2章 2話 赤・青・黄色
「で、それがその鼻の原因ってわけか」
放課後。
悠乃から学校での出来事を話された赤髪の少女はそう言った。
少女――
「やっぱ悠乃さ。お前、男の才能ないんじゃねーのか?」
「男って才能に左右されるものなのかな……?」
仮にあるとしたら、悠乃の男としての素養は限りなくゼロだろう。
悔しいが、客観的事実として。
「もう。だからって悠乃君。怪我には気をつけないといけませんよ。顔に傷が残ったら、お嫁に行けなくなりますよ? でも良かった。わたくしの精神状態みたいに傷跡だらけにならなくて済みそうで」
そんな事を言いながら、金髪を尻尾のような三つ編みにした少女――
「そのフリはちょっと反応し辛いよ薫姉。あと、そもそも僕がお嫁に行くなんて可能性があったことに驚きです」
悠乃は重いため息を吐き出した。
蒼井悠乃には秘密がある。
五年前、朱美璃紗、金流寺薫子と共に魔法少女として世界を救ったという秘密が。
そして今も、《
蒼井悠乃はよく間違われるが、間違いなく男子である。
そんな悠乃は魔法少女として活動をしてきた。
そのせいか、悠乃は昔よりも女性的な容姿となってしまった。
声変わりも来ることがなかった。
不本意ながらも可愛らしい少女のような見た目になった悠乃は男性から何度も告白されることになった。
そんな経験から、悠乃は男性に対して苦手意識を持っている。
もっとも、小学生のころから内気で、交友関係の狭かった悠乃にとって親しくできる人間というのは限られているのだが。
「じゃあ悠乃も来たし。どっか行くか?」
そう璃紗が切り出した。
五年前に魔法少女としての務めを果たして以来、悠乃たちは離れ離れになっていた。
肉体的にも、精神的にも。
しかし、悠乃たちは魔王を失った《怪画》の残党軍を討伐するために再び集った。
それからはまた、以前のように集まって遊ぶことも増えたのだ。
とはいえ、学校も別々なので毎日というわけでもないのだが。
「今日はどこに行きますか?」
薫子がそう尋ねる。
悠乃たちが決めるのは、集まる日と場所と時間だけ。
そこからは適当に意見を出し合って決めるのだ。
「僕はどこでもいいかな?」
「わたくしが決めると大体カフェになりますからね。さすがにあまり頻繁に通っては太ってしまいますし」
「じゃあアタシが決めていいのか?」
悠乃と薫子に意見がないことを確認すると、璃紗はそう言った。
口ぶりからして、彼女には行きたい場所があるようだ。
となれば悠乃たちが否定するわけもない。
「璃紗が行きたいところってどこ?」
普段であれば璃紗が提案する場所はゲームセンターなどであることが多いのだが、今回彼女が提案した場所は違った。
「いや。久しぶりあそこに行きたいなーって思ってさ」
璃紗が一度言葉を区切る。
そして彼女が口にした名前は――
「……バッティングセンター」
「「へ?」」
璃紗が口にした場所は、もっとも彼女が行きそうにない場所だった。
☆
「璃紗さんって、バッティングセンターに通っていたんですね」
「まーな」
カキーンという甲高い音が響く。
そしてボールは飛んで行きホームランとなる。
「おおー」
悠乃は感心した表情で拍手する。
拍手の的は、ホームランを成し遂げた璃紗だ。
彼女は片手でバットを握り、完璧なタイミングでボールを打ったのだ。
「…………」
悠乃は璃紗の右手を見つめる。
朱美璃紗は右利きだ。
しかし、彼女がバットを握っているのは――
魔法少女としての活動を終えてから一年後――小学六年生の時に朱美璃紗は交通事故に遭った。
その際、右手に障害が残ってしまったことで彼女は好きだった野球をできなくなった。
以前はともかく、現在では彼女がこのような場所に通うことはないと思っていたのだが。
「ん? そんな辛気臭いツラすんなよ」
どうやら考えていたことが顔に出ていたらしく、璃紗が苦笑いする。
「まあ確かに、こういう所に行く気になれたのは最近になってからだけどな」
