第16話:「聞こうと、してない、ごめん」

「……ずいぶんノリノリでしたね、勘太郎くん・・・・・


 リビングのソファの上で芽衣めいが体育座りして不機嫌ふきげんそうに頬を膨らませていた。


「芽衣さん……?」


「なに」


 電気をつけたはずなのに芽衣の周りに漂うどすぐろいオーラが全然振り払われない。疑問文なのに語尾上がってないし。もしかして語尾上がらない系幼馴染様になってしまった……?


「何か怒ってるだろ……?」


「別に。なんでもないし。あたしに怒る権利とかないし」


「いや、権利とかそういうのいいから……。怒ってなかったらなんで電気もつけないでそこでむすっとしてるんだよ」


「別に」


 はあ……。


 おれは心の中で大きなため息をつく。


 これは普段気遣い屋の芽衣にたまに訪れるスーパーめんどくさいモードだ。このモードになると「なに」「なにが」「別に」くらいしか発さなくなる。


 このモードに入ったのは数えるほどしかないが、例えば、中学の時、応援団をつとめていた別の女子が学ランが必要だというのでおれのを貸してやった後とかにもこのモードに入っていた。なんでだよ。


 そしてさらに悪いことに、こうなった時の対処法をおれは知らない。


 というか、これまではとりあえず放っておけばちょっと経ってから何事もなかったかのように接してきたものだったが、さすがに今は同居している仲だ。この状態で数日過ごすのはきつすぎる。


「芽衣さん、何か不満があるなら教えてくれませんか……?」


「別に」


「別にって……。ほら、話したら解決するかもしれないだろ?」


「何が」


 うおおおおおおめんどくせええええええええ!!


 もうやめようかな。放っておこうかな。もう一回くらい何か言って反応これだったらもう諦めるか。


 唯一ヒントになるのは、一番最初に吐き捨てられた一言のみ。


『……ずいぶんノリノリでしたね、勘太郎くん《・・・・・》』


 ……いや、まあ、もしかしなくても赤崎とのことだよな。


 でも、下校の前は『がんばれ』って応援してくれなかったっけ……? あれ、口パクだったから分からなかったけど違うこと言ってたのか?


 はあ……。とにかくこの状況は気詰まりだ。


 おれはダメ元で、今のおれの正直な気持ちを可能な限りポジティブに言い換えて口から吐き出してみることにする。


「おれは芽衣の笑ってる顔が見たいよ」


「……!?」


 すると、ぴくっと身体を跳ねさせて、こちらをキョロっと見てくる。


 ……お?


「芽衣が笑ってくれてる時の雰囲気ふんいきが好きだなあ……」


 いや、「不機嫌はめんどくさいから上機嫌でいて欲しい」っていうのを言い換えただけなんだけど。


「……そう?」


 釣れた!?


「も、もちろんだよ」


「へー……そうですかそうですか」


 二回言ってるし、ショートボブの毛先をくしくしといじり始めたし、下唇を噛んでいる。


 完全に釣れている……。ていうか釣れ方が可愛すぎるな……くせになりそうだ。


「なにニヤニヤしてんの」


「別に」


 意趣返しをしながら肩をすくめて見せた。


「ふん」


「えーっと……だから、笑顔の手伝いというか、芽衣が笑ってくれるために不満を取り除きたい所存しょぞんなのですが、何か出来ることはありますか?」


 可愛い顔を見せてくれたからこの程度へりくだるのはなんてことはない。


「べ、別に。なんか勘太郎、七海ちゃんと楽しそうにしてたなーっていうか。手とか繋いでたし……。昨日までは嫌々いやいややってるみたいな顔してたくせに……」


「手は繋いでない。手首をさすられていただけだ」


「それ、どっちの方が親密なの……? ていうかほぼ繋いでるようなもんじゃん」


 あきれたような顔をされる。どっちが親密かはおれにもわからん。


「ていうか七海ちゃんもなんかやけに幸せそうな顔してたし……。もしかして七海ちゃん、勘太郎のこと好きなんじゃないの?」


「いや、おれも実際そう思うくらいだったけど、そんなことはないだろ。だって、赤崎のあれ全部演技だぜ? 恐ろしすぎる……」


 おれは思い出して軽く身震みぶるいした。


「ふーん……。でもでも、勘太郎だってあんな風に距離詰められたら、ちょっとくらいドキっとしちゃうでしょ?」


 芽衣はおれの気持ちと赤崎の気持ちとどっちが気になるんだよ。


「ドキっとなんかしねえよ」


「本当に?」


「本当に」


「本当の本当に? どうして?」


「どうしてって、そりゃ……」


 おれは照れくさくて視線を脇に逃して頬をかく。


「……おれ、他に好きな人、いるし」


「ほぇ……」


 変な声を出す芽衣。


「それって……」


「誰かは言えない。そういう決まりだろ」


「う、うん……。違う、聞こうと、してない、ごめん」


 芽衣まで顔を赤くして謎に謝ってくる。聞こうとしてないならいいのに。そしていきなりしおらしい態度になった。


「……ごめん。あたし、勘太郎のなんでもないのにしつこく聞いちゃって」


「いや、なんでもなくはないだろ」


「え?」


 芽衣はキョトンと目を丸くする。


「その……なんだ、芽衣は同居人だから。……良い意味で家族みたいなもんだから」


「良い意味でって何? 悪い意味で家族みたいとかある?」


「あるだろ、そりゃ……」


 恋愛対象とは見られない、という意味で『家族みたい』と芽衣に言われたらおれは結構立ち直れない気がする。


「ふ、ふーん……? で、でも、七海ちゃんが勘太郎をどう思ってるかは別だよね?」


「いや、それは知らんけど……」


 だから芽衣はどっちの気持ちが気になるんだよ。


「でも、ちゃんとおれ、『赤崎、おれのこと好きじゃないよな?』って聞いたけど?」


「何その思い上がった質問、七海ちゃんに対してありえないんだけど……。それで、七海ちゃんはなんて?」


「……『七海』って、下の名前で呼んでって」


 思いっきり顔をしかめる芽衣さん。


「は? いやそれ、答えになってないって言うか、もし本当にそう返ってきたならそれって……」


「いや、ありえないだろ!」


「そんなの分からないでしょ!? ていうか勘太郎! あたしが一番引っかかってるのはそこなんだけど!」


 そう言いながらついに芽衣は立ち上がった。


「どこだよ?」


「七海ちゃんのこと『ナナミ』って呼んでたでしょ!?」


「呼ばされたんだって! 3年生の教室の前でおれがボロ出しそうになったから補修するために。それがどうした?」


 おれが聞くと、愕然がくぜんとした顔で、


「名前呼びは特権だったのに……!」


 と震えながら言う。


「特権……?」


 何それ、初めて聞いたんだけど? いや、ていうかそもそもよく考えたら名前で呼んでるところ、どこで聞いてたんだ?


「もう知らない! 部屋に戻る」


「はあ!?」


 顔を赤くした芽衣は二階にたたっと駆け上がる。


「芽衣!」


「今さら下の名前で読んでも遅い!」


「いや、おれ、もう10年以上下の名前で呼んでるけど!?」



 芽衣はしばらくそうして部屋に閉じこもり、夕飯時になってくると恥ずかしそうに「さっきはごめんね……」とか小声でいいながら食卓についたのだった。

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