第四話


 後部座席で小さな紙袋を抱えた秀平は珍しくむすっとしていた。夕食前からずっとこの調子である。

「ガキみてえ」

 運転席の平田が笑うと、秀平は尚更不愉快そうな顔になる。

「あんたにはわかんねーでしょうよ」

「そんなに優真嫌いかよ」

「いちいち突っかかってきてうるせーから会いたくねえだけです」

「ごめんってば」

 助手席の謠子も苦笑いする。

「本当は僕も同席したかったんだけどね。優真くんも今忙しいみたいでさ、時間取れたのが明日しかないんだよ」

「事件絡みの話だったらうちの父ちゃんだっているでしょ」

「明日は定例会議だから誠くんも施設だよ。それ以前に僕がこの件を担当してるってまだ知らないと思う。ふふ、いつも愛息を手駒に使っちゃってすみませんって謝っておかなくちゃね」

「使われてるのはいつものことだから別にいいと思いますけどね。……で、何でゆーま呼んだんですか」

 紙袋の中からはみ出ているリボンの先をいじる。変な癖が付いているのが先程から気になって仕方がない。

「優真くん、黒宮と同じ銀行に勤めてるでしょ」

 黒宮のプロフィールを思い出す。そういえばそんなことが書いてあったような。

「支店違いますよ」

「今はね。でも前に同じ支店にいた」

「嘘」

 初耳だった。

「俺と同じ顔の奴が職場にいるなんて聞いたことないですよ」

「そりゃそうでしょ、きみも優真くんもお互い避けてて顔合わせないんだから」

「……そっか、そうでした」

 最後に会ったのはいつだっけ、と考えていると、目的地に到着する。

 閉店時間を回っている真木原宝飾店は既に暗い。裏側にある真木原家の玄関の前で停車する。

「僕も一緒に行くよ」

 謠子がシートベルトを外す。

「え、いや、でもこのくらいなら一人でも」

 紙袋を持って出ようとすると、謠子の方が先に外に出た。

「きみ一人じゃ危ない、でも何かしらの情報は得たい。僕がいればある程度ならきみを守れるし、逆に子どもだと侮られて何かしらのアクションを起こしてくれる可能性もある」

 それはそうなのだが――ちらりと運転席を見る。しかし意外なことに、

「何かあったら呼べや。すぐ出られるようにしとく」

 目が合った平田は、さほど心配しているふうでもない。謠子に関してはやや過保護なきらいのある彼がそう言うのなら、大丈夫なのだろうか。

「はい」

 戦うような真似はあまり得意ではないが、とりあえず自分も万が一のときを想定して心の準備だけはしておこう――意を決して秀平は車を降りた。



 インターホンを鳴らすと、すぐにかず美が出てきた。

「謠子ちゃんどうしたの……と、あらあら、えぇと、どうも」

 そういえば名前は教えていないな、と思いながら、秀平はかず美と同時に会釈する。一応謠子の下に付いているというていではあるものの、ランナーであるから軽々しく名乗れない。インターネットを使ってランナーを調べれば一発でバレてしまう。偽名を考えておくべきか、と暢気に考え始める。

「こんばんは、かず美さん。夜分遅くに連絡もせずごめんね。例のことで急ぎで訊きたいことがあって……知香さんいるかな?」

「ええ、ちょっと待ってね」

 知香を呼びに行くかず美の姿が完全に見えなくなってから、謠子はとん、と秀平に軽く寄り掛かる。

「男の声がする」

 言われて耳をそばだててみると、確かに話し声が聞こえる。こちらを気にしてボリュームを下げているようだが、明らかに女のそれではない声が響くのがわかる。かず美の夫は既に亡い。もう二十二時にもなろうという時間帯に女性だけの暮らす家に男がいるとなれば、親しい親類か、はたまた特別な客人か。