そう言って璃紗は右手を軽く振る。
彼女が何かを気負っているようには見えない。
怪我も、彼女にとってはなんらかの形で振り切ったものなのだろうか。
「ぶっちゃけ、片手でもその辺の奴らの何倍も上手くできるしな」
笑う璃紗。
考えてみれば、当然のことかもしれない。
悠乃たちは魔法少女として多くの《怪画》と戦ってきた。
目まぐるしく変化する戦場で、一ミリの差が明暗を分ける戦いを繰り返してきた。
それに由来する反射神経と動体視力に、彼女の野球をしていた経験が加わればこれくらいは簡単なのかもしれない。
実際、傍らにいる悠乃の目には、飛んでくる野球ボールの縫い目まで見えている。
「悠乃もやってみるか? 結構面白いぞ」
「え?」
璃紗にバットを渡され、わずかに戸惑う悠乃。
悠乃はあまりスポーツをしない。それこそ授業で少し触れるくらいだ。
さらに言えば、悠乃は授業で野球を選択しなかったため、ルールは知っていても自分でやったことはない。
「まあ……やってみよう……かな?」
おそるおそる悠乃はバットを受け取る。
せっかくの機会である。挑戦してみるのもいいだろう。
一発でホームランを決めた璃紗が格好良く見えたのも一因である。
「こう、かな?」
璃紗の姿を意識して、悠乃はバットを構える。
若干窮屈にも思えるが、そんなものなのだろう。
「ああほら。悠乃、手が逆だぞ。それじゃ振りにくいだろ」
悠乃の構えから、彼が完全な素人であることを察したのだろう。
璃紗は彼の姿勢を矯正する。
――悠乃の背中に密着しながら。
まるで二人羽織のように璃紗は悠乃の背中にくっつく。
そして彼の腕へと手を伸ばし、正しい構え方を教えている。
しかし、璃紗の指導はまったく悠乃に届いていなかった。
なぜなら――
「ッ、ッ~~~~~~~~~~~!」
悠乃は自分の顔が赤くなるのを自覚した。
原因は、背中に当たる柔らかい感触だ。
感触の正体は、璃紗のふくよかな胸であった。
璃紗の胸部は平均など遥かに凌駕した爆弾だ。
柔らかいのに、それでいて重厚な触感。
免疫のない悠乃にとってはあまりに刺激が強すぎた。
「っと……こんな感じだな」
幸いにして、璃紗は指導に夢中で悠乃の反応に気がついていなかった。
もし気付かれていたら、悠乃は羞恥で走り去る羽目になっていただろう。
すでに恥ずかしさで内心悶え狂ってはいるが。
「じゃ、一発いっとくか」
「ハ、ハイ。いっちゃいます……」
緊張でほとんど何も分からないままに返事をする悠乃。
璃紗が離れて初めて、もうすぐボールが飛んでくるということを彼は理解した。
先程までの煩悩を忘れるため、悠乃はボールが飛んでくる位置を睨んだ。
「――――!」
ボールが発射される。
「ッ」
人間とは見栄を張る生き物である。
無論、悠乃も例外ではなく、彼の中では一回目で成功させたいという思いがあった。
やはり唯一の男子として、無様な姿は見せたくないのだ。
これまで散々見せてきたという事実は気にしない。
見えている。ボールは縫い目まではっきりと見えている。
ボールの回転も、描くであろう軌道も。
100キロ前後の球速など、見切れぬはずもない。
あとは未来の弾道をなぞるようにスイングするのみ。
そして――それに失敗した。
「ぎゃぅ」
悠乃の振るうバットはボールのわずかに上を薙ぎ払い、遠心力に引っ張られたまま彼は地面に転がった。
考え得る限りもっとも無様な失敗である。
彼に不幸があったとすれば、彼には得物を両手で振るうというスタイルが根づいていないことであろう。
魔法少女としての悠乃は、両手にそれぞれ氷銃と氷剣を持つ。
両手でも長物を振るうという動作自体に不慣れなのである。
そしてなにより――
「なんつーか……。すがすがしいくらいにセンス劣化してるな……悠乃」
五年間の月日のうちに、悠乃が戦闘技術のほとんどを失ってしまったことが最大の原因であろう。
