2章 1話 急務。男子の尊厳を取り戻せ。
昼下がり。
とある高校の体育館。
少年――
体育の授業として、バレーボールに取り組んでいるのだ。
「ふぅ」
悠乃は頬の汗を拭う。
彼はあまり体力のあるほうではない。
いや。見栄を排していうのであれば、確実に平均を下回っている。
それは見た目だけでも察することができる。
肩まで伸びた青髪。少女のような可憐な顔立ち。
背丈は同世代の男子の肩までしかない。
体つきも華奢で、筋肉量が少ないことなど言うまでもない。
「ゆ、悠乃たんの汗……」「オレ。もう男でも良い……いや、男だから良い」「悠乃たんの性別は悠乃たんだ」「……なぜだろう。女子のコートが全然気にならない」
「……………………ぉふ」
背後から聞こえてくる声に悠乃は小さな声を漏らした。
最近自覚したことなのだが、彼はクラス内でも男子として見られていない。
確かに、男子から告白されたことがあった。
――きっと極々一部のすさまじくニッチな方々なのだろうと自分を納得させていた。
なぜか悠乃がいるのに女子がいきなり着替え始めた。
――自分の考えていた慎み深い女の子像は結局のところ男子特有の妄想なのだろうと自分を納得させた。
しかし、最近になって認めざるを得なくなったのだ。
自分は男子として認識されていない。
むしろ女子扱いを受けていると。
「ぬぬぬ……」
ゆえに悠乃は決意していた。
自分が男であることをクラスに知らしめようと。
男=スポーツ!
そんな安直ともいえる思考の下、悠乃は自分が体育で活躍すれば、蒼井悠乃が男であると誰もが認めると考えていた。
そう自分を思い込ませることにした。
「悠乃。凄い汗だな。大丈夫か? ブラとか透けてないか」
「透けるどころか着けてないです」
悠乃は隣から聞こえてきた声にそう返す。
彼に話しかけてきたのは、悠乃にとって貴重な男友達である
悔しいことに悠乃とは正反対の、スポーツができる男である。
若干チャラいが、度重なる告白事件によって男性不信気味の悠乃でさえも抵抗なく話せるくらいに気さくな人物だった。
「悠乃。お前も高校生なんだ。いくらAとはいえ、ブラは必要だぞ。でないとクーパー靭帯が伸びきって将来――」
「着けてないんじゃなくて、着ける必要がないの! だって僕、男子ですから!」
悠乃は胸を張ってそう言った。
堂々たる男子宣言である。
それを見て、なぜか玲央はやれやれと額に手を当てて首を振る。
何が不満なのか。
「――いいか悠乃? 悠乃が
「うがぁぁー!」
全然信じてもらえていないという事実に悠乃は雄叫びを上げた。
雄叫びには『雄』という漢字が入っているのでこれもまた男らしいはずだ。
もっとも悠乃は変声期を迎えることがなかったため、可愛らしい声しか出ないのだが。
「うんうん。分かってる分かってる。口ではそう言っていても、オレの気遣いは悠乃の心にきちんと届いているんだろう?」
「全然信じてもらってないよねコレ!?」
悠乃はその場に崩れ落ちそうになる。
若干ながら涙目である。
とはいえ、男子は涙を見せないものである。
悠乃は汗を拭うふりをして涙を拭き取る。
もちろん体操服の袖でワイルドに、である。
「ほら。悠乃。そんな乱暴に涙なんか拭いたら肌に良くないぞ。ちゃんとハンカチ貸してやるから」
「実は玲央も大概女の子っぽいよね!? 男には真似できないレベルの気配りだよ! ちゃんとハンカチも綺麗にアイロンかかってるし! ちょっと良い匂いだし! あと地味に涙拭いてたのバレてる!」
悠乃は頭を抱えるのであった。
泣いていたのがバレているとは恥ずかしすぎる。
羞恥で悠乃の顔面は真っ赤に茹であがっていた。
「それにしても悠乃。ちょっと今日おかしくないか? 具体的には、無自覚な小悪魔が、ちょっと自覚した小悪魔みたいになってるぞ?」
「それどういう意味かなぁ……?」
うんざりしながら悠乃は問いかけた。
とはいえ玲央の言葉も事実だ。
今日の悠乃の行動は周囲からは奇異に映っただろう。
しかしそれでいい。
蒼井悠乃は決めたのだ。
自分が男子であることをクラスメイト達の脳髄に叩き込んでやる、と。
☆
時間はわずかに巻き戻る。
悠乃が『自分、男子ですから作戦』の実行を決意したのは、体育の授業が始まる直前のことだった。
現在、悠乃たちは体操服へと着替えている。
その時、悠乃は周囲を観察していて気付いたのだ。
