天地 ⑤’

「ねえ、あのときクウ、なんかぼうっとしてたけど。カナエさんの話聞いてた?」


 帰り道、僕はクウと話しながら歩いていた。


「うん。……実は、ちょっと女のカンというやつが働きまして」


 口調は軽薄なものの、その表情はどことなく暗い。


「カンって?」

「カナエさんの相手。それが……誰なのかなって」

「え……分かったの、クウ?」

「うん。多分、だけどね」


 思わず僕は立ち止まってしまう。少しずつ陽が沈んでいく朱色の空の下、僕らの影は次第に長くなっていく。


「大事な人を病気で亡くした男の人。ガンに侵されてしまっている男の人。この村では、多分一人しかいないよ」

「……それって、一体」

「ごめん、ヒカルは知らないもんね。実はさ、たまにウチに来て、薬だけ持って帰ってるんだ、その人。自分のことは自分が一番知っているって言いながら、私の親が医者じゃないことを知ってるから、ただ薬だけをいつも持って帰る。それは」


 川の向こうに目をやりながら、彼女は言った。


「げ、……ゲンキさんって、ワタルの」

「うん。お父さんだよ。奥さんを病気で亡くした」

「……あ、そうだ……」


 八年前。カナエさんは二十八歳だから、時期的にも重なる。そしてクウの言う通り、ゲンキさんが薬を毎回持って帰っているというのなら。

 ほぼ間違いなく、カナエさんが話していたのはゲンキさんのことなのだろう。


「じゃあ、ゲンキさんは……」

「私もそれは知らなかった。……ガン、だなんて……」


 確かに普段、僕らはゲンキさんと関わることなんて殆どないから、ゲンキさんが健康かどうかなんて分かるはずもない。だけどまさか、あの屈強そうな人が、ガンに侵されて危険な状態だなんて、予想もしなかった。


「ワタルは、知ってるのかな」

「知らないような気がする。ジロウくんの死であんなに悲しんでるのに、父親のことをもし知ったとしたら、そのときは……もっと悲しむだろうから」


 今以上に、長いこと落ち込み、学校を休んだということは一度もない。だから、ワタルはまだ知らないはずだ。自分の父親のことを。その体が、病に侵されていることを。


「……なんか、私たちの知らないところで、悲しいことがいっぱい起きてるんだなあ……」

「そう、だね……」


 本当に、その通りだ。


「じゃあ、また明日ね」

「うん。また明日」


 クウを見送って、僕は帰ろうとする。

 ちょうどそのとき。

 森から、二つの人影が出てくるのが見えた。

 咄嗟に僕は身を隠す。疚しいわけではないのだけれど、なぜか癖になってしまった。

 物陰から目を凝らしてみると。

 その人影は……ゲンキさんと、カエデさんだった。


「……なんだ、あの組み合わせ……」


 考えられない組み合わせだ。

 犬猿の仲と言ってもいいあの二人が。

 何故森から……。

 そう思っていると、ゲンキさんは突然、カエデさんの肩を掴んだ。

 カエデさんは、しかしぼんやりとしたままだ。


「俺は、お前に必ず思い出させる」


 ゲンキさんの表情は、どこか思い詰めたような、激しい感情を押し殺したもので。


「あの頃の……ことを」


 それは、とても複雑なものに見えた。

 そして、それを受け止めるカエデさんの目に。

 光は感じられなかった。





 この数日で、僕らの日常は目まぐるしく展開し、いつのまにやら非日常に落ち込んでいた。

 知らなかったことが次々と僕の目の前に提示され、その意味を僕に考えさせた。

 昨日、タロウくんは空っぽの棺を前にして、僕に言った。


 ――お前には、この場所をもっと知ってほしい。そして……できれば、抗ってほしいんだ。


 その言葉がどういうものなのかすら、考えなくてはならないけれど。

 少なくとも僕は、タロウの言うように。

 今この村のことを、もっと知らなくてはならない。そう思う。

 それは、青野家の次期当主として、というよりかは。

 純粋に、ここでどんな思いが渦巻いているのかを知りたいという、思いからだろう。

 鴇祭の日は、もう三日後に迫っている。


 そして、僕の六月六日が終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る