「安河か黒宮、ですかね」

「どっちかな」

「……安河」

「気が合うね、僕もそう思う」

 気配を感じて二人はすっと離れる。間もなくかず美と共に知香が出てきた。秀平の顔を見て一瞬驚いたような顔になったが、すぐに戻る。

「……こんばんは」

 何故こんな時間にこんなところへ――そう言いたげな表情だ。

 しかし謠子はそんな知香ににこやかに話し掛ける。

「急に悪いね。そうそう、これ、たいしたものじゃないけど」

 促されて秀平は小さな紙袋を知香に差し出す。知香は困惑した。

「え、あの、どうして」

「この前彼が落とした髪留め拾ってくれたでしょ。あれ僕のだったんだ。小さい頃お婆様にいただいたものだったからね、お礼だよ。ありがとう」

「そう……だったの……」

 ちら、と視線を向けられて、秀平は目を逸らす。わざと落としたことが知れたわけではないが、とっについた嘘を思うと何となく気まずい。

「ところで、知香さんにちょっと話があるんだけど……いいかな?」

「話?」

「とある事件のことでね」

 それが何のことかは察しがついたのだろう。知香はかず美に紙袋を預けると、シューズボックスから靴を出して履いた。

「お母様、ちょっと出てきます」

「気を付けてね、って言いたいところだけど、きっと篤久くんも一緒ね、心配いらないわね」

「……はい」

 三人は外へ出た。



 平田が乗って待つ車の前まで来ると、周囲に誰もいないことを確認してから知香が秀平に迫った。

「何故、どうして来たんですか、夜にこの付近に来てはいけないとっ……」

 夜間なのもあってか小声ではあるが、ふんがいしているようだ。おとなしそうな顔しててもちゃんと怒るんだな、等と秀平は暢気のんきなことを考える。

「俺も来たくて来たんじゃないですよ、文句ならそこのお嬢様に言って下さい」

 知香は謠子を見る。何か言いたげだが言葉が浮かばないのか黙ったままだ。

 そんな知香を見て謠子は笑いを堪える。

「落ち着いて知香さん、前にも言ったけどこう見えて彼は強いんだ。僕が一緒にいなかったとしても大丈夫だったよ」

 ね、とにっこり笑顔を向けてくる謠子に、秀平は溜め息をつく。

「だから買い被りすぎだって言ってるでしょ謠子様」

 と、車のウィンドウが開いて平田が覗く。

「よぅ知香ちゃん、こんな時間に悪ぃね。とりあえず中入ってくれる? おいガキども、お前らもさっさと乗れ」

 ガキって、と秀平は呆れる。

「俺アラサーなんですけど」

「十一歳児とつるんでバカやってる奴が大人なわけあるか」

「あんただって一緒んなってるときあるじゃねーですか」

「俺はわきまえてんだよいいからはよ乗れ」

「自分のことは棚に上げるとかほんとろくでもねーおっさんですね」

 ぶつぶつ文句を言いながら、運転席側の後部座席のドアを開けて知香を乗車させ、小走りで今度は助手席のドアを開けに行く。己が乗るのは一番最後だ。

 全員が車内に収まったのを確認すると、助手席の謠子が前を向いたまま切り出す。

「知香さん、単刀直入に言うよ。きみはここ二年程の真木原宝飾店の出納データがおかしなことになってるのは知ってる?」

「知りません、何もおかしくないです」


 即答、数秒の沈黙。


 それを謠子が破る。

「家の中に男性がいたね。あれは誰?」

「知りません」

「全く知らない人? かず美さんは随分親しげだったようだけど?」

「知りません。私は、何も」

「ふぅん」


 再びの沈黙。

 恐らく知香は何かを知っている、というのは嫌でもわかった。


 カチ、カチ、と音がする。謠子がパワーウィンドウのスイッチをもてあそんでいるのが見える。次の手を考えているのか。


 音が止まった。


「わかった、ありがとう。遅くにごめんね、帰っていいよ。平田くん、送ってあげて」

 もっと突っ込んでいくのかと思われたが、謠子はあっさり引き下がった。秀平が拍子抜けしているうちに、平田が車から降りて後部座席のドアを開け、知香を連れて真木原家へと向かう。

