Ⅱ第三十七話 結界球

「まあ、そんな事よりもだ」


 そんな事って、なんだよ! おれの怒りは無視して、ダネルはカウンターに小さな木の箱をだした。


「結界球か!」


 ダネルがうなずく。おれはそっと木箱を開けた。


 中には石が四つ入っていた。スベスベに丸く、大きさはゴルフボールより小さい。半透明な石の色は様々。だが、その中に紫色をした霧のような物が舞っていた。


「手に取っていいぜ」

「思ったより小さいな」


 手に持ってみる。おれは占い屋の水晶玉ぐらいを想像していた。


「この大きさで効果はあるのか?」

「玉だぜ、単純に大きさがちがう」


 単純に? おれは首をひねった。


「おいおい、石から力が出るだろう。それは出る面の大きさよって強さはちがう」


 なるほど、魔力石は大きいほうが威力が強いのは知っていた。大きいと、いっぱい魔力が溜まる。そう思っていたが、面の大きさが関係しているのか。


 しかし玉だとどうなる?


「力は一点から出るんじゃないのか?」

「おいおい」


 ダネルは店の棚から何かを持ってきた。サイコロだ。木を削り出して作った少し大きなサイコロ。


 こっちの世界もサイコロ使うのか。まあ外国にもダイスはあるし、当たり前か。今度、網元のロイグ爺さんとチンチロリンでもするか。似合いそうだ。


「魔法が石から出る時、どこかの面から出る。だいたいは一番大きな面からだ」


 ダネルがサイコロの1、「・」をおれに向けた。こっちの世界でもピンゾロは赤色だった。


「10センチの四角い岩があったとするだろ。魔法が出る面積は?」


 おれは、あんぐりと口が開いた。


「ダネル、今、なんて言った?」

「面積だ」


 嘘だろう、この世界、数学あんのかよ!


「四角の面積は?」

「・・・・・・100」

「声、小せえな。どうした?」

「いや、別に」


 ショックが強い。でも当たり前か。中世の世界と言っても文化はあるんだ。数学もあるか。


「それが球になると面がない。力は全体から出る」


 なるほど、そういう事か。


「同じ大きさで直径10センチの玉があったとする。表面積は?」

「・・・・・・」


 聞かれて黙った。公式を覚えてない。


「4πr^2だろ」

「・・・・・・」

「半径5だから、314になる」


 ダネルの話は聞いてなかった。おどろきと同時にげんなりした気分だ。キャンプにまで来て宿題をやる感じ。


「おい、なんで落ち込んだような顔してんだ」

「ほっといていい。こっちの浪漫の問題だ」

「それにだ、魔力が球体から出るとなると、さらなる増幅もかかる。周の長さが 2πrcosθに・・・・・・」


 おれはため息をついた。


「ダネル」

「おう」

「数学は嫌いだ」

「そうか」

「死ぬほど嫌いだ」

「・・・・・・そうか」


 おれは勇者で良かった。錬金術師にでもなっていたら、きっと生きていけない。


「魔法球はすごい。それがわかっただけでいいさ」


 酒でも飲みたい気分だ。今日のおれに氷は要らないぜ。あれ、そんな事をこの前も言ってなかったっけ?


「効果は、俺の調べでは四つとも四時間ぐらいだな」


 四時間か。かなり長い時間、山を登れる。


 ありゃ? ふと思ったが、それだけ長い時間だと、結界からハウンドが出てしまう事もあるんじゃないか? こいつ、びっくりしそうだ。


「ダネル、普通の結界石あるか?」

「あるが、なんでまた?」

「ああ、ちょっと試したくてな」


 ダネルはカウンターの後ろに行った。小さな引き出しが並んだ棚から石を出す。


 結界石をひとつ買い、表へ出た。


「ハウンド、そこにいろよ」


 ハウンドは少し意味がわからないようで、首をひねった。


 おれはハウンドから離れ、結界石を光らせた。見ていたハウンドが、急にキョロキョロしだす。おれの姿が消えたようだ。


 しかし、ハウンドが急に駆け出した!


「おい、ハウンド!」


 そうだ。声を出しても聞こえない。


 ハウンドは通りの向こうまで駆けると、また駆け戻ってきた。地面を嗅いだり、空中を嗅いだり、落ち着きがなくなった。


 そして今まで聞いた事のない声で鳴いた。それは大声で、人間で言うと半狂乱だ。


 あわてて結界石を地面に置き、ハウンドに駆け寄って抱きしめた。なんてこった。ハウンドがのぞかせた顔、それは不安と恐怖だ。


「おい、すげえ鳴き声がしたぞ」


 ハウンドの大きな鳴き声にダネルが店から出てきた。


「ハウンドに理解させようとして、失敗した」

「おいおい、結界石は匂いも消えるんだ。たぶん、お前が消えたと思ったんじゃねえか。かわいそうによ」


 その通りだ。不用意すぎた。


「すまんすまん!」


 おれはしゃがんで抱きしめた体勢のまま、ハウンドの背中を撫でた。


 思えば、もしこの世界から元の世界に帰るなら、ハウンドとチックとも別れになるのか。


 その瞬間がリアルに浮かんだ。こいつらと別れる? そんな時が来るのか。おれのいない世界で、この二匹は生きていくのか? ぽつりとたたずむ二匹の絵が浮かんだ。おれは思わず目が熱くなった。


 オリヴィアもふわっと現われた。そうだった。今、おれは四人パーティーなのだ。


「痛えー!」


 ハウンドが肩を噛んだ。おこっているのか。でも魔法が出るような怒りではない。


「すまんすまん」


 噛まれたまま、おれはハウンドを抱きしめて背中をさすった。


 三人の仲間。おれは帰れる時が来ても、きっと帰らない。それが今、わかった。


 噛まれた肩口のように、痛いほどわかった。

 

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