男子は皆、堂々と服を脱いでいるということに。
悠乃のように上着を最後まで脱がず、服の中でコソコソ着替えるなどという小賢しいことをしてはいないのだと。
自分以外の男子は堂々と上半身をさらし、筋肉を見せびらかしているではないかと。
悠乃の脳裏を電流が走った。
自分が男らしくなかったのは、そういう振る舞いなのだと。
「ふふふ」
それが分かれば簡単である。
悠乃は制服を一気に脱ぎ去った。
ちょっと恥ずかしいのでシャツだけは残している。
ともあれ、今の悠乃はかなり男らし――
「ぶぶふっ!?」
――なぜか、クラスメイトの一人が鼻血を噴いて倒れた。
「竹内が死んだ!」「竹内は男子高出身だから女子に耐性がないんだ!」「しっかりしろ竹内! 口癖の『オレ柔道部だから胸なんて見慣れてるんだ。男のだけどな』はどうしたんだ! 応用しろ! 男の胸から女の胸へと認識を応用するんだ! そうすれば死にはしないはずだ!」
「…………」
――とんでもない扱いを受けている気がする。
「……悠乃」
遠い目をしている悠乃の肩に玲央が優しく手を乗せる。
彼は紳士のような柔らかは微笑みを浮かべ、自分が来ていたジャージを悠乃の肩にかけた。
「私の服でよろしければどうぞ」
「……いや。暴漢に襲われて服を脱がされた女の子を気遣う紳士みたいな対応はいいから。僕は着替えるために自分の意志で脱いだだけだから」
「君は強い人だ。気高く。そして美しい。いくら体を穢そうとも、君の心を穢すことは誰にもできはしないことだろう」
「ねえ。なんで僕、襲われちゃった後みたいな感じにされてるの? 襲われても気丈に振る舞い続ける女の子みたいな扱いを受けてるの? あと僕は穢れてないし、穢されてもいない。穢れてるのは玲央の心だよ」
「ふ……。男は誰しも人に言えない性欲という名の穢れを背負っているのさ」
「言ってるよ。穢れの正体が性欲だって白状してるよ」
ニヒルな笑みを浮かべる玲央をジト目で睨む悠乃であった。
ともかくとして、男らしく服を脱ぎ去ったとしても、自分が男子である事をクラスメイトに教えこむことは難しいことが分かったのである。
☆
やはり男とは重い荷物を運ぶものであろう。
そんな結果に行き着いた悠乃は、誰よりも先に体育の授業で使う道具を取りに走った。
悠乃は体育館倉庫の中から、今日の授業で使うものの中でもっとも重いであろう物を探す。
今日の授業で行うのはバレーボールだ。
そうとなれば、ネットを張るためのポールが必須となる。
金属の棒を颯爽と持ち上げる。
これは男子である。まぎれもない男子だ。
誰が否定しても悠乃だけは男子だと信じている。
「よいしょっと」
悠乃は急いで鉄棒に手を伸ばす。
そして持ち上げようと力を込める。
「おっとっと。意外と重い」
若干ふらつきながらも悠乃はポールを持ち上げる。
これも蒼井悠乃=男子の方程式を証明するためである。
悠乃は千鳥足ながらも確実にポールを運ぶ。
――ガツン。
「あ」
しかし、重心が崩れた際に、ポールが壁に当たってしまった。
「ぬ?」
「……あ」
しかも間が悪い事に、悠乃が壁に鉄棒をぶつけた瞬間を教師に目撃されていたらしい。
――悠乃たちの体育を指導している先生はかなり怖いことで有名だ。
二メートル近い身長に、日焼けした肌。そして角刈りの頭。
生徒指導も行っていることもあり、彼の怒鳴り声を聞くと失禁しそうになってしまうのは悠乃だけではないはずだ。
そんな彼に、今の光景を見られてしまったのはまずい。
悠乃は顔を青ざめさせ、震えた。
「あわわわわわわわわ」
「蒼井か」
はい。顔面青いです。
などと冗談が言えるはずもなく、悠乃は高速で頭を上下させた。
ゆっくりと男性教師が歩み寄ってくる。
身長差からくる圧倒的な威圧感。
男性恐怖症もあいまって、すでに悠乃は半泣きであった。
「……まったく。男子は何をやっているんだ。蒼井一人にこんな重い物を持たせて……。蒼井。それは先生が持とう」
「あ、ひゃい……」
教師に促されるまま、悠乃はポールを渡す。
すると筋骨隆々の見た目を裏切ることなく。彼は片手で簡単にポールを持った。顔色一つ変えていない。
この光景を見ると誤解を生むかもしれないが、目の前にいる男性教師は本来であれば道具の準備を手伝ってくれるような性格ではない。
むしろ「タラタラせずに早く準備しろッ!」と厳しく叱りつけるタイプである。断じて優しく荷物を肩代わりしてくれる人ではない。