 再度の数秒の沈黙の後、それを破ったのは、

「よかったんですか、謠子様」

 今度は秀平だった。謠子は自身の頭をがしゃがしゃと乱暴に掻く。

「ぶっちゃけ、あんまりよくない」

「じゃあ、何で」

「本当はもっとちゃんと知香さんから聞き出したかったし、それ以前に知香さんを安全なところに連れていきたかったけど、あれはそうできる状況じゃなかった」

「安全なところ……って、」

 そのタイミングで運転席のドアが開いた。二人はびくっとする。

「何だよそんなビビんなよ俺だよ俺俺」

 平田は運転席に乗り込みエンジンをかけたが、すぐに発進せずにジャケットの内ポケットからコームを取り出して助手席の謠子の髪を整えた。

「あーあー何やってんだよ謠子様、こんなぐっちゃぐちゃにしちゃって」

「もう家に帰るだけだから別にいいじゃないか」

「お前は起きてから寝るまでがお嬢様なんだよ」

「面倒な家に生まれちゃったなぁ」

「その家を最高の玩具おもちゃにしてるのはどこのどいつだ」

「違うよ平田くん。最高の武器だ」

 お嬢様のぐしが整ったタイミングを見計らい、秀平は身を乗り出した。

「あの、つまり、真木原のお嬢さんの身が危ないってことなんですか?」

「何とも言えない」

「え」

「安河が犯人だとはまだ断定できないけど、まぁ犯人だとして。その近くに特に問題なくいられている現状の方が安全といえば安全なのかもしれない。ただ、さっきの知香さんのあの様子では、知香さんよりも他の誰かが危ういとも取れる」

 先程の知香の様子を思い出してみる――かたくなに「知らない」と言い続けていた。


 否。


 “”のではないか?


 事件の真相を知っていて、口止めをされているのは何か弱みを握られているせいなのだとすれば――


「他の誰か……人質……黒宮……?」

「その可能性もありそうだ」

 出すぞ、という平田の一言に二人は慌ててシートベルトを締める。ゆっくりと車が発進する。

「盗聴器でも仕掛けられればよかったんだけど」

 こぼす謠子に、平田が苦笑する。

「それ、見つかったらこっちがとがめられるやつだぞ」

「お爺様たちもやってたんでしょ、仏壇の部屋の押入れに機材あったよ」

「そうだよ、そんで一回バレてキャプターの本部の人に怒られてた」

「お爺様でもそんなヘマしたんだ」

「自分ならもっと上手くできるみたいな言い方だな?」

「そういうわけじゃないけど」

 謠子は秀平を振り返る。

「やっぱり、トダくんを頼るしかないかなぁ」

「戸谷です」

「とにかく明日は頼むよ、仲が悪いきみたちを二人きりにさせてしまうことになったのは本当に申し訳ないけど、黒宮の足取りを掴めそうなものが欲しいんだ」

「…………できるだけ、頑張ります」

 頑張らなきゃなぁ、とは思うものの、やはり少し気が重たかった。




 謠子と平田は午前八時前に浄円寺邸を出ていった。施設内で開かれるキャプター間の定例会議の為だ。

 来客は午前中とは聞いているが、詳しい時間はわからない。謠子のデスクワークの補助も平田の家事の手伝いも今日は必要ないので、居間のテーブルに手芸用の道具を広げて先日頼まれていた謠子の為の髪留めを作っていた。

「あっピンク足りねぇ……代わりに使える石あるかな……」

 ビーズやラインストーン、半輝石を種類・サイズごとにきっちり分けてあるケースを探ろうとすると、タイミングよくインターホンが鳴った。秀平は手を止めて固く目をつぶる。

「……何で、よりによってこのノッてきたときに」

 モニターで確認する。ああ、来てしまったか。

「どーぞ」

 ロックを解除、客人が門内に入ったのを確認して即座に再びじょうする。顔をしかめたまま台所に行き電気ポットで湯を沸かし始めると、一応玄関まで出迎えに行く。


 濃いグレーのスーツにブリーフケースを持つ、すらりとした長身の男。


 秀平と目が合うと、涼やかな顔がゆがんだ。

 目元が秀平に似ている。


「俺はあくまで謠子ちゃんに頼まれて来たんだからな」

 挨拶もなしに切り出す男に、秀平も不快そうに目を細める。

「こっちも謠子さんに頼まれたからあんたと会ってんだよ」


 睨み合って数秒、同時に視線を逸らす。


「上がれば」

「お前の家じゃないだろ」

「代理で対応して話聞けって言われてんの」

「……お邪魔します」

 納得していない顔で上がり、丁寧に靴の向きを変えて揃えて隅に寄せた男を待つことなく、秀平は台所に向かう。

「居間行ってて。お茶でいいよね」

「お前他所のお宅だぞ何を我が物顔で」

「ちゃんと家主から許可得てやってるって言っただろ」

 互いにストレスゲージが上がっていくのがわかる。しかし「やらなければいけないことなのだから」、「いい歳をした大人なのだから」、と己に言い聞かせながら何とか苛立ちを抑え込む。

