支配 ②

 ツバサのそばから離れない。昨日彼女に言ったその誓いのために、今日は学校を休むわけにはいかなかった。

 いつもの曲がり道辺りで、ツバサと目があった瞬間、ツバサはぱっと笑顔になって駆け寄ってきた。


「おはよう、ワタルくんっ」

「ああ、おはよう、ツバサ」


 可愛らしいのでついつい、俺はツバサの頭に手が伸びてしまう。二、三度撫でたところで、ツバサは照れ臭さからか、やんわりと俺の手を払い除けた。


「もう、ワタルくんってば。……はやく行こ?」

「そうだな。行くか」


 そして俺たちは、並んで歩いていく。


「……そういえばね」


 校門の前までやって来たとき、ツバサが思い出したように口を開いた。


「うん?」

「昨日、帰ってからさ。ウチの村での役割がどんなのなのか、お母さんに聞いてみたんだ。でも、お母さん、答えてくれなかった。……一つだけ言えるのは、嫌な仕事だったみたいだよ」

「……嫌な仕事だった、か」


 そのツバサの言葉は、とても的確だ。


「……ありがとな。聞いてくれただけでも十分だよ」

「う、うん。ごめんね」

「いやいや」


 これは、ツバサに頼むには重過ぎるものだ。彼女が聞いた以上のことは、俺が直接聞こうと思った。

 教室のスライドドアをゆっくりと開く。前日のことがあり、少しだけ緊張したものの、扉の先にある二つの顔を見て、俺は何とか、いつもの調子で声をかけることができた。


「おはよう。ヒカル、クウ」

「おーっ、ワタルだ!」


 俺の姿を認めるなり、二人は近づいてくる。クウなんかは、小走りになって。


「おはよう、ワタル。元気そうでなにより」

「ツバサちゃんさまさまだね」

「クウちゃん、言い過ぎだよ……はは」

「あー……なんだ。心配かけてたみたいで悪い。もう大丈夫だから」


 正直言って、まだ心の中はぐちゃぐちゃだ。それでも、そんな本心は見せたくない。

 ……父さんと俺は、そういうところで似ているな。

 ふと、教室を見回してみる。けれどやはり、そこにタロウの姿はない。……ひょっとしたら、彼はここに戻ってくることがないんじゃないかとすら思えてきた。

 カズヒトさんという前例もある。この村にいるのが嫌になって、外へ出て行ってしまうということもなくはないのだ。

 ……まあしかし、村を変えていかなければと口にしたのはタロウなのだから、そこまでのことにはならないか。


「ねえねえ、どうやってワタルを元気付けたの? ひょっとして、アレですか」

「あ、アレってなにかな?」

「いやーほら、熱い抱擁とか、色々ですね……」

「も、もう、クウちゃん!」


 俺がぼうっと考えている間に、クウがそんな詮索でツバサを困らせていた。

 困り顔のツバサも可愛いが……って、何を考えているのやら。


「お前こそ、二人でバードウォッチングとか行ったりしてないのか? きっとこっそり後を尾けたりしてるんだろ」


 仕方なく俺が首を突っ込むと、


「えっ」

「見てきたかのように言うね……」


 それが図星だったらしく、二人はそれぞれ驚きの表情を俺に見せた。


「おお?」


 それを聞いたツバサが目を輝かせ、期待に満ちた表情で二人を見つめるのに、


「いや、そうかどうかは言わないけど」

「言わないけど!」


 と、温度差はありながらも、ヒカルたちが揃って否定の言葉を述べるのは面白かった。しかし、こちらも分かりやすいカップルだな。


「多分、誰もヒカルの撮った写真、見たことないだろう。そのうち現像したの、見せてくれよ」

「……気が向いたら、ね」

「ちぇっ、ケチだな」


 ヒカルが写真を撮っているのは有名だ。何度かカメラを提げた姿が目撃されているから。けれど、実際に写真を撮っている所を見たのは数えるほどだし、写真そのものは一度も見たことがなかった。

 趣味に関してあまりオープンでない性格なのだろう。親にカメラをせがんで買ってもらったらしいので、相当好きなのだとは思うけれど。

 会話のキリがいいところで、チャイムが鳴り、カナエさんがやってくる。彼女は俺の姿を見つけるなり、


「あら、おはよう、ワタルくん。待ってたわよ」


 と、ウインクを飛ばしてきた。

 皆に心配をかけすぎたな、と思う。これ以上は、心配をかけられないなと思う。

 とりあえずは、ここで笑ってみせていよう。まだ何の整理もついていないけれど、とりあえず。





 授業の合間の休み時間。俺はそっとクウに声をかける。


「なあ、クウ。ちょっといいか?」

「ん? どしたの」

「いや、ちょっと聞きたいことがあってさ」

「……ふむ」


 頭の中にクエスチョンマークが浮かんでいるのは明白だったが、それでもクウは大人しく、俺について教室の外に出てきてくれた。


「こんなところに誘い出して、どうするつもりでしょう」

「馬鹿、反応に困るだろ」


 ツバサとはタイプが違うので、そういう台詞をぶつけられると、本当に返事に困る。だが、今はコントみたいな会話を楽しみたいわけではなかった。


「……聞きたいのはさ。父さんのことなんだけど」

「……」


 俺が切り出すと、クウは一瞬だけ呆然としたような顔をしてから、


「ワタルのお父さん? ゲンキさんがどうしたのよ」

「いや……そのさ。最近父さんが、調子悪そうだから。たまにそっちに行ってるんだろ? 何か聞いてないかなって思ってさ」

「えーと、そうだなあ……。何度か来て、薬を持って帰ることはあるけど。それ以上は、ちょっとね」

「……そっか」


 クウは、本当は詳細を知っているようにも思える。

 だけど、どうなのかは分からないし、無理に聞いて知らなければ迷惑極まりない。

 あまり、深く問い詰めることもできなかった。


「ありがとな。聞きたいのはそれだけだ」

「う、うん」


 俺が言うと、クウは泣き笑いのような曖昧な顔になって頷く。

 それから、少しだけ間をおいて、


「……あのさ、ワタル」

「……ん?」


 彼女は少しためらいがちに目を伏せてから、


「……大丈夫。きっとまた、いつも通り楽しい日々に戻るよ。……だから、楽しく遊ぼう。これからもさ」


 クウらしい、励ましの言葉をくれた。


「……ああ。ありがとうな、クウ」


 俺はもう一度感謝の思いを告げ、いつもツバサにそうしているように、そっと、クウの頭を撫でようと手を伸ばした。

 流石にその手はあっさりと、払われてしまったが。

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