺は興味本位でそれを見てみる。……すまん、白枝。


「これって……」

 そこに映っていたのは、出さんと真美さんと白枝。そして、車いすに乗った男の人だった。

 この男の人は俺にはわからない。だが……なんとなく白枝にとって大切な人だという事がわかる。

 理由?それは簡単だ。白枝が、今まで見たことがないような笑みを浮かべているから。

 まるでくすまない屈託のない笑顔……白枝から見たら、想像もつかないな。


「……いい笑顔でしょう?」

「!?」

 驚きのあまり写真立てを落としそうになる俺。何とか持ち直し、元通り直す。


「……ど、どこから……見てました……?」

「いや、さっき来たばっかりよ」

 温かいほうじ茶を机の上に置く。最近はめっきり冷えてきたので、温かい飲み物はありがたい。


「あたしと出で代わりばんこでこの診療所を切り盛りしてんだけどね。本当はパパもいたのよ」

「え?お父さんは……?」

「……亡くなったのよ。この写真を撮った、2日後にね」

 察して頭を下げようとする俺を止める真美さん。さらに話を続けてくれた。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 それから1時間後……


「悪いな灰島……待たせちまって」

「いや、大丈夫だ。お前こそお疲れ様。真美さんから聞いたぞ。診療所の手伝いしてるって」

「……おしゃべりママめ」

 そしてノートを出す。


「具体的にどこがわからないんだ?」

「んー、全部。と、言うのは贅沢すぎっから、英語だな」

 確かにこの間の中間テストの点数も、英語はギリギリだった。


「あぁ、わかった」

 次の期末テストの範囲を、基本的なところからみっちり教え込む。

 多少時間はかかるが、近道してわからない部分を余計増やすよりはよほどいい。


「……」

 黙々と問題に向き合う白枝。疲れているのに、よくやってくれる。


「マ……お袋から聞いたんだろ?」

「え?」

 おもむろに口を開いた白枝に、俺はびくりと肩を怒らせる。


「親父のこと。……お袋が話してた」

 …………


 ――大丈夫よ灰島君!すずには絶対言わないから!


 なんだこの騙されてないのに騙された気分。


「……正直に言ってくれ」

「あ、あぁ。聞いたよ。お前の親父さんの事」


───────────────────────


「パパは難病を患っててね。でもこの診療所を離れようとはしなかった。本当は電車に乗れば大学病院だってあるのに。気が付けば手が付けられないほどに病状は進行していてね」

「治そうとは、考えなかったんですか?」

 首を横に振る真美さん。


「すず、パパっ子なのよ。だからパパは、すずに心配をかけたくなかったんじゃないかしら。すずはパパが亡くなった時に、本当ものすごい涙を流してね……それで彼女は決意したの。もう二度とパパと同じような人……すずと同じような人を作らないように、あらゆる病気を治せるような医者になるって」

