第33話 比翼 中編

 間延びした時間の中で、身動き一つとれずシズクは自身に向かって放たれた必殺の槍が己を貫く瞬間をただ見つめていた。

 絡みついた赤目赤翅によって、自由を奪われたのは一瞬のことでしかなかったが、その一瞬のうちに全てが終わろうとしている。


 雫PGがせめてもの抵抗として、予測される命中部位に最大限に斥力の盾を展開しようとしているが、おそらく間に合わない。


 それほどまでに完全に不意を打たれた一撃だ。


 だが、シズクの想像も雫PGの予測さえも覆し、想像もしなかったことが起こっていた。


 命中する、と覚悟した瞬間、下方より閃光が走り眼前に迫っていた槍が拭ったようにかき消える。

 色を失った白と黒の世界に、まるで水晶を断ち切るような鋭い音が遅れて聞こえてくる。

 その寸前、視界をかすめるアイボリーホワイトの幻影。


 何が起こったのか理解出来なかったのはシズクよりも、むしろ赤目赤翅の方だったに違いない。必殺の一撃が憎い敵を貫くはずが、その一撃がかき消えてしまったのだから。


(セレスか!?)


 見て確認したわけでは無い。

 直感で、そうだと理解した。

 背中に張り付く赤目赤翅を振り払い、上方に視線を向ける。


 そこには見慣れたアイボリーホワイトの《竜骸ドラガクロム》が宙空に佇んでいた。だが、その姿はどこか頼りなく儚げで――その理由は斥力の護りを完全に失っていることに起因していた。


「ばっかやろう!」


 その意味するところを理解したシズクが思わず、悪態を吐き出す。

 即座に赤目赤翅との戦いを放棄し、セレスティーナの援護へと向かおうとしたところで即座にセレスティーナの叱咤がシズクの耳朶を打った。


『他人のことを気にしている場合か、莫迦者!』

「なっ! 人が心配――」

『誰かを庇いながら勝てる相手か!? お前は赤目赤翅を討つことだけを考えろ。女王は私が相手をする』

「相手をするって、シールド無しでか!? 融合してるならいざ知らず、お前、今……」

『全て躱して、全て当てる。それだけのことだ。今なら出来る』


 いともあっさりと言い捨てると、セレスティーナの《竜骸ドラガクロム》が握りしめた剣を払って女王へと突撃していく。その動きはどこかぎこちなさが残っているものの、模擬戦でさんざんシズクを打ち負かした、もう1人のセレスティーナの動きに限り無く近い。


「心配するだけ無駄、か」

『何を言っている。模擬戦に私に一度でも完勝してから、そういうことは言え』


 つくづく、今までセレスティーナの命を背負っていた気分だったのがバカバカしくなってくる。セレスティーナは……シズクの上官はレディである前にやはり騎士であり戦士だった。


 ならば、女王は完全に任せる。そう決めたら、手足が少し軽くなった。

 改めて、赤目赤翅に意識を集中させて対峙する。


 キチキチキチキチキチキチと顎を鳴らし、赤目赤翅が戸惑っていた。

 シズクを倒すべきか女王を護るべきか。

 その狭間で揺れている。

 迷いを伴った攻撃は先ほどまでの精彩を完全に欠いており、躱すことは困難では無かった。


「ああ……そういうことか」


 その赤目赤翅の逡巡で、シズクはようやく赤目赤翅が有利な高度を取らなかった理由を理解した気がした。


「主を見捨てるわけにはいかないよな」


 シズクがセレスティーナとカミラを赤目赤翅から護りながら戦っていたように、赤目赤翅もまた女王を護って戦っていたというわけだ。

 だからこそ、常に女王を護ることが出来る距離を維持するために巣室の吹き抜けを利用しきることが叶わなかった。


 赤目赤翅の深紅の複眼の色が鮮やかな輝きを増す。

 それまでの血の色を思わせる深い深い赤から、色鮮やかな深紅へと。

 すでに眼下ではセレスティーナと女王の戦いが始まっているようだった。巨大な骸と世界樹の残骸の影に隠れており、肉眼ではその戦いを見ることは出来ないが《竜骸ドラガクロム》を通じて伝わって来る状況で手に取るようにそれがわかる。


 フッと赤目赤翅の姿が掻き消えるように移動する。

 上方では無く下方へ。流れるようにシズクの下に回り込み、突き上げるように上昇しながらシズクの《竜骸ドラガクロム》へと襲いかかる。

 すでに何度となく繰り返された攻撃だが、これまでとは鋭さが違った。


 翻弄するような削るような攻撃では無く、もはや体当たり――否、速さと重さを兼ね備えた突撃攻撃チヤージアタツク

 躱しきれない、ととっさに判断し真っ正面からシズクはその攻撃を受け止めた。


「ラアアアアアアアッッッ!」


 雄叫びとも悲鳴ともつかない声を放ちながら、赤目赤翅の顎を受け止める。ミシリと《竜骸ドラガクロム》の右腕部のフレームがひび割れ、そのまま一挙に樹壁へと押しつけられのめり込む。

