2章 魔王が遺した絆

2章 プロローグ アタシとお姉様のちょっと昔の話

「――どうしても1人で行くんですか……!?」

 静寂に包まれた城。

 少女は大理石の床を靴音を響かせて駆けた。

 視線の先にある小さな背中を引き止めるために。

「アタシを……! アタシを連れていってくださいお姉様……!」

 少女がそう叫ぶと、目の前にいた灰色の少女――グリザイユ・カリカチュアが立ち止まる。

 グリザイユ・カリカチュア。

 人間を食らい生きる種族――《怪画カリカチュア》。

 その中でも王族のみに名乗ることが許される『カリカチュア』という名字を背負う少女。

 そして、先代魔王がいない今となっては、グリザイユは少女――ギャラリーの主である。

 いや。それだけではない。

 まだ魔王を襲名する以前よりグリザイユはギャラリーにとって姉のような存在であった。

 そんな彼女が1人で死地に向かおうとしている。

 彼女が敗北するなど微塵も思っていない。

 一片の迷いなく信じている。

 しかし、理屈と心は必ずしも一致しないものなのだ。

 ギャラリーは泣きそうな表情でグリザイユに手を伸ばす。

「――それはならぬのじゃ」

 グリザイユは立ち止まると、ゆっくり振り返る。

 ドリルのように巻かれた灰色の髪が揺れた。

 グリザイユは神妙な表情でギャラリーを見つめてくる。

「今夜の戦いですべてを終わらせる。そして、最後に流れる血は妾のものでなければならない。そう決めたのじゃ」

「お姉様のためなら自分の血など、最後の一滴まで戦場にぶちまけてみせます! お姉様の血を、あんな奴らに一滴たりとも見せたくありません!」

 今日。我らが魔王グリザイユは宣言した。

 己一人で決戦に臨む、と。

 誰も王の勝利を疑わない。

 しかし、誰も彼女の言葉に賛同できなかった。

「お姉様が魔法少女ごときに後れを取るとは思っていません! それでも、万が一……もしものことがあるかと思うと――アタシは……怖い……!」

 ギャラリーはそう吐き出すと、視線を落とした。

 石造りの廊下には幾粒かの水滴が浮かんでいる。

 知らぬ間に涙がこぼれ落ちていたらしい。

「……ギャラリー」

 情の深いグリザイユのことだ。妹分の涙はさすがに効いたのだろう。

 彼女は困ったような表情を見せる。

(そんな表情が見たかったわけじゃないのに……)

