第111話 隠しヒロインは隠れていないから意味がある

「……二人共、何か、感じる?」




 俺はマフィンを盗み食いする存在から目を離さないまま問う。




 外見は少女だ。年齢は、多分、中学生くらい。




 服は緑色の病院服を着ている。上下が一枚につながったガウンタイプのものだ。




「――いえ、何も、感じませんでしたー。悪意はもちろん、善意すらもー」




 たまちゃんが声ひそめて答えた。




「アタシも接近に全く気が付かなかったわぁ。空気がそこにあることを常に警戒していたらぁ、息すらできなくなるものぉ」




 アイちゃんも声量を落として言う。




「食欲は――あるみたいだけど」




 俺は座ったまま、ゆっくりと後ずさって、少女と距離を取る。




 少女はただ黙々とマフィンを食べている。




 口元には薄ら笑いが浮かんでいた。




 いや、薄ら笑いという表現は穿うがった見方か?




 たまちゃんの言う通り、その表情には善も悪もなく、ただ『おいしい物を食べたら人は自然と笑顔になる』という反射的な表情筋の動きを体現してるにすぎないようにも見える。




(この顔、どこかで、見た気がする。どこだ。思い出せ)




 容姿は間違いなく整っている。つまりはヒロイン顔であり、くもソラの関係者であることは間違いなさそうだ。




 その容貌を、何と表現すればいいのだろう。ぷひ子の天然さと、みかちゃんの清楚さを二で割ったような、何とも言えない顔だ。ただし仕草は野生じみていて、男っぽい翼と似ているとも言えるのか?




「……理性をとっぱらえば、最後に残るのは本能ということでしょうかー。強いて申し上げるならー、彼女は赤子に近い存在なのかもしれません」




 たまちゃんは音も立てずに大幣を取り出す。




 『もし呪いが発動したら対処します』ということだろう。




「アイ」




 俺はアイに目くばせする。




「……倒すのは簡単よぉ。でも嫌な予感がするわぁ。敵意すら向けるのをはばかられる感じぃ?」




「どういうことだ?」




「肥溜めに手を突っ込むのもぉ、燃えるゴミの袋を破るのも簡単だけどぉ? あらかじめわかってるならぁ、やりたくないわよねぇ?」




「……なるほど」




 俺はアイと言葉を交わしながらも、必死に記憶を漁っていた。




 くもソラの関係者であることは間違いない。




 しかし、そもそもパっと思い出せないということは本編に出てきたキャラクターではない。




 だとすれば、関連する何か。同人誌? グッズ? いや、そんなのが発売されるほどの人気じゃないしな。他は、説明書とかか? そういやギャルゲーはともかくエロゲーの箱ってやたらかさばるんだよな。たくさん買ってると保管場所に困るし、限定版を買ってマグカップやら時計やらの特典がついてきた日にはそれだけでかなりのスペースとる――ん? 待てよ。特典?




(そうか! くもソラファンディスクについてきた特典の資料集だ。キャラクター設定資料、ぷひ子のコーナーの左端!)




 パズルの最後のピースをはめた時のような爽快感。完全に思い出した。




 それに、名前はない。色すらなく、ただ、ラフの線画として描かれたヒロイン未満の存在。




(確か、横にチラっとイラストレーターがコメントがついてたっけ。ええっと、それによると確か――)




『美汐、初期案。私もライターさんもお気に入りだったのですが、色々あってボツに(>_<)。当初の彼女は、本編の美汐はもちろん、他の色んなヒロインさんが混じったような設定でした。残念ながら採用されることのなかった彼女ですが、もしかしたら、今も誰も知らないどこかで祐樹くんに救われるのを待っている――のかも(笑)』




(つまり、こいつはプロトタイプぷひ子ってこと? いやいやいやいや。まさか、イラストレーターがノリで書いたコメントによって定義づけられたから出てきたの? さすがにそれはズルくないっすか?)




 隠しヒロインとすらいえない本編には登場しない設定上の幻想生物。そんなもの存在が許されるなら、俺の人生計画は根本から揺らいでしまう。




(いや、でも、俺も、くもソラの動向を完璧に追えていた訳ではないしなあ)




 俺は青春時代をギャルゲーに費やしたが、社会人になってからは忙しくて、ゲームをプレイする時間を確保できない日々を過ごしていた。当然、その期間はギャルゲー全般に関する情報収集も不十分である。




(うーん、確か、メーカーは俺が就職した前後の時期に倒産してたはず。どこかが権利を買い取った? いや、もしかしたら、もっと小規模に、同人やクラファンで一部の人間にだけ撒まかれたシナリオがあっても不思議じゃないか……。リバイバルブームだとかもあったし)




 くもソラの世界観を築きあげたのは、カルト的なファンがいるライターである。実は俺の知らない所で、限定的な形で新規エピソードが追加されていた可能性は十分にありそうだ。




(今となってはもう分からないことをあれこれ推測しても始まらないか。大事なのは今後の対応だ)




「それでぇ? どうするのぉ。マスターぁ?」




「……彼女が邪悪な存在でないというのなら、祓う必要もないし、傷つける権利もない。退こう」




 アイちゃんの問いに、俺はそう結論付ける。セーブ&ロードが存在しないこの世界で、プロトタイプぷひ子――略してプロぷひちゃんを初見攻略する勇気は俺にはない。




 それっぽいセリフを言ってるが、要は三十六計逃げるに如かずってことだ。




「賢明な判断だと思いますー。荷物は――」




「全て置いていこう。デザートは彼女の領域に土足で踏み込んだお詫びということで」




 俺たちはまるで熊にでも遭遇した時のように、プロぷひちゃんと相対したまま後ずさる。




 一方、プロぷひちゃんは今やマフィンを全て食べ終わっていた。ランチボックスを振り回し、その辺に投げ捨てると、マフィンの欠片がついた指をぺろぺろ舐め始める。




(おい! クロウサ、こっちこいや)




 誰よりも早く、文字通り脱兎のごとく逃げ出して、藪からこちらの様子を窺っていたクロウサに手招きする。




「ぴょ、ぴょ、ぴょ」




 クロウサが嫌々なオーラを漂わせながらも、俺の所へぴょんぴょん跳ねてくる。




(よし。後はふもとまで跳んで帰るだけーー)




 俺は気を緩め、ポケットの財布に手を伸ばし、掴んだその刹那。




 視界の端のプロぷひちゃんは、キョロキョロと辺りを見回し、俺を見てニコっと笑った。

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