 すかさず、赤目赤翅が距離を取り巨大な針――というよりも槍を胎内から尾部を通じて抜き出した。

 これまでのような放つための小さな針ではない。

 赤目赤翅の身体の一部とも言うべき、貫くための槍がぬめりと体液にぬれそぼり光っている。


 狙いは《竜骸ドラガクロム》の体幹部。すなわち、シズクの生身の身体。


 貫かれれば確実にシズクの身体は致命的な損傷を受け、おそらくはそのまま遙か彼方の基地で再生することになるだろう。


 セレスティーナとカミラを残して。


「やらせるかぁぁぁ!」


 シズクは背中に斥力場を最大出力で展開。強力な反発力を得た《竜骸ドラガクロム》が世界樹に貼り付いた姿勢のままで勢いよく赤目赤翅に向かって打ち出される。

 今まさに、最後の武器をもってシズクを串刺しにせんと構えていた赤目赤翅はシズクの不意の体当たりを躱すことも防ぐことも出来なかった。


 そのまま絡み合うようにして一体と一匹が宙を転がっていく。


 キチキチキチキチキチキチと顎が鳴る。


 心なしか悔しげに聞こえるのは気のせいだろうか?

 ざまあみやがれと思いつつ、密着した姿勢のままで斥力の刃を上から下へと切り下げた。

 赤目赤翅の脳天に青白い斥力の刃が振り下ろされ、そしてその丸みに沿って滑る。

 全身が硬い甲殻で覆われた赤目赤翅の頭を叩き切るだけの鋭さが斥力の刃には欠けていた。ただし、まったくの無力というわけでもなかった。

 滑り落ちた先にある、巨大な複眼の片方の根元に食い込み、そのままそぎ落とす。

 一矢報いた、という勝利感は脇腹に走った強烈な痛みで消し飛んだ。


 声も出ないほどの痛みに目がくらむ。

 脇腹が熱い。


 痛みを堪えながら、傷ついた赤目赤翅の複眼にさらに斥力の刃をねじ込む。濃緑色の体液が滴り、シズクの《竜骸ドラガクロム》を覆う斥力場に弾かれ散っていく。

 うじゃじゃけた傷口を晒す片方の複眼の痛みをまるで感じていないのか、赤目赤翅は鋭く尖った牙を鳴らしながらシズクの《竜骸ドラガクロム》を食いちぎろうと牙をたて、シズクはそれを刃でもってはじき返した。


 互いに反発する力に耐えきれなくなったかのように赤目赤翅とシズクが離れる。

 荒い息をつきながら、痛む脇腹に視線を向けるとぐっしょりと血にまみれているのがわかった。


 《竜骸ドラガクロム》のS・A・Sスキル・アシスト・システムにより、痛覚は緩和されているので動けないというほどではないし、内臓に傷がついているわけでもない。

 端的に言うと赤目赤翅の攻撃はシズクのそれと同じように、《竜骸ドラガクロム》の体幹部を貫き通すことは出来ずにただ脇をかすめただけだった。


 だが、出血が止まらない。


 このまま、戦闘を続ければものの数分で意識を失い、アバターボディは失血により機能を停止するだろう。

 3度目の死に戻りは覚悟出来ているが、今はまだダメだ。


 切り落とされた片目から体液を滴らせ、赤目赤翅がシズクの位置に合わせてゆっくりと自分の位置を変えていく。

 その背後には女王とセレスティーナの《竜骸ドラガクロム》がこちらもまた、激しく切り結んでいた。

 赤目赤翅の位置は常にシズクとセレスティーナと女王を結ぶ直線上に位置している。この位置から赤目赤翅もしくは女王に対してうかつな攻撃を行えば、それはそのままセレスティーナにも害が及ぶ。

 そういう位置を選んでいた。


 残された武装は多くは無い。斥力の刃に固定武装の光学兵装。この2つだけだ。

 光学兵装は使えない。まず命中しないだろうし、外せば射線の先にはセレスティーナの《竜骸ドラガクロム》がいる。

 だが、今までと同じように近接して削り合うような戦い方では時間が足りない。赤目赤翅を倒すよりも先にシズクの力が尽きる。


 ぎりっと奥歯を噛みしめる。

 打てる手が見当たらない――いや、1つだけあった。


 斥力の刃を最大限に伸張させる。その長さはもはや一振りの剣というよりも槍と言った方が相応しい。


 一撃必殺の吶喊攻撃。ただし、外せば後は無い。


 さらに、その攻撃軸線の先にはセレスティーナと女王がともにいる。上手くいっても確実にセレスティーナを巻き込むことになる。

 赤目赤翅を貫き、さらにその勢いをもって女王も纏めて貫く。

 今ならば、それが可能な位置にいる。


 ただし、その直線上にはセレスティーナがいる。彼女がシズクの意図を察し、うまく躱すかどうか――それは信じるしか無い。

 

 シズクの異変を察した赤目赤翅が同じく加速のためにわずかに身体を緊張させる。

 そのわずかな硬直が最後の隙になる。


「喰らえぇぇぇぇッ!!!」


 絶叫すると同時に《竜骸ドラガクロム》を最大加速。槍を構えて真っ直ぐに赤目赤翅の体幹の中心だけを狙う。赤目赤翅の腹部に生えた槍もまたシズクの生身の身体を狙っているが、意に介したりはしない。


 爆発したかのような加速と共に互いの槍が互いに肉薄し、接触する――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る