 ただ笑って、これまで通りに生きていきたいのだ。

「お姉様。それなら……もう戦争なんてやめてしまいましょう。所詮、魔法少女が守れるのはあの町周辺のみ。、わざわざ戦う必要はありません」

 ギャラリーはそう懇願する。

 しかしグリザイユは難色を示した。

「妾は父上の遺志を継いだのじゃ。妾の戦いは、そのまま父上の戦いとなるのじゃ。――力及ばず負けたのであればまだ良い。しかし、逃げるわけにはいかぬのじゃ」

 ギャラリーは思う。

 魔王グリザイユは、先代魔王という呪いに侵されている。

 きっと望んだ戦いではないのだろう。

 しかし、託された想いが彼女の逃げ道を塞いでゆく。

 己の宿命に縛られ、好きな道を選ぶことさえ許されない。

 だからせめて、その道にギャラリーたちを巻き込みたくはないのだろう。

「分かって欲しいのじゃ」

 グリザイユはギャラリーの頭を撫で、そう語りかけてくる。

「それに、逃げるという選択が必ずしも妾たちの利になるとも限らぬ」

「?」

 グリザイユの言葉にギャラリーは首をかしげる。

 《怪画》であるギャラリーたちの敵――魔法少女は、向こうの世界ではでしかない。

 加えて、《怪画》は魔法少女たちの住む社会では認知されていない。

 そんな中、魔法少女は自由に《怪画》を追うことなどできないだろう。

 種族が一丸となって動ける《怪画》に対し、魔法少女は人間という種族の中のほんの一部でしかない。

 同じ種族であるはずの人間が――彼らが定めた決まりが彼女たちのフットワークを重くするのだ。

 《怪画》が全力で隠密行動に徹すれば、彼女たちの追跡の手が自分たちに届く確率はかなり低いだろうとギャラリーは予想していた。

「確かに、戦争をやめてここを離れれば、奴らと事を構える回数は劇的に減るじゃろう。しかし、なくなりはしない」

「それでも――お姉さまが傷つくことに比べれば些細です!」

「そうじゃろうか」

 グリザイユは廊下の窓に向かって歩く。

 外に広がるのは紫の空。

 見慣れた、彼女たちが住む世界だ。

「妾は、この戦いが長引けば負けるのは妾たちじゃと思っておる」

「!?」

 ギャラリーは言葉を失った。

 そんな後ろ向きな言葉をグリザイユの口から聞くとは思っていなかったからだ。

 彼女の知るグリザイユは無欠の存在で、弱音など吐かなかった。

 ずっと一緒にいたのに、これが初めて聞いたグリザイユの弱音だったのだ。

「父上との戦いにおいて、一瞬ではあるが魔法少女たちの力に変化があったと聞いておる。今とは比べ物にならぬほど強大な力を振るったと」

 ギャラリーもその話は聞いていた。

 先代魔王によって全滅の危機にさらされた魔法少女の衣装が変化した、と。

 まるで花嫁衣裳のような服を纏った彼女たちは、先代魔王と拮抗し、そして討ったのだと。

 あまりにも脈絡のない奇跡のような現象。

 ギャラリーは、それらの現象を神が起こした一瞬の煌めき――そんな不確定なものとしか捉えてはいなかった。

「妾は、いずれ奴らがその力を使いこなす可能性を危惧しておる」

「…………」

「今であれば、妾でも勝てる。しかし、奴らがすべての潜在能力を目覚めさせた時、妾では勝てぬかもしれぬ」

「…………」

「嫌なのじゃ。『あの時戦っておれば、皆を守れたかもしれない』と後悔をするのが」

 ――じゃから、分かっておくれ。

 そうグリザイユは言った。

 その目に迷いはなく、まっすぐだった。

 とてもではないが、彼女を説き伏せることはできない。

 妹分である自分の言葉でさえ、彼女の決意を揺らがせることはできない。

 ギャラリーはそう直感した。

「――なら、約束してください」

 ギャラリーは言葉を搾り出す。

 精一杯の泣き笑いを浮かべて、

「憎き魔法少女を討ち倒し、凱旋なさると」

「――誓おう」

 グリザイユは微笑みながら宣誓した。

「……!」

 やっぱりだ。

 彼女が約束をしてくれるだけでギャラリーの心は軽くなる。

 彼女の行く先に、自分たちの未来があるのだと確信できる。

 ギャラリーは心の中で万歳三唱をした。

 それほどまでにグリザイユに心酔しているのだ。

「思うに。ただ一点の違いを除いて、王と詐欺師は似ておる」

 グリザイユは指でピストルを作ると、ギャラリーに指先を向ける。

「多くの者に理想を語り、多くの者の未来をその身に背負う」

 彼女の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。

「一見似ておる両者の違いはそうじゃの……じゃ」

 グリザイユはピストルを撃つ動作の後、屈託のない笑みを見せた。

「妾は王じゃ。この誓いは、言葉だけで終わらせぬ」

 そんな言葉を残し、グリザイユはギャラリーの前を去った。



 ――それが、ギャラリーとグリザイユが言葉を交わした最後の時となった。

 人間たちの間ではグリザイユの夜と呼ばれる最後の決闘。

 矜持と矜持のぶつかり合い。

 最後に明暗を分けたのは奇しくも、グリザイユが警戒していた魔法少女たちの底力だった。

 今でもギャラリーの目に焼き付いている。

 ――マジカル☆サファイアの姿が。

 あの戦いを、ギャラリーの仲間であるレディメイドは『美しい』と評した。

 しかし、ギャラリーにはそう思うことができなかった。


(だって……あいつはお姉様を)


 ――殺したのだから。



「――またあの日の夢ね」

 朝日に照らされ、ギャラリーは目を覚ます。

 彼女は豪華なベッドに身を沈めていた。

 目を擦りながらも、ゆっくりとギャラリーは身を起こす。

「ちょっと前までは最低の悪夢だったあの夢をまた見たのね」

 窓から差し込む光を手で遮り、外の景色を眺める。

 グリザイユという主君を失くしてからも変わらずそこにある、いつもの景色だ。

「でも、もう大丈夫。アタシは知っている。お姉さまが生きていることを知っている」

 そうギャラリーは自分に言い聞かせる。

 ギャラリーは一部の有力な《怪画》と徒党を組み、残党軍として活動を行ってきた。

 すべてはグリザイユの仇を討つために。

 その想いが一瞬で吹っ飛んだのは少し前のこと。

 ギャラリーと共に将軍を名乗り残党軍を指揮していたレディメイドが死亡した。

 しかし、レディメイドは死の間際にギャラリーたちへと遺言を残していた。

 レディメイドは分身を作る能力を持っている。

 それを利用し、生命力をほとんど与えられていない――時間が過ぎれば消えるだけの分身を残していたのだ。

 自分が死んだとしても、自分が見聞きしたことをギャラリーたちに伝えられるように。

 ギャラリーたちにもたらされたものは二つ。

 一つは、最大まで魔力を充填された三つのキャンバス。

 そして、グリザイユが灰原エレナと名前を変えて生きているという情報だ。

 なんでも、グリザイユはあの戦いで生き永らえ、人間として暮らしているという。

 レディメイドはその事実に悲しみを抱いていたが、ギャラリーは違う。

「お姉様が生きていてくれた。お姉様が生きていてくれた」

 どんな形でも、グリザイユが生きていてくれたことを歓喜した。

「魔王としての力なんてなくても良い。家族というならその人間だって守っても良いわ。お姉様が死んでいた世界に比べれば、どんな世界だって美しい」

 ギャラリーは生粋の《怪画》だ。

 当然、人間だって食らう。

 いくらグリザイユが人間を食らうことをやめても、自分まで食事をやめることはない。グリザイユだって断食を強制はしないだろう。

 《怪画》としての本能を曲げる気はない。だが、グリザイユの家族だというのなら、その人間だけなら例外として取り扱うことに躊躇いもない。

 食いたければ、別の人間を調すれば良いだけなのだから。

 それくらいの手間でグリザイユが戻ってくるのなら安すぎる。

 グリザイユと再び一緒に暮らせる日々を妄想し、ギャラリーは微笑む。

「――今度はアタシがお姉様を守ってみせるわ」

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