第64話 鷹乗りたちを制御せよ!

 無事に訓練も終わり、片付けなどを終わらせて官舎に戻った頃はすでに日も落ちていた。体力よりも精神的に疲れた二日間だったなと思いながら部屋のドアを開けた。


「ママー、ただいまぁ」

「ふふっ。お帰りって言うんだよ。星羽、ただいま」


 頬をピンクに染めて抱きついてくる娘をギュッと抱きしめ返せば、星羽が「ただいまぁ」とまた囁いた。

 まだまだ、ただいまとお帰りの使い方の区別ができない。でも、拙い言葉で一生懸命に話す姿に心が温かくなる。


「お疲れ様」

「あ、お義父さん。今日はありがとうございます。忙しいのにお願いしてしまって」

「忙しくないさ。いつでも言ってくれていい」

「ありがとうございます」

 

 訓練終了後、航空幕僚長であるお義父さんが星羽を保育園まで迎えに行きお風呂まで入れてくれたなんて、他の隊員が聞いたらなんて事を! と、青ざめるに違いない。


「千斗星は」

「はい。もう少ししたら帰ってくると思います。多分、榎本一佐と葛城一佐のお見送りを」

「ああ。なるほど。大先輩を見送る仕事が残っていたか。彼らはなかなか個性が強いが、空自うちには無くてはならない人材だ」

「はい。現場を知り尽くした方々でした」


 司令級の幹部となればデスクで書類の処理に追われたり、政治絡みに頭を悩ませる日々で現場の声はなかなか届かない。でも、お二人の一佐は違った。私達の知らない現実の危機と現場で走りまわる隊員の事をよく知っている。

 そう、私よりもパイロットたちの心情や技術を把握している。


(見てないようで、見ているんだよね……)


「彼らはね、いつでも心は現場にあるんだよ。私は幕僚監部の道を選んだから、戦闘機から離れるのが早かった。それに比べ彼らはずっと飛んでいたいって感じだったよ。残念ながら、榎本くんは体力も技術もピークのときに降りてしまったが……。だからこそ見えるものが我々と違う」


 お義父さんはこの道に進むにあたって早くから試験を受け上級幹部となった。米国を行ったり来たりして、防空任務に就くことはほとんどなかったそうだ。それでもブルーインパルスのライダーにはなったと言うのだから、凄腕なのは間違いないと思う。本人はほとんど語らないのだけれど。


「榎本くんの事故を知ったのは、私がアメリカにいた時だった。とんでもない事になったと思ったね。彼の気持ちを思うと、私なら死んでしまいたいと思ったに違いない。それにしても、あの二人は今回の訓練でやりたい放題だったな。まったく、私の立場も考えてほしいもんだ。来月の幕僚会議でなんて言われるか」


(そうだ。訓練とは言え予定にない機動と空域を……大丈夫かな)


 でも、そのあとお義父さんは嬉しそうに笑いながら言う。


「まぁ、そのために私が居るようなものだからな。どうとでもなるさ」

「だ、大丈夫でしょうか」

「職権はうまく使うものだ。さて、星羽? パパが帰ってくるまで御本でも読んでいようか、何がいいかな」

「タカトしゃんとパパのヒコーキみる」


 お義父さんは顔をくしゃくしゃにして星羽を抱き上げると、私に向かってニコと笑った。


「星羽は飛行機が好きだなぁ」


 不覚にもその表情にときめいたなんて、絶対に言えない。特に千斗星にはバレてはいけない。


(もう、お義父さんて本当に千斗星と似ていて困る)


「さ、制服脱ごうかな」

「ただいま」

「きゃっ!」


 千斗星が帰ってきたのに驚いて、玄関先で悲鳴を上げてしまった。そっと振り向くと怪訝な顔をした千斗星が立っている。


「おかっ、えり」

「ただいま。なに? 隠し事か」

「違うっ」


 ふうん、と言ってスタスタと先にリビングに行ってしまった。すると星羽の「パパただいまぁ」が響き渡った。

 千斗星は苦笑いをしながら「ただいま」と言う。星羽を囲んでお義父さんと千斗星が並ぶ風景を見ていると、心の底からあの子を産んでよかったと思う。


(子はかすがいって言うのは、本当なんだね)


「よーし! ご飯にするよー」


 お義母さんはきっと天国から見ていて、笑っているよね。




 ◇



 お風呂も夕飯も終わって、星羽は大好きなタカトじいじと寝るんだと言ってきかない。


「タカトしゃんとねるのっ!」

「でもね、おじいちゃんも疲れてるよ」

「いやっ。タカトしゃんとねる」


 随分とおじいちゃん好きになったもんだ。もちろんお義父さんは嬉しくて、ダンディなお顔がデレデレと崩壊中。


「よーし。星羽と寝ようかな。ママとパパが居なくても大丈夫かな?」

「うん!」

「星羽……」


 すると、いちばん反対しそうな千斗星がにこりと笑って星羽に言った。


「朝までおじいちゃんとお利口さんに寝れるのか? 途中でママーはなしだぞ」

「ないー!」

「それならいいよ。朝までバイバイだ」

「あさまで、バイバーイ」


 お義父さんと手を繋いでご機嫌な笑顔で和室に消えていった。しかも襖はピシャリと音をたてて閉められた。女の子は精神の成長が早いというけれど、まだ二歳。ママがいいって言われないのも少し寂しい気がする。いつも一緒に居られないから仕方がないのだけれど。