 秀平は台所で茶器の用意をしながら深呼吸した。湯が沸く音に耳を傾ける。

「……よし」


 目的は、あの男を言い負かせて追い払うことではない。

 持ってこられた情報を聞き出すこと。


 また一つ深呼吸すると、淹れた茶を持って秀平は居間へ向かった。



 秀平が居間に入るなり、男は呆れた顔をした。

「何こんなに散らかしてるんだ」

「触んないで、ボンド乾いてない」

 作りかけの髪留めはそのままに、裁縫箱やビーズケースをテーブルの隅に寄せて湯飲みを置く。ちゃんと客用のものを使ってはいるが、置き方は作法にならってはいない。

「そんな客への茶の出し方があるか、ちゃたくも使わないで……第一この家のものみんな高級品なんだぞ、もうちょっと丁寧に」

「うるさいな」

 呟くように小さく放ったその一言に、


「いい加減にしろしゅう、いつまで好き勝手やってるつもりだ」


 げきこうするかと思ったが、冷静に返される――いや、何とか感情を飲み込んだのか。


「お前がランナーなんかになってから、父さんがどれだけ肩身狭い思いしてるのかわかってるのか? 父さんはキャプターなんだぞ? その息子のお前がランナーだなんて……父さんだけじゃない、母さんもヨリ姉も」

「ゆーま」

 秀平は、正面の男――実兄・戸谷優真を見据えた。

「俺のことは今は関係ない。用件だけ話して」

「秀平」

「俺と喧嘩しに来たわけじゃないでしょ。これは謠子さんの仕事のこと。今俺は、キャプター・シーゲンターラー謠子の代わりに話を聞いてる。余計なことはいい。黒宮修平について聞かせて」

 そう言って、テーブルの上にICレコーダーを出す。以前謠子から支給され、仕事を手伝う際に使っているものだ。

「ここから先録音するから。謠子さんと先輩に兄弟喧嘩なんてしょーもないもん聞かせたくないでしょ。文句言いたいんなら後で聞く、先に用済ませて」

 ぐ、と詰まった優真は、ソファーに腰を下ろして茶を啜った。

「始めるよ」


 カチリ、と、スイッチの入る小さな音が鳴った。


「じゃあ早速よろしくお願いします」

 ぺこ、と秀平が頭を下げると、優真はブリーフケースを開けてクリアファイルを取り出し、書類を何枚かテーブルの空いたスペースに置いた。

「これ、黒宮が辞める前半年間の出勤記録と、真木原宝飾店と安河元宣って奴の口座データ。一応出る前に目を通したけど、支店長の判子全部押してあるか確認してくれ」

 書類を手に取り、ちゃんと正式な手順で発行されたものか確認する。前もって銀行側にデータ提示を求め、それを優真が持ってくるように指名して申請したと謠子から聞いている。

「出勤記録はともかく、口座の方は謠子ちゃんなら調べられたんじゃないか?」

「証拠にする可能性のあるものはキャプター側から正式に令状出して提出してもらった方がいいんだってさ」

 ふぅん、とさして興味もなさそうに返事をすると、腕組みをして背もたれに寄り掛かる。「他所のお宅」ではあるが、今目の前には弟しかいないということが優真の気を大きくさせている。

「で?」

「黒宮修平の人物像、あと退社するときどんなだったか」

 人物像、退社するとき、と復唱し、

「そうだな、」

 少し記憶を辿ると、優真は口を開いた。

「知ってる限りじゃ真面目でできた奴だったよ。明るい、っていうかほんわかした雰囲気だったけど、愛想もいいし機転が利いて意外と切れ者、絵に描いたような優等生? っていうのかな……同じ名前で同じつらしたお前と正反対」