「蒼井」
「ひゃ、ひゃい……!」
悠乃は体を震わせた。
もしかすると「学校の備品は丁寧に扱え」などとポールを壁に当ててしまったことを怒られるかもしれない。
注意されたとしても、まったくもって正論なのだが。
しかし、男性教師の口から出たのは、悠乃の悲観的な予測を完全に裏切るものだった。
「確かに男女問わず、人生においては一人で頑張らねばならない場面はある。だがな、力仕事くらいは男子に頼っていいんだぞ」
「は……はい?」
「ま、そういうことだ。早く行かんと授業に遅れるぞ」
「え、えぇ……」
スタスタと歩いてゆく男性教師。
その大きな背中を見て、悠乃は思うのだった。
「――僕って、先生たちからも男子として見られてないの?」
☆
そんな出来事を経て、今に至るわけなのである。
そして、悠乃は決意していた。
結局のところ、モテる男子というのはスポーツで強い男子である。
言い換えれば、スポーツで強いということは、男性的魅力があるということなのだと推測できる。
つまり、悠乃がスポーツで活躍すれば、彼が男子であることを誰も疑わないはずなのだ。
「よし!」
試合開始のホイッスル。
悠乃は腰を落として構えた。
試合は悠乃のいるチームのサーブから始まった。
相手チームは危なげなくサーブを上げ、攻撃へと移る。
――悠乃はチームの中でも前列に位置している。
つまり、ブロックも仕事の一つである。
相手チームのスパイカーが飛びあがり、伸ばした手をしならせてボールに叩きつける。
「とりゃぁ!」
実を言うと、悠乃は一般人よりもはるかに優れた動体視力を持っている。
だから視線の動きで相手の行き先を予測するなど容易い。
わずかな筋肉の脈動から、相手のスパイクがどの方向に飛ぶのかを読むことだって可能だ。
ゆえに、悠乃は完璧なコース予想に従って、最善の場所に最高のタイミングでブロックに跳んだ。
――結果として悠乃の読みは当たっていた。
問題があるとすれば三次元――残念ながら、悠乃の身長ではボールに手が届かなかったことだ。
「…………」
悠乃は頭上を抜けてゆくボールを無表情で見送った。
ボールについた汚れまではっきり見えるのが逆に腹立つ。
――そのまま相手のスパイクは決まり相手チームの点数となる。
ローテーションが一つ進み、悠乃は後列へと移動した。
今度は相手のサーブから試合が始まる。
「あ、やべ」
飛んでくるサーブを悠乃の隣にいた男子生徒がレシーブする。
しかし受ける角度が悪かったのか、ボールがあらぬ方向へと跳ねる。
高い放物線を描くボールは悠乃の頭上を飛び越えようとしていた。
「!」
一瞬の判断だった。
ボールの着地地点までに障害物はない。
悠乃の頭脳は『飛び込めばボールを拾える』という結論を導き出した。
「とりゃぁぁ!」
男は度胸という言葉を胸に、悠乃はボールの落下地点に飛び込んだ。
結果として、悠乃は間に合い、ボールは大きく跳ね上がる。
「ぶにゃ……!」
――悠乃の顔面ダイブという代償と引き換えに。
「痛たたたぁ……」
悠乃は鼻を押さえながら立ち上がる。
鼻血は出ていないようで安心する悠乃。
彼が試合の行方を見るために振り返ると――
「――この試合の結末は――お前たちの死だ」
チームメイトの一人が鬼の形相で敵陣にボールを叩き込むのが見えた。
明らかに鳴ってはいけない轟音とともに叩きつけられたボールは天井近くまでバウンドしてから床を転がった。
「お前たちは決して手を出してはいけない人に手を出してしまった」「宣言してやる。これから先、お前たちのボールは悠乃たんに届くことはない。一生な」「無論。お前たちもオレたちのボールに触れることはできない」
なぜかチームメイトが鬼気迫る表情で相手チームを睨みつけていた。
「ええ……。なんでそうなるのぉ……。ていうか、僕までボールに触れられないなら、僕がいる意味ないじゃん……」
「スポーツでも姫プレイとは……さすがだな」
「感心しないでよぉ」
隣で興味深げに頷く玲央を横目に、悠乃は肩を落とすのであった。
なお、彼らの宣言通り、それから悠乃は徹底的に守られ、一度たりともボールに触れることは叶わなかった。
結論:男子になるって難しい。
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