「なに不満そうな顔をしているんだよ。俺たちも寝るぞ。さすがに、今日は疲れたよ」

「うん。そうだね、寝よう」


 私達は寝室に入って寝る準備をした。いつもは間に星羽が大の字になって寝るから、今日はやけにベッドが広く感じる。

 ドサと千斗星が腰を下ろした。昨日、今日と千斗星は榎本一佐や葛城一佐のもとで厳しい訓練をして、きっと疲れているはずだ。安堵からか長いため息がもれた。


「お疲れ様でした。ゆっくり寝てね。明日は休みだから」

「ああ、そうか……休みか」

「うん」


 だから今日は早く寝て、明日いろいろ聞こう。戦闘シミュレーションの事とか、今日の模擬訓練とか。榎本一佐や葛城一佐の判断や指示にどう感じたのか、戦闘機乗りとしての意見を聞きいてこれからの任務の参考にしたいと思った。


「天衣」

「ん? うわぁっ」


 突然腕を引かれたので、バランスを崩して千斗星の膝の上に尻もちをついてしまった。


「ごめん! てか、何で引っ張るの」

「天衣が難しい顔をしてたから話を聞いてやろうと思っただけだ」

「え? あ、別に難しい顔なんてしてなっ」


 話を最後まで言わせないと、千斗星はキスで私の言葉をさえぎった。星羽が居ないからか、ちょっといつもよりねちっこい。


(ん、んんんっ。吸っちゃ、ダメっ)


「ひとへぇ(ちとせぇ)」

「ん?」

「唇、腫れちゃうよ」

「じゃあ開けろよ、口」

「は?」


 ニヤと千斗星は一瞬頬を上げると、私の咥内にぬるんと進入してした。

 久しぶりに濃厚なキスを交わすと、彼は満足したのか私から顔を離した。


「天衣、幹部学校に行けよ。そろそろ三尉を卒業して、幹部普通課程を受けろ」

「でも、十週間も家を空けるの。星羽もまだ2歳だしっ」

「俺が居るっていっただろ。アラートの時はタカトしゃんが元気に飛んでくるって。それにそろそろ定年だしな。やるなら今しかないぞ。指揮をとれない悔しさを知ったんじゃないのか」

「そうだけど。千斗星を差し置いて」

「なあ、天衣」

「はい」


 千斗星は私を膝に乗せたままこう言った。


「俺は、俺が信頼する人間から命令されたいんだ」


 毎日、命を張って戦闘機に乗り込んでいる。自分が望んだ人間からの出撃命令なら、不安も恐怖も消え、任務に集中できると。


「天衣が、俺たちを護ってくれるんだろ? 天衣が護ってくれるなら安心して俺は空に上がれるよ。星羽たちの笑顔を護ってやれる」

「千斗星」

「天衣から命令されたいんだ。二人で空を、護りたいんだ」


(千斗星と日本の空を護る。子供たちが毎日、笑っていられるように)


「いいの? 試験、受けて」

「だからーっ!」

「えっ? え、えっ」


 千斗星は私を抱えたまま仰向けに倒れてしまった。そのせいで私は千斗星の上に乗っかっている。降りようとすると腰をしっかり掴まれて身動きが取れない。


(何を考えているの!)


 「俺の嫁さんは要撃管制官ウェポンコントローラーだよな。ウェポンを上手く制御するのが天衣コントローラーの任務だろ」

「何が言いたいの」


 私は上から千斗星の瞳を覗こんで、彼が今何を考えているのかを探った。ときどき千斗星は真剣と冗談が入り混じっていてわかりづらい。今も、私を試しているような気がする。


「分かんねぇの? ほら」

「えっ、やっ、ちょっと!」


 腰をグッと一回突き上げられて、私は千斗星の上で跳ねた。その時に、分かってしまったんだけれど、どうしよう。

 気づかないふりをすべきかな。その、カタイモノ。


「今さら、なになに分かんない。は許されないぞ? 沖田天衣三等空尉」

「ヤダ! 千斗星のえっちぃ」


 はいはい、俺はえっちですよなんて適当に返事をした千斗星は私を抱きしめてゴロンと転がった。当然、態勢は入れ替わった。


「何してるの、星羽が起きてきたら」

「起きないよ。大好きなタカトしゃんと一緒だからな」


 千斗星から悪い笑みを向けられて、私は深くシーツの波に沈んだ。




 ◇ ◇ ◇




 翌日は土曜日ということもありお義父さんは星羽を連れて遊びに出てくれた。何となく気を遣われてしまったような感じがする。

 千斗星とは今後のことを話したかったのでそれに甘えさせてもらうことにした。キッチンから挽きたてのコーヒー豆の香ばしい匂いがリビングを包み込んだ。私はソファーに体を預けてアロマのように広がるその香りを、すーんと胸の中に吸い込んだ。


