Ⅱ第五十六話 ゆで卵
黒い影がまた飛んでくる。
おれとダネルの火炎石で二発、カリラの魔法が一発当たり、やっと消えた。
これ、時間がかかり過ぎ。あの黒い影は何体倒せばいいんだ?
おれは周囲をもう一度ながめた。エドソン治療院は、このあたりのはずなんだ。エドソンを倒せば地縛霊も消えるかもしれない。だが、その治療院がわからない。
「ダネル!」
「なんだ?」
「ゆで卵、何個ある?」
「一個食って、残り三つだ」
ゆで卵、どんだけ好きなんだ。
「悪い、全部もらうぞ」
リュックからゆで卵を探した。ほんとに三つある。
「おれら、どっちから来た?」
ダネルが後方を指した。なら、可能性としては右か。
広場の右の壁に向かって、ゆで卵を投げた。卵が壁にぶつかって落ちる。
「おい、卵……」
「あのへんが道のはずなんだ」
もう一個、少し場所をずらして投げてみる。また壁にぶつかった。
「石でも投げろよ」
「幻覚の中の迷路だ。石が落ちてないだろ」
ダネルが周囲を見まわした。
「ほんとだ!」
「だろ、もっと周囲を見とけよ」
ちょっと偉そうに言ってみた。
「こんな状況でのんびりしてるの、あなたぐらいよ!」
マクラフ婦人につっこまれた。片手は魔法陣の扉にかざし、魔力を送り続けている。
たしかに、おれは焦っているが、パニックにはなってない。思うに、最初はゲームの世界だとナメてかかった。そしたら現実で、それを実感する暇もなく何度も死にそうになった。妙な度胸がついたかな。
「カカカよ、そんなに卵がまずかったかの!」
大声で言ったのはアドラダワーだ。まずいから捨てたんじゃないっての。まあ、冗談だろうけど。
「化け物がもう一人いたわ! あなたと院長、実は親子なんじゃないの?」
マクラフ婦人が皮肉っぽく言った。親子ではないが、ギルドに提出した書類の中で「自分に何かあったら報酬をわたす人」の欄にはアドラダワーの名前を書いている。言ってみれば身元引受人だ。
「院長!」
「なんじゃ!」
「ここからの出口を探してます!」
「ほうか。なら少し待て!」
院長は数珠の中の一つを摘まみ、何か唱えた。
「カカカよ!」
「はい!」
「この方角に誰かはわからぬが、人がおる」
院長が指した方向は、さきほど卵を投げたのと反対に左の壁だ。おれの感覚が狂ってたか。
院長が指す方角にあたる壁を、しっかりと見定める。
「最後の卵、当たってくれ!」
おれは最後の一個、ゆで卵を握った。
「いや、当たったらだめだろ」
そうでした!
「当たるな!」
叫んで投げた。ゆで卵は壁の中にすっと消える。
「よっしゃ!」
思わずガッツポーズ。
「婦人、さっきの扉を分離するやつ、ゆっくり飛ばす事もできるんですか?」
西部劇でよくやるやつだ。銃撃戦で転がるテーブルの後ろに隠れて移動する。
「無理ね。あれは誰かの前に送っているだけ。誰もいない所に向かっては投げれないわ」
残念。では中継地点みたいなのも作れない。
全速力しかないか。おれは背中の盾とリュックを下ろした。
「ニーンストン!」
副隊長はおれを見てうなずいた。わかったようだ。
この面子で魔法を使えないのはニーンストンだ。ここにいても大した戦力にならないだろう。それに、この男性の中では一番若い。走るのも速いだろう。
まてまて、おじさん、その速さについていけるだろうか。よし、もっと軽くしよう。
「おい、剣まで置いてって大丈夫か?」
腰に下げた剣を鞘ごと外すのを見て、ダネルが言った。
「ナイフ、投げ紐、魔法石。それだけありゃ、いけるだろう」
ダネルの向こうで魔法陣の扉に手をかざしているマクラフ婦人が、ポケットを探っているのが見えた。
「婦人?」
「カカカ、気をつけてね」
婦人は前を向いたまま言った。まだポケットをガサゴソしている。
「魔力回復か」
ダネルはそう言って、自分のリュックから魔力回復石を出した。反対の手でマクラフ婦人の手を握る。石が光った。
「ありがとう」
「売るほどあるぜ」
婦人は前を向いているが、横顔を見るかぎり笑ったようだった。なんだふたり、けっこう、お似合いじゃないの。
あっ、お似合い。それで思い出した。
「婦人、その肩口に最強の相棒は必要ですか?」
婦人はこっちを少し振り返り、さらにくすっと笑った。
「こっちは大丈夫、と言いたいけど、正直、チックくんほど心強い味方はいないわね」
胸ポケットからチックを出し、マクラフ婦人の肩に置いた。婦人が指でちょんとさわり、チックが鈍く光った。そうだ、さっき撃ってまだ回復してない。
そう思った矢先、バシュ! と光の槍が出た。
「うおっ!」
びっくりしてのけぞった。光の槍は近くまで来ていた黒い影の胸に刺さっている。黒い影はゆっくり消えていった。
婦人がまたチックをさわる。
「こりゃ、俺は二番手だな」
ダネルはチックを見つめ、大げさにぼやいた。
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