終焉 ⑥

 鳥葬の歴史が色濃く残る、森の墓場。

 その場所にはまだ、火の手は回ってきていなかった。

 ただ、すぐ後ろを見れば、やはり景色は赤一色で。

 もう十分と経たず、ここも安全ではなくなるだろうというのは容易に想像できた。


「ツバサ!」


 俺は見張り小屋の前に、ツバサの姿を目にした途端、走り出していた。

 ツバサは泥だらけ、傷だらけで、それでもなんとか逃げ出してきたという格好だった。

 隣には、茫然自失という状態のカエデさんも座り込んでいる。

 きっとツバサは、カエデさんを必死の思いで引っ張ってきたのだろうというのが分かった。


「大丈夫か、ツバサ!」


 俺に気付いたツバサは、疲れきった表情をぱっと笑みに変える。

 しかし、その頬には、涙が零れ落ちていた。


「ワタルくん! 来てくれたんだね……」

「ああ、もう大丈夫だツバサ。ごめんな、こんなことになるなんて、知らずに……」

「……ううん、ワタルくんのせいじゃないよ。……ワタルくんは、悪くないよ……」

「……どうして、こんなことに?」


 俺が訊ねると、ツバサは困り顔になって、


「……祭りが始まるっていうときだったんだ。燭台に火を灯していくよね、いつも。それが……火をつけて、しばらくしたら、爆発したような、感じで。とにかくあっちこっちに、火が燃え移っていったの……」

「……やっぱり、か……」


 俺の親父は、本当に村と無理心中するつもりだったのか。

 母さんの敵討ちを果たすために、消え行く命を賭して、村を滅ぼそうとしたのか。

 ……馬鹿な……馬鹿な父さんだ……。

 そのために、どれだけ無関係な人が苦しみ、死んでしまうと、思っているのか。

 いや、父さんにとってはもはや、そんなことは瑣末な問題なのかも、しれないけれど……。


「……ワタルくん……」


 それまで首を垂れていたカエデさんが、ふいに頭を上げて、俺の名を呼ぶ。

 ひょっとすると、今まで意識を失っていたのかもしれない。


「大丈夫、ですか……カエデさん」

「……いつかきっと……罰が下されるとは、思っていたわ」


 カエデさんは、村のあった方角に目を向ける。赤い光と、灰色の煙で覆われたその方角を。


「でも、まさか……こんな終わりを迎えるなんて……ね」


 弱々しい声で言うカエデさんに、俺は憐れみと、そして多少の苛立ちを感じて、


「……あなたは。母さんを、殺したんですか。あの檻の中で、何があったのかは知らないけれど……あなたは、母さんを刺し殺した」

「ワタルくん、どういうこと……?」


 俺が突然、突拍子もないことを言い出したと思ったのだろう、ツバサは俺の腕をぎゅっと握って訪ねてくる。でも、そんなツバサに向け、カエデさんは緩々と首を振り、


「いいの、ツバサ。私は、確かにあの人を、殺してしまったのだから。……そうよ、言い逃れなんて出来やしない。私は、食事を与えに行ったとき、隙をついて暴れだした彼女を止めようとして……そして……」

「……結果的に、母さんは死んだ」

「ええ」


 言い逃れはしないとばかりに、カエデさんは頷く。


「私は、それこそ半狂乱になったわ。でも、あの人たちは……他の地主たちは、もう彼女が外へ出ることはないのだから、自然死か自殺したことにすればいいと、決めてしまった。そうして、秘密は永久に暴かれないはずだった」

