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「翻訳するということは、この本の中身であり内容を読むことに他ならない。どういうことか、体験した貴女にはわかりますね」

「住人寄りになるってことですよね」

 仄の言葉に麗鈴が静かに頷いた。

「囚われなければ住人に飲み込まれることはありませんが、住人との意思の疎通がしやすくなり、より囚われやすくなります。ですので、物語を担当する貴女は特にそのへんは気をつけて。感想など持たずにただ記号を解読する気持ちでやってください」

「研修の中で一番難しそうな内容なんですけど」

「ようは慣れなんですが、難しいとは思います。そうですね、本を始めから順に翻訳するのではなく、色んな場所からやっていくのもいいかも知れません。物語自体の流れがわからなければ感想を持ちようがないので、本当に暗号解読的な要素で出来るかも知れません」

「なるほど、いろいろ試してみます」

「そうですね、何事も経験です。何より貴女は経験をするほうが覚える方のようですし」

「……だからといって、今後あのようなやり方は勘弁してください」

「大丈夫ですよ、もう教えることはありませんので」

 肩を落として言ってくる仄に、口の端から小さく息を吐きだすように笑った麗鈴は腕時計を眺める。

「それではあと3時間ほど作業したら昼食をとり、その後作業再開で今日は17時で終了しましょう」

「えぇっ!?」

 麗鈴の言葉に驚き、目を丸くして麗鈴を眺めた。

 この研修期間中、17時で終わるなどという言葉を聞いたことがなく、というよりも、終わりという言葉を聞いてなかった。

 夜中まで作業をし、体と頭が睡眠を求めて朦朧としてくると麗鈴がため息交じりに、

「そろそろ限界ですか? では今日はここまでで。私は自分のエリアに戻りますので、あとはご自由に」

 と言い放つのだ。

 2日目のはじめにあのあとどうしたのかと仄が聞けば、平然と「仕事をしていましたが? 」と返され、この人に純度100だのなんだのと言われたくないと仄はしみじみ思った。 

 その麗鈴が17時で終えるなどというのだから、驚いて当然だろう。

「失礼ですね、そこまで驚くことでもないと思うのですが」

「いや、だって、研修最終日だからとことんまでやらされるのかと」

「そう、研修最終日です。貴女は見事に研修を3日で終わらせましたので、ご褒美に地上での食事をと思いまして」

「ほ、本当に!?」

 フレーバーは各種揃っていると言っても、全てが球体ゼリー状で、口に入れれば液体になる、食事とは思えない食事だった仄にとって、数日ぶりの食事が出来ると喜ぶ。

「えぇ、それくらいしても怒られはしないでしょう。我が部署には歓迎会のようなものは存在しませんし、ちょうどいいのではないかと」

「が、頑張ります!」

「……現金ですね。ふぅ、別の不安が出てきましたが、まぁいいでしょう。では、私はなるべく口出しはしませんので作業を続けてください」

「はい!」

 先程までどこか疲労感を出していたはずの仄が、やる気満々に仕事を始める。

 その姿に、多少不安をいだきながらもやらないよりはましかと、麗鈴はその仕事ぶりを見守った。

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