「薄めにつくった」

「ありがとう」


 休みの日の朝は千斗星が必ずコーヒーを豆から挽いて淹れてくれる。私の体調を見ているのか、微妙にブレンドを変えるという凝りよう。


「今日もとても美味しいです」

「今朝は普通に起きてきたけど、大丈夫なんだな」

「なっ、な、なんの話よ。ばか」


 ちらりと私の顔を見て、くくくっと笑う意地の悪い旦那様。でも、大好きなの。


「あのね、千斗星」

「ん?」


 コーヒーをこくんと喉に流し込んでから千斗星の方に体を向けた。私の決心が揺るがないうちに夫にお願いと宣言をしようと決めたから。


「幹部学校普通課程の試験、受けてみる」

「うん」

「それで、もし受かったら2ヶ月ちょっと家を空けるので……星羽のこと」

「大丈夫だって。心配するな。天衣は上目指してしっかり励んでくれよ。俺達のためにも」

「あのね、万が一なんだけど。私が千斗星の階級を……」


 そこまで言いかけてやめた。受けてもないのにそんな話をするなんて、最低だなって思い直したから。だけど、言いかけた言葉を隠せるわけではないし千斗星が分からないはずがない。


「ふっ、くくくっ。いいぞ! そう言う気持ちでやれよ。むしろ天衣には俺の上に立って欲しい。天衣が行けというなら喜んで出撃するし、撃てと言えば迷わず撃つ」

「撃てだなんて」

「なぁ、要撃管制てそういう仕事だろ。もしも俺がこの日本で、ミサイル発射のスイッチを押すときがあるのなら」


 千斗星はそこで言葉を一旦切った。私の目を瞬きもせずにじっと見つめて、そして、口を開いた。


「天衣の命令で撃ちたい」

「千斗星」


 千斗星はほんの少しだけ頬を緩めて、ふぅっと息を吐いた。それを見て強がりでも冗談でもないというのが分かった。


(千斗星は本気なんだ。早く私に命令できる職位に上がって欲しいって、本気で思ってくれている)


「俺達は一心同体。任務でも、家庭でも……そうだろ? 天衣の命令は絶対だ。俺は確実に任務遂行してみせるよ」

「ありがとう。ちとっ……せ」


 感動の場面だった。思わず涙が込み上げてきて、私は期待に答えられるよう頑張ります! て、言うところだったのに。


(天井が見えるのは、なぜ!)


 そして、天井が見えなくなった代わりに現れたのは千斗星の顔。口元をちょっと上げて、なんだか楽しそうな顔をしている。


「あっ、待って! これなんでっ」

「せっかくのオヤジの好意なんだから、甘えようぜ。どうして欲しい、なあ、天衣。遠慮なく言えよ」

「どうしてって(こんな明るいのにっ)」

「ほら、早くしないと暴れるかもしれないぞ。要撃管制官ウェポンコントローラーのお手並み拝見だな」


 千斗星はにやにやと笑いながら、私の両手を頭の上で一纏めにしてしまう。体には千斗星の体重がずしりとかかり身動きができない。


(お手並みって……⁉︎)


「目視確認に入ってよろしいか」

「えっ、ちょ! だめっ。今の距離をたもて、エーワックスからの情報を待て!」

「りょーかい♡」

「えっ……ひゃんっ」


 千斗星は嬉しそうに目尻を下げて、聞いたこともないような甘え声で返答し、私の首筋にキスをした。そして、腕の拘束をとき私を引き起こすと、ぎゅうっと力を込めて抱き締める。


 私の要撃管制官としての道は始まったばかり。これからもっと勉強をして、しっかりと日本の空を、そして千斗星たち戦闘機パイロットを護らなければならない。榎本一佐や葛城一佐が教えてくれた現場力を私も身につけたいから。


「天衣が俺たちを護ってくれるって、信じている」


 千斗星が耳元で囁いた。


「はい」


 今の私には、そう返すことが精一杯。私の手に千斗星の命がかかっている。だから、何が何でも死なせない。私が貴方たち戦闘機パイロットを護ってみせます。


「天衣、力抜けよ」

「バレてる」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「え?」

「鷲の目はごまかせないんだぞ。どんな小さな事も、見逃さない」

「あっ、だからなんだ!」


 大きな声を出した私に驚いた千斗星は目をパチパチさせている。


「イーグルドライバーって、みんなそう!」

「天衣?」


 訓練で見たあの凄まじい競り合いの指揮をとったのは、元イーグルドライバーだった。


こういう人たちイーグルドライバーをコントロールするなんて、ある意味やりがいのある仕事よね)



「千斗星。私、頑張ります!」

 

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