港湾都市 Ⅹ


「クラーケンはワッチの専売特許なのになのに、なのになのにィ……」


 露骨にテンションが下がるさかな博士。


 彼が困っていると、水面が真っ赤に染まったあと、いくつもの水しぶきがあがった。


 リヴァイス・ケルベロスの分裂体だ。


「おや、うちのケルベロスが帰ってきたぞ」

「ぇ? ワッチのクラーケンは?」

「さあな」


 さかな博士は抱いていた人魚を、地面に落として、水辺に駆け寄ると「きゃあああああああ!」と悲鳴をあげる。


 魔術工房中央の水辺、その底にははズタボロにされたクラーケンが沈んでいたのだ。


「ば、馬鹿な……なぜ、陸上生物が、水中でクラーケンを倒せるるりゅゥ……?! おかしいおかしい、こんなのオカシイよ、おかしいもんッ! ワッチのクラーケン、もっと強いもんッ!」

「うちのケルベロスは、リヴァイアサンの細胞を融合させてる。泳ぎはイカより得意だ」


 さかな博士は顔に焦りを浮かべ「ワッチ、出撃ッ!」と空へ向かって叫んだ。


 アルバートはクラーケンや、リヴァイス・ケルベロス、ユウ含め、いくらでも彼を捕縛する手段を持っていたが、それはしなかった。


 彼が何をするのか興味があったのだ。


「ああああ! 神よ、ワッチが預言者だ、そうだよ、チミたちの末席をいまこそ救いたまへ、理路整然の癇癪をあたへたまへ!」


 彼がそう叫ぶと、いつのまにか消えていた白い発光物質が、再び彼に集まりだした。


 アルバートは怪書を取り出し、観察する。


 あれはなんだ。

 その正体を知りたい。


「む?」

 

 しかし、観察をしようとした瞬間、異変が起きる。

 さかな博士が、白い光に拒絶され、思いっきり吹き飛んでしまったのだ。


 同時に、アルバートの中に”誰かの記憶”が入ってくる。


 白衣に身を包んだ、若者たち。

 海にうちあげられた、綺麗で大きな魚、を興味深そうに観察している。


 「すごい、すごいィイ! エドガー、これは本物だぞ!」

    「神の世界から流れてきた……?」

      「本物のキメラ。左向きの模様。そうか、深海へ行こう!」

  「貴重なサンプルだ、保存溶液を準備しろ」


  「なあ、エドガー、君はどうするの? 話すの? お願いするの?」


   エドガーと呼ばれた精悍な青年は、腕を組み、思いついたようにつぶやく。


  「──似たものを作ればいいんじゃないか?」





    「「「「「「え……?」」」」」





 若者たちが困惑の視線をむける先、見覚えのある顔があった。


 アルバートはつぶやく──あの顔……俺だ。


「これは、おじいちゃんの、記憶魔術…? いや、似てるが、術よりも粗い……」


 アルバートは思考をめぐらせ、この記憶の意味を探る。


 だが、すぐにさかな博士の悲鳴に現実に引き戻された。


 彼は床に転がり、うめきながら、どくどくと溢れる真っ赤な血がしたたる左手首を押さえる。


「あああああああ! 手が、大事な、ワッチの左が……!? 何をしたんだ、貴様ぁぁあッ?!」

 

 【観察記録】の観察過程をキャンセルされた?

 しかし、さかな博士の意志で行ったようには見えない。


「エドガーから、もらった、大切な手が、ぁ、ぁ! ダメだ、ダメだ、二つないと……! 右回りと、左回り、両方ないとダメなのにぃぃい!」

「……ユウ、ティナを連れて離れてろ。場の魔力が不安定になってる」

「っ、ならばアルバート様もはやく、逃げた方がいいですよ!」

「俺は良い」

 

 ユウにティナを投げてパスして、代わりにいくつかの銀の鞄を受け取る。

 保険だ。


「さて、これで二人きりだ」


 アルバートは怪書に刻まれていく、新しいモンスター情報から視線をあげて、さかな博士を見やる。


 目の前のこの魔術師、怪物だ。人間じゃない。


「スーパーナチュラルはモンスターの名前か。で、あんたがスーパーナチュラルだったのか?」

「右だけじゃ、安定しないんだ」

「話、聞いてないな」

「チミのもそうだよ、その古本だって、右側だけ、じゃないか……!」


 右、左。

 これらの言葉には魔術的意味がある。


 左、理性。

 右、暴力。


 古本──怪書が右、つまり暴力。

 たしかに暴力装置のような性能だが……では、左はどこに?


 アルバートは思考を整理する。

 

「ひとつ、沖にどこからともなくやってきたクラーケン」

「殴るしかいないよォ~、殴るんだ、パーンッ、てね」

「ふたつ、人体変態させられた人魚、サメ男」


 乱暴に床に落とされたまま、見向きもされない人魚へ、無情の視線をむける。


「みっつ、俺のキメラ技術への執着、蔑視」

「しょうしょう、しょうだよォ、エドガーの劣化版など、式がなくても、棒だけあれば十分だぁよね? そうだ、そうだよねえ?」

「よっつ、古い記憶」

「ここで倒して、ボーナスステージだあ!」


 アルバートは怪書へ目線を落とす。

 描き出されたスーパーナチュラルという名の、さかな博士の挿絵。

 これがなにを意味するのか。


 はて、キメラとは何か。

 さかな博士は訳わからないし、記憶の中のキメラは不思議な魚だった。

 

 エドガーの「似たものを作る」とは、なんだ。

 キメラは彼の開発した合成生物のことだろうに。


 アルバートは別の可能性を考える。

 

 今となってはこの不思議な響きの言葉、それが自分の思っているものとは、本来まったく別の性質を持っているんじゃないかと──。


「まあ、いい。今考えても仕方ない」」

「アルバートくうん、ぶん殴りにきたよォォ、あーたたたたたッ、うりりりりりりrrrrrr──ぼごへェッ……?!」

 

 アルバートはがむしゃらに向かってくる、さかな博士を殴って気絶させた。

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