いくら慣れていなくとも、全盛期の彼であればその程度の誤差はその場で調整できたはずだ。少なくとも、体が流れて転ぶなどありえない。
「つ……次は本気出すから……」
「ゆ、悠乃君がわたくしみたいな駄目人間発言を……!」
ゆらりと立ち上がる悠乃を、同志を見つけたかのようなキラキラした瞳で見つめてくる薫子。
スルーする。
「まあいーけど。怪我しないように気をつけろよー」
「次は打つ……!」
リベンジ宣言と共に悠乃はバットを構えた。
もちろん、璃紗に教わった通りの構えである。
「悠乃君にスルーされてわたくし鬱です」
「ほれほれ。薫姉はアタシと一緒に見ていような。一緒に、だ」
「一緒ですか。なら、わたくし寂しくありません」
そんな会話をバックサウンドにして、悠乃は目を閉じた。
そして――精神のスイッチを切り替える。
遊びモードから、真剣勝負の状態へと。
「打ち取るから……!」
射出されるボール。
軌道は同じだ。
だから悠乃は、顔色一つ変えずにバットを振るった。
軽快な音。
「――ホームラン……!」
ホームランを達成したことを確認すると悠乃は身を翻す。
心が戦いのから、日常へと戻ってくる。
すると溢れ出したのは圧倒的な歓喜だ。
「ねえ璃紗! 薫姉! ホームランだよ! ホームランしちゃったよ!」
悠乃は跳ねるようにして喜びを表現する。
初めてのホームランは悠乃にとってそれほどまでに喜ばしいものだった。
「じゃあ、次はわたくしの番です」
薫子はバットを受け取ると、悠々と位置に着く。
「うふふ。わたくしにはよく分かっています。この流れ。完全にわたくしだけホームランを打てないパターンです。しかも、運悪く打球が顔面に当たるというオチ担当になるパターンです。……大丈夫です。わたくしの魔法なら大体の傷は治せます。一撃で死にさえしなければ――いや、もしかするとこの思考そのものがフラグなのではないでしょうか? うふふ。これは完全に今日死にますね。わたくし。ですが大丈夫です。わたくしの死など、人間という観点で見ればたかが数字の増減にすぎないのですから」
「ええっとぉ……やめとく?」
「いいえ、やります。ここで仲間外れになっては死んでも死にきれません。まあ、今から死にますけど」
「始めるのにすごい罪悪感があるんだけど!?」
薫子のネガティブな発言に、思わず悠乃は声を上げた。
なぜ要所要所でここまで後ろ向きなのか。
「じゃ、じゃあ……スタートぉ」
悠乃は構える薫子に代わり、ボールの発射をスタートさせた。
意外にも経験があるのか、薫子の構えは正確だ。
そして射出されるボール。
「お父様の馬鹿ぁ!」
「「……ん?」」
結論として、薫子のスイングはボールを捉えた。
ホームランとはいかないが、確実に狙ってボールを叩いていた。
もっとも、薫子の叫びに気を取られ、悠乃たちはボールの行き先をそれほど見ていなかったのだが。
「お母様の馬鹿ぁ!」「わたくしだって必死に頑張ってるのにぃ!」「みんなの……馬鹿ぁ!」
日頃から鬱憤が溜まっていたのだろう。
薫子は普段からは想像もつかないほどに声を張り上げ、バットを振り回す。
そしてそのすべてがボールを正確に打つ。
案外、以前にバッティングセンターを訪れたことがあったのかもしれない。
「……な、なんか叫びが闇深いんだけど……?」
「……気にすんな。ストレス発散に来てるんだからさ」
「そ、そーだねぇ……」
遠い目で悠乃たちは薫子の悲しい背中を見つめているのであった。
「ラスト一球! ぶっ飛ばしてやります……!」
最後にホームランを狙ったのかもしれない。
薫子は一際大振りなスイングでボールを狙った。
しかし、こういう動作において不必要な力みは毒となる。
「ッ」
惜しくも、バットはボールを掠めるにとどまり、ボールを打つことは叶わなかった。
そして薫子は勢いに乗って、最初の悠乃のようにその場で一回転する。
違う点は、悠乃のように転ばなかったことだ。
