第15話
ぼくはすぐさま家を出て、暗い空の下を走った。犬吠埼のマンションを階段で三階まで駆け上り、そのドアを叩く。
「犬吠埼、いるんだろ!」
インターホンを押して、足踏みをする。焦燥を感じる。ドアノブに手をかけて引いてみると、いとも簡単に扉は開かれた。
また、カギがかかってない。
靴を脱ぎ捨てて部屋に入り込む。けれど、そこには犬吠埼の姿はなかった。昨日のように、バスタブに籠っているというようなこともなかった。
「くそ、いないのか」
吸血鬼が人を襲っているビジョンがちらつく。
これ以上、被害者を増やしてはいけない。怪異として目立つことは、己の存在を揺るがすことにつながる。
「急がないと」
飛び降りるくらいの勢いで、来た道を下っていった。
冷えた夜の風が、頬を撫でた。
住宅街を過ぎれば、田園が広がる田舎道。アスファルトの道を一本横に行けば、あぜ道に繋がっている。
ぼくは犬吠埼を探して、開けた田んぼを縫う道を進んでいた。街灯は少ない。
月明かりが頼りだ。遠くを望めば、街明かりが空に映し出されている。
「……っ」
道端に、なにかが落ちているのを見つけた。
近づくにつれて、ぼくはそれが何なのかを理解し、駆け足になった。
倒れているのは人間だった。
オフィスコーデの女性だった。恐らくは仕事帰りで、住宅街と住宅街の間にある田んぼ道を通過しているところだったのだろう。
意識を失っているようだ。
ぼくは首筋を触れる。
大丈夫、脈はある。
けれど、そこには確かに、ふたつの傷口が浮き彫りになっていた。
吸血鬼の噛み跡だ。
また、被害者が増えた。この様子だと、まだ噛まれて間もない。この近くに、犬吠埼がいるという証拠だと言えるだろう。
ぼくはポケットから携帯電話を取り出して、電話をかける。
「はい。はい……。場所は……」
怪我人の状態や場所を、一通り述べる。
「これでよし」
しばらくすれば、救急車がこの人を見つけてくれるだろう。
かなりの血液を失っているようだった。
犬吠埼ひのでは、またもや大量の霊力を吸収したかたちとなる。
気を引き締めて、ぼくはあぜ道を走る。
そうしてようやく、広い田園の空間にぽつりと、ひとつ、人影が見えた。
薄く水が張られた水田の真ん中で、裸足で足首まで水に浸かっている。
薄着で、タンクトップにショートパンツを履いている。モデルだったことを思い出させるようなすらりとした四肢が伸びていた。髪はぼさぼさで、その色は銀色をしている。
月明かりに照らされて、その銀色が輝きを放っている。
遠目でも感ぜられる妖気があった。
いまの彼女は、犬吠埼とは言えないだろう。
人の道を踏み外した、こちら側の存在。
神や妖怪のような、空想の産物と同等の、まさに鬼。吸血鬼。
息を切らしながらぼくが近づくと、こちらの存在に気が付いたようだ。
前髪から覗く赫赫とした双眸が、横目でぼくを捉える。
まったく気にも留めないかのようだ。
吸血鬼は視線を戻すと、星空を見上げて、月明かりを肌で感じているように見えた。
美しいと思う。絵になる、幻想的な姿だ。
けれど、ただ、それだけ。美しいだけ。
その美しさに、彼女は浸っている。
「……犬吠埼」
夜の静寂を打ち消すように、声をかける。
鋭い瞳がこちらを睨んだ。
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