「そういうのいいから」

 にや、と少し笑い、優真は続ける。

「黒宮は俺が知ってる頃は窓口やってたけど、確か……辞める一年ちょっと前にローン業務の方に回されるようになったんだったか。頭も顔も人当たりもいいから、短期間で面白いぐらいに業績上げてったな」

「誰かに恨まれるようなことは?」

「仕事ができる奴を無条件に目の仇にする人間はどこにでもいるさ。まぁ黒宮の場合は敵は少ない方だったか。上の奴らにも気に入られてたし。彼女と婚約したってときには若い女子どもがちょっと騒いでたけど」

「それは」

「辞める二ヶ月、いや、三ヶ月ぐらい前か。つっても、真木原宝飾店はローン関係で昔からうちとやり取りしてたから、言ってみりゃ常連の上客だ。より繋がりが強くなるってんで、そりゃあすごい祝われようだった」

「社内では特に問題はなかったんだな」

 帰宅した謠子に聞かせる目的で録音してはいるが、己でも情報の整理をする為にメモは取っている。それを見ていた優真はまた笑う。

「キャプターみたいだ」


 暗に「ランナーのくせに」と言われている気がした。


「だから、そういうのはいいって」

「なればいいのに。そうすれば全部丸く収まる」

「うるさいな。……辞める前に誰かと何かやってたりしてなかったの」

「誰かと何かって」

「……社外の人間と、何か……」

 優真は溜め息をついた。

「秀、お前よくそういうふうにすぐ感覚ですごいふんわりざっくりした言い方するけど、もうちょっとどうにかしろな?」

 兄に指摘されて秀平は天井を仰いで考え、言葉を選出する。

「怪しい人間と……揉めたり、とか……?」

「プライベートはどうだか知らないけど、少なくとも業務上で変な客に絡まれたとかいうのはなかったはずだ。そんな話がありゃすぐ広まる」

「この、安河って奴とは」

 口座データの書類を指すと、優真は怪訝な顔になった。

「黒宮が窓口担当じゃなくなってからできた口座だぞ?」

「そうなの? じゃあ、職場で接触はしてない……?」

 じ、と書類を見つめて沈黙する――秀平が何か思考を巡らせているだろうことはわかっていたが、自分まで黙り込んでいても仕方がないと優真は再度口を開く。

「黒宮が辞めるときはもう俺は今の支店だったから詳しくは知らない。でも、出張したと思ったら急に電話で辞めるって言ってきて、そのまま来なくなって引継ぎとかいろいろ大変だったって噂は聞いた。理由も『一身上の都合』としか言わないし、よりによってあの黒宮がいきなりこんなことするなんてあり得ないって」

「……その後行方不明になってるって、聞いた?」

 茶を飲もうと湯飲みを持ち上げた優真だったが、口を付ける前に一瞬止まる。そしてテーブルに戻した。

「俺がそれ知ったのはつい最近。謠子ちゃんに聞いたのが初めてだよ」

「噂、とかも」

「全然流れてもこなかった」

「そっか」

 傍らにあったクッションを手に取り、両手でぎゅっぎゅっと押しながら、優真は僅かに表情をかげらせた。

「……まさか、キャプター案件の事件に巻き込まれてるかもしれないなんてな」


 

 玄関を一歩出た優真は、振り返らないまま立ち止まった。

「さっきのことだけど」

「何」

「一つの提案として言ったんだよ。お前がキャプターになれば身内に迷惑もかからない、謠子ちゃんや父さんの手伝いだって堂々できる。好きなんだろ? こういうの」

 いやじゃなかったのか――意外な発言に秀平はきょとんとする。

「……向いてないよ」

「そうかな。能力だって」

「好きでこんな力持ったわけじゃない」

 言葉を遮る。

 僅かな沈黙の後、優真は歩き出した。

「そんなのギフテッドみんなそうだろ。父さんだって、謠子ちゃんだって」

 優真が門まで辿り付くのを見届けることなく、秀平は玄関のドアを荒く閉めた。インターホンの親機の画面で門外まで出たところを確認した途端、即刻門を施錠し、台所に行き冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し居間へ戻る。そして、


「ゆーまのバーカ!」


 えると同時にソファーにどっかり腰を下ろし、ビールの缶を開けて一気に飲み干した。




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