 それで医者になりたい。なんて言ってたのか。


「ここを継ぐってことですか」

「……みたいね。でも……」

「でも?」

 真美さんに連れられ診療所に降りてくる。そこには……


「!?」

 かなり年齢を重ねた女の人が3人。その人に医療用具を手渡す白枝。

 白枝はまだ医療行為そのものが出来ないので、こう言った手伝いをしている。テキパキと動き回る。


「……ここも、いつまで続けられるかしら……」

「若い人は、出さんくらいで?」

「えぇ。みんな大学病院や、もっと大きな病院に仕事先を変えているわ。都会の真ん中のこんな診療所なんて、もう路傍の石に過ぎないかも知れないわね」

 真美さんは、遠い目をする。その真美さんの視線に気付いてか気付かずか、白枝は所狭しと動き回っていた。


───────────────────────


「兄貴が診療所を継いでるから、それでいいかも知れないのに……高い理想掲げて、テストで散々な点とって……バカみたいだろ?オレ」

「……」

「悪い。くだらねぇ話だったな」

 再びノートに目を落とそうとする白枝に、俺は声をかけた。


「{プラシーボ効果}って知ってるか?」

「……!?」

「例えばお前が風邪をひいて……」

「ここに薬を出されたとする」

 『え?』と目を丸くする俺。気にせず白枝は続ける。


「本当は薬でも何でもないもの。でもそれを薬だと信じて飲み続けたら、体調が瞬く間によくなる。{偽薬効果}ともいう奴だな」

「あ、あぁ……なんで知ってるんだ?」

「……親父が……言ってたからさ」

 遠い目。カチ、カチと、時計が動く音しか聞こえない。


「オレが医者になりたい。そう言ったらお袋も兄貴も、バカにしたような笑いをしてた。でも、親父だけはオレの言う事を後押ししてくれた。その時に教えてもらったんだよ。{出来ると思い続ければ、出来ないことはない}って」

「……」


 ――なんでもかんでも、やれば出来る!だよ!


 目の前に、高校1年生の時の担任の先生が見えた。

 そう言えば……そう言われたこともあったな。


「……でも、こんなんじゃ」

「なんで諦める?」

「え?」

 反射的に出た言葉だった。だが、白枝は俺に目線を送ってくる。


「本当にお前の父親の事を忘れられないなら、なんで諦める?なんで自分を卑下しようとする?」

「……そ、それは……」

「お前はお前のお父さんの考えを、裏切るつもりなのか?」

 再びうつむく白枝。


「諦めるのは簡単。あきらめないでやった方がよほど辛い。……でも、父親の言ったことを無視して、それで自分を卑下し続けて、それは本当にいい事だと思うか?」

「……!」

 ……あれ?俺、めっちゃ説教してないか……?ハッとした俺は、何とか我に返る。


「な、なんてな。悪い。忘れてくれ。俺、ついこんな風に言っちまうんだ。説教臭かったよな」

「……」


 ――諦めるのは簡単だ。でも、あきらめないでやった方がきっと……お前のためになるぞ。すず。


「……パパ……!?」

「え?」

 急に口が動いて、その言葉を紡ぎ出す。そしてすぐに口をつぐんだ。


「あ、い、いや、なんでも、なんでも……ねぇ」

 恥ずかしさからか、目を逸らす白枝の顔は鮮やかな赤に染まっていた。


「なんだか……嬉しいな。そんなこと言われたこと……今まであんまりなかったから」

「……そうか。じゃ、もう少しだけ続けるか」

「あぁ」




 午後8時……


「すいません。わざわざ夕食までごちそうになってしまって」

 出さんの運転する車の助手席に乗りながら、適当に話をする。


「あァ、全然かまわないよォ。灰島君がいる方が、すずも嬉しそうだしねェ」

 すでにとっぷりと黒い夜の闇に街が覆われ、星空のような街の明かりが周囲に浮かぶ。


「で?あいつのこと、少しはわかったかい?」

「えぇ。まぁ」

「あいつは素直じゃないけど、根はいい奴だからねェ。これからも仲良くしてくれると、俺としても助かるよォ」


 ――パパ……!?


「……」

「何か、秘密を掴んだ顔をしているねェ灰島君」

「え?いや、なんでもないです。なんでもないですよ!」

 照れ隠しのように俺は手を動かした。それを横目で見た出さんは、笑みを浮かべた。


───────────────────────


「……」

 灰島が帰った後、オレは写真立てを手に取る。


 ――諦めるのは簡単。あきらめないでやった方がよほど辛い。

 ――でも、父親の言ったことを無視して、それで自分を卑下し続けて、それは本当にいい事だと思うか?


「……プラシーボ効果……か」

 そしてもう一度写真立てを戻し、ノートを見た。ノートには、灰島の添削した文字が無数に書いてある。


 ……これだけ時間を割いてくれたあいつのためにも、オレは期待に応えないといけない。オレはもう少しだけがんばろうと、机に向かった。




問35.『昔から今に至るまでで、比べるものがないほどすぐれていること』と言う意味の四字熟語を答えなさい。

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