「でも……暴かれたんだ。父さんが……母さんを、埋葬しようとしたから」

「……そうね」

「檻ってなに? 何を話してるの? お母さんは、ワタルくんのお母さんを、ほんとに……殺した、の? どういうことなの? 分かんない……分かんないよ……」


 ツバサ一人が置いてきぼりのようになり、涙ぐんで駄々っ子のようにそう繰り返す。

 だから、俺はツバサを優しく抱きしめて、安心させてやる。


「いいんだ。……ごめんな、こんなときに。こんな話は、今しなくたって、いいことだよな。とにかく、今は……ここから逃げよう。あいつが……カズヒトが、来る前に……」


 俺はそう言って、ツバサの肩に手をやって、彼女をゆっくりと立ち上がらせる。

 そして、カエデさんにも手を貸し、立つように促した。


「よし、はやく逃げよう。このままじゃ、火にもやられかねない……」


 息苦しい火の海の中、何とか歩き始める。

 いや、歩き始めようとした。

 ――そのとき。

 目の前に、男の姿が現れた。

 ……それは、見間違えようもない。

 父さんだった。


「父……さん……」


 父さんは無言のまま、ゆっくりとこちらへ歩み寄って来る。

 それにはただならぬ威圧感があり、思わず後ずさりしそうになった。

 死を覚悟した者。そんな目をした父さんに、何を言おうと無駄かもしれない。

 だけど、俺は訴えなくては気がすまなかった。


「どうして! どうしてこんなことをしたんだよ、父さん!」


 けれど、やはり父さんは何も答えない。

 表情を無くしたまま、ただ、こちらへ近づいてくるだけだ。


「何か答えてくれよ……なあ、父さん――」


 俺がそう、言い終わるか終わらないうちに。

 父さんは、俺を突き飛ばし、そしてツバサの肩を引っ掴んだ。


「……すまないな、ツバサちゃん」


 ツバサに小声で謝ると、父さんはズボンのポケットから、小型のナイフを取り出して、それをツバサの首筋に突きつける。


「ひっ……」

「……ワタル。そのまま、下がってくれ」

「と、父さん……何を……」

「下がるんだ」


 有無を言わせない口振りに、俺は閉口し、従うしかない。従わなければ、本当にツバサに危害が加えられかねない。

 二歩、三歩。じりじりと、俺は後ずさる。そして、五歩ほど後退したとき、父さんはふいに顔を歪めて、


「……戻ってきては、いけなかったんだ。お前には……自由に、生きていてほしいんだ……」

「俺は……俺は自由に生きるつもりだ。……ツバサと! 生きていくつもりなんだ!」


 俺は、あらん限りの声で訴える。


「こんな……こんなことをするなんて……どうして……」

「……俺は、その逆だ。俺のしたいことを自由にして、死ぬつもりだった。……ただ、それだけだ」


 言うと、父さんは俺の方にツバサを突き飛ばした。


「きゃあっ!」


 俺は慌ててツバサを受け止める。その反動で、かなり後ろへ倒されてしまう。

 それを一瞥すると、父さんは、悲しそうに微笑んで。

 そして、しゃがみこみ――火を放った。


「うわッ……!」


 周辺にガソリンでも撒き散らされていたのか、火は凄まじい勢いで拡がっていく。

 特に、あばら屋の周囲が一番酷く、ちょうど俺たちと父さんたちが分断されるような形に火の壁が生じた。


「父さん!!」

「お母さんっ、お母さああん!」


 燃え盛る炎の向こう側で、二人の姿が見えた。

 父さんは、座り込むカエデさんを見下ろし、カエデさんは、ずっと項垂れている。


「……こうなったのは、幾つもの偶然が俺の背を押したからだと思っている。俺は、心のどこかでこうなることを願っていたし、ならないことも願っていた気がする」


 狭まっていく炎の輪の中で、父さんはカエデさんに言う。


「だが……もう、どうでもいいことだな」

「……私は、こうなると思っていたわ。それが、こんな景色とまでは思っていなかったけれど。そうね……ただ、時が来ただけ、でしょう?」

「……そうだ。……お前に告げる言葉は、一つだけ」


 ……やめろ。

 やめてくれ。


「分かっているわ」


 頼むから。

 受け入れないでくれ。


「……や、だ……」


 言うな。

 やめろ。

 なあ、


「……やめろ……」


 届けよ。

 伝わってくれよ。


「――やめろおおおおおおおおぉぉぉおッ!!」


 その一瞬で、全てが終わり。

 二人の姿は、炎の中へと消えていった――。





 ……そのときの空は、胸が痛くなる程に綺麗な茜色をしていた。

 目を背けたくなるようで、けれどその赤から目を離せなくなる、そんな空の色。

 一つの終わりを感じさせるような、緩やかに沈んでいく色。


 ……荒い息遣い。それは、俺と彼女のもの。

 疲れきった体を寄り添わせて、俺たちは木の幹に背を預けていた。

 彼女は眠っている。それまでの全てを、せめて今一度だけでも忘れようと。

 そして俺も、ほんの少しくらいなら……。


 ――つがいのトキを目にした恋人たちは、必ず結ばれる。

 そんな言い伝えが、この村にはあった。

 鴇村と名がついたこの小さな村で、ずっと昔から語り継がれてきた、不思議な伝承。

 その伝承に、何の根拠もあるわけではないけれど。


 あの日見た光景だけは、いつまでも信じていたい。

 あの日刻んだ言葉だけは、いつまでも信じていたい。

 その思いは、俺も、彼女も、同じであるはずだ。

 だから、俺たちはきっと。


 ……真っ赤な空に飛び立っていくトキたちを見つめながら、俺は思う。


 いつまでも、

 いつまでも、共に生きていこう、と。


 ……ツバサ。


 ――そして、俺の六月九日が、終わった。

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