完全にバランスを崩すことなく反射的に体勢を整えるあたり、さすが歴戦の魔法少女だった過去を持つ者といったところだろう。
そう。スイングを外しこそしたものの問題はなかったのだ。
――薫子が着ているのが制服が……
「ッ~~~~~~~~~~~~!」
悠乃は見てしまった。
薫子の下半身を覆い隠していた花弁が広がる瞬間を。
スカートの裾がメリーゴーランドように回り、その奥に普段は見えない布地を露出させた瞬間を。
決して年齢不相応な下着ではない。
背伸びした妙に露出の多い下着だったわけではない。
逆に、子供っぽいデザインの下着だったわけではない。
ただ、年齢相応な――レースがあしらわれた上品な下着に悠乃は目を奪われた。
ふわりと花弁が閉じてゆく。
スカートの中にあの下着は消えていった。
しかし、あの下に何が存在しているのかを――悠乃は知ってしまったのだ。
「あわわわわわわわわわわわわわわわっ」
悠乃は壊れたように意味のない言語を発し続ける。
「み、見たんですかぁ……!?」
あまりにも見え見えな彼の反応から、薫子も自分の下着が目撃されてしまったことを理解したのだろう。
薫子の顔色が青に、そして次は赤へと変移した。
「「ッ、ッ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」」
悠乃と薫子は同時に悶絶し、その場に座り込んだ。
二人の顔はリンゴよりも赤い。
「み、見たんですねぇ~~~~~~~!?」
「あわわわあわわわわあああああわわああああああ」
薫子は下着を見られた羞恥に。
悠乃は意図せずして見てはいけないものを見てしまった羞恥に。
互いはそれぞれに恥じらいながら悶えるのであった。
「――ふむふむ。薫嬢はなかなか良いパンティを履いているのだね。お上品な感じが、実に朕好みである。チン好みと言い換えてもいい」
「ふぇ?」「あぁ?」「へ?」
突如聞こえてきた第三者の声に、悠乃たちは各々驚きの声を漏らした。
さっきまでここには他の客はいなかったはずである。
悠乃は周囲を見回し――見つけた。
薫子の足元で、顎を触りながら頷いている豚猫を。
白い体毛に、妙にファンシーなアロハシャツ。
でっぷりとした腹に、体のサイズとは不釣り合いな小さな翼。
それらを携えた猫が薫子の足元で直立していたのだ。
「ふむ……。業務連絡のためにこちらに来たのだが、良いパンティを見られて眼福であったな。今日も
その豚猫――イワモンは悠乃たちにとって見覚えのある存在であった。
蒼井悠乃たちに魔法少女としての力を与えたマスコット。
五年前の戦いの終結とともに世界を去り、残党軍の台頭とともに再びこの世界に舞い戻った者。
そして、残党軍の将軍を名乗っていたレディメイド討伐と同時に、この世界から離れていた存在。
もう一生会うことはないかもしれないと思っていたイワモンがここにいた。
「ふむ。晩御飯の
状況を理解できていない悠乃たちを置き去りに話し始めるイワモン。
硬直した悠乃たち。
その中で最初に動き始めたのは――薫子だった。
もっとも、正気を取り戻したとは言えないのだが。
「や、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
薫子は悲鳴をあげ、バットを振り上げた。
その光景を見て、さすがにイワモンも焦ったのか両手で彼女を制する。
「ま、待つのだ薫嬢! SMプレイとは両者の合意と適切な手加減があって初めて成り立つものなのだァァ!」
「見ないで見ないでわたくしを見ないでぇぇぇ!」
おそらく、それは今日のベストスイングだったことだろう。
薫子が振るったバットは完璧にイワモンを捉え――彼方へと吹っ飛ばした。
そのままイワモンは壁へと叩きつけられ、床に落下した。
「ホームランだな」
そんな璃紗の声が静まりかえったバッティングセンターに響くのであった。
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