十一章 ワタル六日目

真実 ①

 土曜日の朝は、重苦しく、気だるい朝だった。

 鈍りきった頭を何とか目覚めさせて、俺は朝食を作り、テーブルに並べ、父さんを待った。

 そして、やって来た父さんとともに食事をとり、落ち着いたところで話を切り出した。

 知らなくてはならない、全てを聞き出すために。


「父さん、聞かせてほしいんだ。俺の知らないこと……全部」

「……急に何を言い出すんだ」


 父さんは、わざとらしくテレビを見やったまま、俺の言葉に答える。

 テレビでは、輸血拒否の話とか、新しい橋の開通報道なんかがやっていたが、今の俺にとってはどうでもいいことだった。


「昨日、またカズヒトさんに会ったんだ。それで……色々聞いた」

「……あいつか。口の軽い男だったな、昔から」

「……それに、母さんのことも少し、聞いたよ」


 それを聞いたのは、カズヒトさんからではなかった。けれど、カエデさんの名前を出すと良くないと思い、それは伏せておくことにした。


「母さんは……どうなったんだ? 鳥葬されることもなく……死んでいったのか?」

「……」


 父さんは、俺が鳥葬について知っているということすら、把握していなかったはずだ。その目には、明らかに狼狽の色が窺えた。

 しかし、父さんはすぐに冷静さを取り戻して、


「……詮索が好きだな、お前も」

「真剣なんだ、俺は!」

「……分かっている」


 そういうと父さんは、自分と俺の食器を流しに置きに行く。

 戻ってきた父さんは、テレビを消して、俺に言った。


「ワタル。……少し、出かけようか」





 父さんは、俺を天の墓まで連れてきた。

 二日前、ジロウくんの遺体が鳥葬された場所。

 これまでも、数々の人間が鳥によってその身を葬られてきた場所。

 今まで知ることのなかった、赤井家の禁断の場所に、俺と父さんは一緒にいる。

 代替わりのときでもないのに、この場所に親子がいるというのは、恐らく考えられないことだろう。


「……」

「ここのことは、もう知っているんだな」

「ああ」

「ジロウくんが鳥葬されたことも……知ってる」

「……そうか」


 父さんは小さく溜息を吐くと、話し始める。


「赤井家は、代々この鳥葬を任される家で、天の家とも呼ばれていた。鴇村では、鳥葬こそが最も正当な葬儀であり、土葬はむしろ悪しき葬儀法だったんだ。死んだ者は鳥になるという言い伝えの通り、鳥葬された魂は浄化され、鳥になるのだと考えられていた。対して土葬された者は、永遠に日の目を浴びることができなくなるのだと解釈されていた」


 そもそも土葬される者は、地の檻の中に埋められていたのだろう。そして、墓石すらも与えられなかったのだ。

 この地では、外の世界とは違うルールが決められていた。


「これは神聖な儀式。俺は親からこの仕事を継いだとき、必死にそう、自分に言い聞かせたよ。目を覆いたくなるような光景も、それが大切なことなんだと言い聞かせることで、受け止めて、受け入れた。そして俺は、これを自分の仕事だと思えるようになったんだ……村での、役割として」

「……」

「だが、疑問を持たないわけではなかった。果たして現代においても続けられるこの儀式は、正当なものなのかと。言うまでもないが、日本では火葬が当然になっているし、鳥葬などをすれば罪にすら問われるんだ。昔からの慣習だからと、この儀式を続けていていいのかと思う日も、幾度かはあった」

「……父さんも、そうだったんだね」

「……まあな」


 磔台を見つめながら、父さんはゆっくりと頷いた。


「しかし、妻は……母さんは、いつも疑いを知らぬ無垢な表情で言っていたんだ。私は死んだら、トキになりたい。だから、しっかり見送ってほしいんだと。俺は……その言葉だけは、何が何でも守り通したかった。それが……あいつとの、最後の約束だったんだ」

「……確かに、良く言ってたな、母さんは」


 母さんは、この方法を知りながらも、父さんにしっかり見送ってほしいと、そう思っていたのだろうか。

 無垢という言葉が確かに似合いそうな人だった。なら、父さんの言うことは、嘘ではないのだろう。


「……だからな」


 そこで、父さんの声色が変わったことに俺は気づいた。


「あの日……運命を呪った。母さんが、重い伝染病にかかったと知ったときは」

「……やっぱり、……伝染病なのか……」

「……そう」


 カラスが一羽、鳴き声とともに飛び立っていく。不吉を象徴するかのように。


「治せない病だった。人に伝染する病だった。そんな病にかかったものを、村はどうするか。昔から、青野家によってその方法は決められていた」

「……隔離」

「……永遠の、隔離だ」


 俺が言うと、吐き捨てるように、父さんはそう訂正した。そしてそのまま、続ける。


「感染者は、犯罪者たちが閉じ込められる、真白家の地の檻に、同じように収監される。そこは光も入らない、地の底の牢獄だ。食事の約束だけはされるが、それだけだ。馬鹿らしいことに、例え奇跡的に病が自然治癒しても、そこから出ることは許されなかった。あの檻に入れられたら最後、二度と出ることは叶わない場所だった……」


 そんな、慈悲すらもなかったというのか。


「だから、俺は必死で訴えたんだ。どうか……どうかあいつを、檻の中へ閉じ込めないでくれと。せめて同じ死ぬにしても、あいつの望み通りに送らせてくれと……」


 だけど、父さんの願いは。


「……意味はなかった。聞き入れられることは、なかったんだ」


 父さんの声は、心なしか上ずっている。

 背けられた表情を、窺い知ることはできない。


「こんなことを、お前に言うべきではないかもしれない……ずっとそう思い続けてきたが、言ってしまおう。想像できるだろうか。永遠の暗闇の中、病が体を蝕んでいくのをどうすることもできない恐怖を。自分が救われることなど絶対にないのだと、諦めるしかない恐怖を。そして、自分が望んだように、鳥として飛び立てることが絶対にないのだという……絶望を。それを、あいつは……母さんは味わいながら、死んでいったんだ。暗く冷たい檻の中で……」

「……」


 返す言葉が無かった。

 代わりに、身震いがした。

 母さんが体験した最期。それを想像すると、恐ろしくなってたまらなかった。

 一筋の光すらない、最期。


「……これは、誰にも言っていないことだが。俺は、母さんが死んだ後、あいつの体を密かに回収したんだ。そして……見送ってやった」

「……父さん……」

「決して、目を逸らさなかったよ。あいつとの、約束だったんだから」

「うん」

「鳥に……トキに、してやりたかったんだ。だから、……しっかり、見送ってやったんだ……」


 最愛の妻との約束を、父さんは最後には、果たせたのか。

 それは、せめてもの方法だったのだろうけど……。


「あんなもので、本当に良かったのかは分からないが。俺は信じている。あいつはちゃんと、トキになれたのだと……」

「……俺も、思うよ」

「……ワタル」

「母さんはトキになって、この空を飛び回ってる。……俺も、そう思う」


 涙声になりながら、精一杯告げられた言葉だった。


「……そうか。お前も、そう思うか」


 背中をぽんと、軽く叩かれる。


「……なら、きっとそうだな」

「……うん」


 心から、そう思いたかった。

 それで、救われてほしかった。

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