第57話 行ってらっしゃい

 我らが航空幕僚長は何やら悪い笑みを浮かべていた。千斗星は最初こそ驚いていたけれど、彼もまたその血を受け継いだ人。


「それ、もちろん俺も参加できるんですよね」

「くくっ。志願するか」

「ケツを追われっぱなしで終わるのは気に食わない。自由が利くなら試してみたい技もある」

「八神くんは推薦するつもりだ。彼と組むなら手はずをするが?」

「八神さんとなら何の文句もありません。飛行教導隊アグレッサー部隊の腕前をぜひ見てみたいものです」

「では、決まりだな」


 八神さんと千斗星が組むなんて、想像しただけで胸が高鳴る。ブルーインパルス時代は一、二を争う腕前だと言われていた。二人がタッグを組むなんて胸熱いがいない。


「天衣ちゃんも行くかい?」

「ブハッ……ケホッ、ケホッ。え、え?」


 急に話を私に振るので驚いた。千斗星が大丈夫かと背中を擦ってくれている。まさか私も参加するかなんて言われると思ってなかったので、盛大にむせ込んだのだ。


「すまない、急に。いや、要撃管制からも数名連れて行く予定なんだよ。パスポートは持っているかな? その気があるなら推薦するが」

「そんな、私みたいな下っ端がっ」


 他の先輩隊員を押しのけて、ひよっこ同然の私が行きたいなんて言えるはずがない。それに、私にはまだそこまでの技量はない。


(というか、怖いです! いろんな意味で)


「空幕長、ひと言申し上げます。天衣さんが目立ち過ぎると、立場上からして今後の任務に支障が出るかと」

「出る杭は打たれる、か」

「お分かりいただければ」


 この世界も出る杭は打たれるのは常であった。ましてや夫の父が航空幕僚長だ。たいした技量もないのに推薦されては、暁さんや千斗星の面目を潰してしまう。それに、私は出世なんて考えていない。千斗星を支えられればそれだけで十分。


 そんな暁さんは私の顔をじいっと見て、顎を触りながら何やら思案中だ。


「いっそのこと、私が義父だと公表してはどうかな」

「えっ!」

「空幕長。貴方が定年退官した後の事もお考えください」

「うーむ。であれば、私の副官になるか。天衣ちゃんなら」

「オヤジ!」

「空幕長!」


 暁さんは二人から同時に叱られ本気で眉毛を下げた。こうしていつも私の事を気にしてくださるのを、千斗星は嫌がるけれど。

 賑やかな食事が終わり、家に帰り着く頃にはすっかり日が傾き始めていた。


「半年後って言ってたな」

「うん。正式発表ていつなんだろ」

「機密だから、政府とタイミング測ってからだろうな」

「頑張って仕返しして来てね」

「天衣」

「うん?」


 千斗星の顔がゆっくりと近づいて来て、チュと音を立てて離れていった。


「ここ、玄関! しかも外側っ」


 部屋の鍵を開けようとしたタイミングだった。誰かに見られたらどうするの!


「俺が訓練で留守の間、変な虫が付かないように見せつけてやるんだ」

「えっ、ええ!」


 ニタと笑う千斗星の顔が暁さんと被って見えて、背筋がぞくりとした。

 この親子、侮れない!



 ◇◇◇



 五ヶ月後。

 日米及び大洋州合同訓練。

「ビー・ストローク・クラッシング」が発表された。和訳では「一撃で撃破せよ」だそうだ。今回は海上自衛隊も参加することになった。

 全国の基地から選りすぐりの隊員が集められ、某国の海域で行われる四カ国合同訓練が決まった。


 那覇基地からは八神さんと千斗星と管制官が一人。整備隊からは数名、その中に青井さんも含まれていた。那覇基地は常にスクランブルの可能性があるため、訓練とはいえ人員をそれに割くことができなかったのだ。


