第52話:「いくらじゃダメ。いくらは300円」

「やっぱりちょっと足りないね……!」


「ああ、やっぱりちょっと足りないな……」


 食べ始めて2、30分ほど経った頃、おれと芽衣がほぼ同時につぶやいた。


「もう一皿、というかもう一貫いっかんくらいが限界かも。お腹いっぱい」


「安いものを中心に布陣組んだけど、やっぱりもうちょっと食べたい……。って、『足りない』の意味合いがおれたち違うみたいだな」


「そうだねー……。まあ、そうだろうとは思ったけど。勘太郎、全然食べる勢いがおとろえないんだもん。あ、お茶いる?」


「うん、ありがとう」


 つまり、2500円以上注文せよと言われている芽衣はノルマに対して自分の食べられる量が足りないと言っていて、2500円以内と言われたおれは2500円分だと自分の腹を満たすには足りないと言っていた。


「ねえ、一貫だけ手伝ってよ」


 熱いお茶をおれに渡しながら前のめりに交渉を持ちかけてくる。


「手伝うって?」


「だから、あたし名義で2500円に届くように一皿頼むから、それ一貫だけ食べて?」


「ああ、なるほど。ていうか芽衣名義もなにも、お会計が合わせて5000円だったらいいってことだろ?」


「たしかに」


 というか、そのからくりに気づけば、芽衣は2500円以上はいくらでも食べていいわけだから、おれが食いまくっても芽衣が食べたことにすれば良かったのか。


「……ズルはだめだからね」


「何も言ってませんけど……」


 今芽衣が持ちかけている話もズルと言えなくもないが、一貫自分で食べるならギリギリセーフだと芽衣自身は判断しているらしい。まあ、うちの親的にも、本当はきっとどうでもいいのだ。


「で、あといくら足りないの?」


「500円……。だから、いくらじゃダメ。いくらは300円」


「そのいくらじゃねえよ……。ていうかそのいくらだと思ってたらそもそも『500円』って返しにならないだろ」


「うるさいよ勘太郎。500円のメニュー見て。ほら」


 平静を装いながらすげなくそう言って、メニューをこちらにおしつけてくる。


 芽衣は実は結構ダジャレを言うのが好きだ。好きだけど大して面白くないと言うことは自分でも分かっているらしく、そのダジャレを人のせいにする。人のせいというか、主におれのせいにする。


「500円って一番高い皿なんじゃないの……?」


「お皿の中ではそうだね。まぐろづくしが800円だけど、これはお皿には乗ってこないし」


「いきなりメニューに詳しすぎだろ」


 苦笑しながらメニューを見直すと、500円のメニューは大トロ、生うに軍艦、ボタンエビ、ズワイガニこぼれ軍艦の4種類だ。さすが一番高いだけあってそうそうたるメンバーだぜ……!


「……勘太郎が何頼もうとしてるかあててあげよっか?」


 にしし、と笑いながら持ちかけてくる。


「いいよ」


「生うに」


 遠慮しておくよ、という意味でいったのに芽衣は先回りしてあててきた。


「いいって言ってんのに……」


「良いって言ったんじゃん」


 またダジャレというか言葉をかけてるのをおれのせいみたいに言ってくる。


「ねえ、あたりでしょ?」


「あたりです……」


痛風つうふうになるよ?」


「なにそれ……?」


 おれの知らない病気か何かの名前を言われた。


「昔から勘太郎はウニが好きだもんねえ……。昔うちの家族と諏訪すわ家でお寿司屋さん行った時も勘太郎が容赦無くウニを頼むから、おじさんとおばさんの顔引きつってたの覚えてる」


「そんなこと覚えてんなよ……」


 とはいえ、言われてみればおれもぼんやりは覚えている。


「たしか芽衣はかんぴょう巻きとかっぱ巻きばかり頼んで可愛がられてたなあ……」


「え、そうだっけ?」


「そうだよ。まあ、そりゃあそんな子、可愛いに決まってるよな」


 はは、と笑いながらいうと、


「そ、そんなこと覚えてんなよ……!」


 と芽衣が赤面する。可愛いって子供としてって意味だったけど、まあ、別に否定するほど意図が違うわけでもないからとくに撤回てっかいもせずにおいておいた。


「すみません、ウニ一皿ください」


「はいよぉ! うにぃ!!」


「こ、声……!」


 うちの親に聞こえないようにだろうか。せっかく芽衣が小声でオーダーしたにも関わらず、大将たいしょうは大声で注文を反服する。まあ、それが仕事ですもんね。


「芽衣の分なのに、おれの好物にしてもらっちゃって、ありがとうな」


「な、なに、いきなりお礼とか……!」


 ふと素直に思ったことを伝えると、かぁっと芽衣がたじろぐ。


「いや、今朝のはちみつレモンといい、おれは芽衣にもらってばっかりで……。アイマスク買おうと思ったけど結局交換になっちゃっただし……」


「い、いいから。あたしがしたくてしてるだけだから」


 恥ずかしそうに芽衣は身をよじる。


 そんな姿を見て、ふと思いつく。


「10年後くらい、自分の稼いだお金で寿司が食べられるようになったら、芽衣におごるわ。約束する」


「なにそれ……?」


「なんか、これまでも色々もらってるし、それじゃ返せないだろうけど、とにかく、それでもそこでお礼出来るように頑張る」


「でもあたし、2500円も食べられないよ?」


 照れ隠しなのか、下唇を噛みながらそんなことを言ってきた。


「そうだった……。じゃあ、もっと一貫ずつが高い寿司屋とかにしよう。その……回らない寿司? とかっていうのがあるらしいじゃん、世の中には」


「ああ、あるらしいよね、どれくらい高いんだろうね……?」


「さあ……でも、とにかくおごるわ」


「うん、ありがと……。あ、でも」


 何かに気づいたように芽衣が声をあげる。


「やっぱり、おごらなくていいかも……?」


「いや、遠慮するなよ」


「ううん、遠慮とかじゃなくて……。おごるとかおごられるとかじゃなくなってるかもってちょっと思っちゃったっていうか……」


「……へ? それって……?」


 少し考えて、その言葉の意味するところに思い当たり、首をかしげる。


「ち、違うよ!? 10年後……家計が一緒になってるかもって、ちょっと想像しちゃっただけで、別に他意はないっていうか……」


「い、いや、それが他意だろ……」


「ち、ちがうよ他意じゃない! ほら、10年後も居候してるかもしれないし! それだけだから! 他意じゃない! えーっと……た、タイじゃなくてウニだよ? ね?」


 これで見逃してくださいと言わんばかりの芽衣の困ったような笑顔ににやけそうになる頬を隠して手元のお茶を飲み込んだ。


 ……さっき芽衣が入れてくれたばかりのお茶を。


「あつっ!」


 案の定、喉が焼けるように熱かった。あほだ。


「大丈夫!? はい、お水!」


 そう言って芽衣が自分の手元にあったお冷やを手渡してくれる。


「あ、ありがとう……!」


 そして飲み込んでから返そうとすると、芽衣がまた赤面している。


「ど、どういたしまして……!」


「ん? ……あ」


「な、なんでもないから、考えないでいいから」


 ……いや、これって間接……


「違うよ、ウニだよ!?」


 いや、そのネタは多分このお店にはないけど……。

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