第30話 航空幕僚長が動きます
やっぱり千斗星には言っておくべきだったんだ。もしも自分だったら、やっぱり同じような気持ちになってしまうもの。彼のことを一番に知りたいのに、他の誰かが先に知ってしまったら……。
また電話すると言われたけれど、その夜はかかってこなかった。
夜間飛行訓練は昼間と違って計器飛行が主になるので、神経が疲れるのだと聞いたことがある。空を高速で飛ぶ戦闘機ならなおさらだと思う。それでもスマートフォンを何度も確認してしまって、結局あまり眠れなかった。
私は彼にメッセージを送る。
―― おはよう。夜間飛行訓練お疲れ様でした。今から私も訓練です。今日もがんばります。
個人的なことで落ち込んでいる場合じゃないと、私は制服に着替えて部屋を出た。
◇
食堂で同僚と一緒に朝食を食べていると、教官が私達のテーブルにやって来た。いつもに増して表情の無い顔で。
「香川」
私はすぐに立ち上がり、敬礼をした。
「おはようございます」
「座ってくれ。ごめんな食事中に」
「いえ」
教官の話によると、資格取得者の表彰が行われるとのこと。その時の証書の受け取りを、私に代表で行かせたいという話だった。
「えっ、どうして私が? 他にも優秀な隊員がいると思うのですが」
「上からの命令だ。それに壇上にあがるいい機会だぞ。宜しく頼む」
「は、はい」
「あっ、危なく忘れるところだった」
教官は私にだけ聞こえるように、低い声で耳打ちをした。
「まだほかの隊員には言うなよ。その表彰式には空幕長が来る」
空幕長とは航空幕僚長の事で、航空自衛隊のトップだ。そんな雲の上の人がわざわざ来るなんて驚きだ。ましてや単なる資格取得の表彰式に来ることなんてない。ということは証書は幕僚長が授与するだろう。
「えっ、えええ!」
私は驚きすぎで、椅子を後ろに倒してしまった。
「香川さん。どうしたの? 大丈夫?」
「すみません。大袈裟に驚いてしまって」
「表彰式ってすごい。今回の試験は香川さんが女性で唯一だから、今年の空自のいいネタになるんじゃないかな」
「ネタって、やだなぁ」
今の航空幕僚長は確か――
航空幕僚長
有事の際は陸海と連携を取り、場合によっては海上保安庁へ影響を与えることが可能な、空自のトップツーを務めた方だ。
その方が現在の幕僚長に就任された。まさに現場を知り尽くした人物である。当然、防衛大学校は優秀な成績で卒業され海外留学経験もあり、何においてもパーフェクトでなければならない。
そんな
「広報から写真バシバシ撮られるわよ! アイドルね」
「いや、困ります」
「いいなぁ。香川さんモテまくりよ〜」
驚き過ぎて、同僚の話が全く入ってこない。今の私には「どうしよう」の言葉以外なかった。二年目にして恐ろしい任務を与えられたものだ。
まだ言ってはいけないって、千斗星にも言えないんだよね。
「どうしよう……」
そして次の日の晩、千斗星から電話がかかってきた。
「もしもし、千斗星?」
『天衣。昨日はごめんな。電話かけられなくて』
「ううん。気にしないで、夜間飛行訓練お疲れ様」
『あの、さ。天衣』
「う、ん?」
『おめでとう……要撃管制合格』
「千斗星、ありがとう!」
千斗星におめでとうって言ってもらえると、やっぱり嬉しい。誰から言われるよりも嬉しい。でも、もう隠し事はしたくない。今回のことで、何かあれば真っ先に千斗星に言おうって思った。
だけど言ってはならない事が、これからの方がきっと増えるんだよね。
自衛官には、家族にも配偶者にも口外してはならない守秘義務がある。国家機密に触れた仕事をする人たちなら当たり前のことだ。
「あのね、今度、表彰されるの。代表で私が壇上に上がるんだよ」
『へえ! すごいな。いつだよ、見たいな』
「やだ、恥ずかしいよ。それにどうせホムペに載るし」
『あー、だな』
ここまでがギリギリなのかな。本当は空僚長がくるという一大事を共有したかったけれど仕方がない。
千斗星からは、お正月休暇に八神さんが会いたがっていた事を聞いて、変わらない彼の様子に苦笑した。