「気をつけて行ってきて」

「あっ、今日だったよな? 病院」

「うん。定期のやつだよ。血液検査していつもの薬を貰ってくるだけ」

「そうか。天衣も気をつけて。無理するなよ? 二週間いないけど」

「大丈夫だよ。二週間なんて、あっという間だから。あんまり言われると本当に寂しくなっちゃう」

「ごめん」


 もっと離れていた時だってあったのに、今となってはたったの二週間が耐え難い。会えなくても基地のどこかにいるし、沖縄の空を飛んでいると思えばなんてこと無かった。

 切なくてなってうつむく私を、千斗星はそっと抱き寄せた。頬が彼のシャツにあたると、我が家の洗剤の匂いがした。

 思わずスンと吸い込む。

 足元には大きな荷物が置かれてあり、所属が書かれたネームタグが下がっていた。そこに【JAPAN】の文字が目立つよう印字されている。

 日本のために、彼は命を懸けている。そう思うと誇らしい気持ちが湧いてくる。

 私は千斗星の背中に腕を回した。


あの人たちロ国連邦軍をコテンパにやっつけてきて。わたしたちの強さを、見せつけてきてっ!」


 私は千斗星の制服のシャツに皺が入るほど強く握り締めた。

 負けないで! と願いを込めて。


「負けないよ」

「千斗星っ」


 心が通じたようで嬉しかった。千斗星の顔を見上げると、勇ましさを増した瞳と目が合う。

 その眼光は私の体を芯から熱く燃やして、震わせる。


「寒いのか」

「違う! 武者震い」

「はあ?」

「変でしょう? 私が戦うわけじゃないのに、力が湧いてきたの。持て余しそうなくらい強い力なの」

「くくっ。俺、武者震いしない体質だから分らないけど。その力、分けてもらおうかな」


 千斗星の顔が降りてきて、そっと唇を塞がれた。ただ重なり合っただけのキス。でも、それで十分だった。


「さて、時間だ」

「うん」

「行ってくる」

「行ってらっしゃい!」


 千斗星は黒のネクタイを整えて、にこりと笑って玄関を出て行った。


 千斗星が言っていた。対艦訓練もあるから久しぶりにFー2にも乗るのだと。二種類の戦闘機を操れるパイロットはそう多くない。

 千斗星はすごいよ。あの八神さんですら乗れないのだから。


(千斗星、私も頑張るからね!) 



 ◇



 千斗星が出掛けたあと、私は掃除や洗濯をして診察の予約時間に合わせて家を出た。するとちょうど官舎の門のところで、真姫さんに会った。


「天衣ちゃん」

「真姫さん。お出かけですか?」

「あ、うん。今、帰ってきたところだけどね」


 時間は十時を少し回ったところだった。もしかして八神さんを見送りに行ってきたのかもしれない。ここの夫婦は見ている方が顔が赤くなるほどラブラブなのだ。


「お見送りして来たんですか」

「んー。お見送り、ではないの……」

「えっ?」


 真姫さんは、なぜか少し気恥ずかしそうに目元を赤く染めて言いづらそうにしている。お見送りではない何か急用があったのだろうか。


「真姫、さん? 何かあったんですか」

「実は、ね」


 顔を真っ赤にしてうつむいた真姫さんに私は驚いた。八神さんと何かあったのかな。それとも、真姫さん自身に⁉︎


「真姫さん! 私で良ければ相談にのりますから、一人で悩まないでください!」

「天衣ちゃん。ありがとう。でも、悩み事じゃないのよ……その。えっと……」

「うん?」


 よくよく話を聞いてみると、真姫さんは八神さんを見送ったあと、朝一で病院に行って来たのだという。病院という言葉にドキリとしたけれどすぐにそれは喜びに変わった。


「本当ですか! おめでとうございます」

「ふふ。ありがとう」


 真姫さんは妊娠していたのだ。


「八神さん! 喜んだでしょう?」

「真司さんには、まだ言ってない」


 真姫さんは自分が妊娠しているかもしれないと何となく分かっていたそうだ。しかし、最近慌ただしい基地の事や、今回の訓練もあったので八神さんには知らせていなかったらしい。


「帰ってきたら、サプライズよ」

「サプライズ! 訓練から戻ったご褒美が妊娠報告って、最高ですね」

「ありがとう。あの人、すごく心配性だから言えなかったの」

「ふふ。何となく分かります。仕事にならなさそう」


 思わぬ嬉しい知らせに、心が温かくなった。こうやって家族が増えて、守りたい人が増えていく。それが私達の力になるのだと思った。

 今でも投薬治療を続ける私には想像がつかない。女性ホルモンのバランスを保つのも難しくて、定期的に来るべきものが来ない事もある。それでも随分良くなってきた。


「天衣ちゃん?」

「はい」

「まだ若いんだから、焦らないで。私の妊娠があなたの負担になって欲しくないから」

「真姫さん大丈夫ですよ。ミッションはひとつずつクリアですよ」

「よかった」


 強がりじゃなく、本当にそう思っている。

 この仕事も千斗星との結婚も叶えることができた。それだけで私には十分過ぎるほど幸せなこと。でも、いつか赤ちゃんは欲しい。千斗星にも父親になって欲しいから。

 でも、それには先ずやらなければならない事が沢山ある。だから焦らない。焦ってしまえば何かを仕損じる。


「天衣ちゃん、強いのね」


 ふんわり甘い香りに包まれた。真姫さんが私に抱きついたからだ。

 気のせいだろうか。

 彼女からはもう、母親のような慈愛が溢れていた。

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