他のライダーたちは元気だろうか。一年前のバーティカルキューピットが懐かしくよみがえった。
◇
― 防衛省庁舎 ―
そのころ本庁にいる私たちは調整に追われていました。突然、幕僚長が小牧の証書授与式に出ると言いだしたからです。しかも隊員を本庁へ呼ぶではなく、自ら小牧に赴くなどいうものだから周囲はスケジュールの修正に大慌てでして……。
「ちょっと待ってください。証書授与でなぜ幕僚長が動かれるのですか」
航空幕僚長に意見を申す怖い者知らずとよく言われますのが、わたくし副官の
「私だってたまには外に出たいんだよ。防衛大臣とのやり取りは肩が凝るんだ分かるだろう?」
「しかしあなたが動くとなると、どれだけの準備が必要かお分かりでしょう?」
「だから私服で新幹線に乗るって言っているじゃないか。君だけついて来てくれればいいんだから」
「新幹線! なんと恐ろしい事を。
「ああ、いいな。T-4で行くか。君を後ろに乗せて」
「なっ......」
こんなことを言われて絶句しない人がいますでしょうか。我が航空自衛隊、航空幕僚長はなんとやんちゃなことか。
この部屋を出れば、鬼の仮面をかぶった指揮官と変貌するのに、自室に入れば毎度こうして私を相手にとんでない発言をするのです。
(それでストレスが軽減されているのならば、甘んじてお受けしますけれども……)
いくらわたくしが慣れているとはいえ、幕僚長が自らコックピットに座るとなると、さすがに影響が大きすぎます。
暁は過去、ブルーインパルスの一番機で飛行隊長を務めたほどの男です。戦闘パイロットとしてF‐15も操り、スクランブルも経験した現場の人間です。ゆえに、現役を退いても操縦桿を握りたくなるお気持ちは分からなくもないですが……。
その証拠に、今もお忍びで飛行時間を稼ぐために練習機に乗っているのです。操縦免許を返納する気はまったく見られません。
「航空幕僚長ともなると、さすがにそれは無理か」
「本当にご冗談はおやめください」
「とにかく小牧行きは決定だから。向こうには連絡済だよ」
「承知致しました」
どの世界も秘書のような立場の人間は、骨が折れるようになっているらしいですね。
「失礼します! 松島基地、斎藤司令がご到着です」
「はい、通してください」
香川天衣さんが春まで勤務していた、松島基地の司令を務める斎藤が暁に呼ばれてやってきたようです。
「ご無沙汰しております。暁空幕長殿」
「はははっ、止めてくれよシャープ」
実はこのお二人は古くからの友人なのです。暁がブルーインパルスの一番機に乗っていた時、斎藤司令は四番機に乗っていました。
暁のタックネームがゼール、斎藤司令はシャープというわけです。
「相変わらずですね、暁さん」
「人はそう簡単には変われないよ。君のおかげて楽しみが増えたしね」
「香川の事ですか。頼みますから苛めたりしないでくださいよ?」
「そんな事をするわけがないだろう」
香川天衣さんが要撃管制官と言う難関を突破したものですから、暁の機嫌はとてもよいのです。斎藤司令が面白い女性隊員を見つけたと聞いたときの暁といったら。死んだと思われた魚がよみがえったような状況でした。
「彼女が戦闘機乗りになれないのは残念だが、それ以上の収穫だと思うよ」
「ええ、まあ」
「斎藤くん。私は彼女をこの目で見てくるよ。楽しみだ」
「それは航空幕僚長としてですか、それも……?」
斎藤司令がそう言うと、暁は表情をすっと戻し真剣な顔で「両方だよ」と仰った。整った顔の真顔はとても迫力があります。現役時代を思わせるその声と顔に、斎藤司令は一歩あとずさってしまわれました。
「このことをご子息は」
「当然、言っていない。そもそも連絡がつかんのだよ。参ったよ」
「まだ、ですか」
「絡まった糸は、なかなか解けんな」
本当はもっとお坊ちゃんと近づいて、絡まってしまった糸を解きたいのでございます。簡単ではないと分かっていても、なんとかしてあげたいというもどかしい気持ちは今なお消えません。
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