第47話 願いが叶うまで

 アリスの継承に関わった人たちを弔った墓が森の中にあると聞いて、私は一人森に入った。誰に案内を乞わなくても、森の中には土を踏みしめた足跡が残っていて、私を墓のある場所へと誘ってくれた。杉森は冬でも青く張り詰めている。クリスマスイブの空は残念ながら灰色に濁り、空気はきんと冷たかった。黒いダッフルコートのポケットに手を突っ込んで歩いていると、遠くに墓石――ではなく、ぽつんと佇む人影が見えた。私の足は思わず止まり、

「拓真君」

 と、呼ぶともなしに呼んでいた。私の気配に気がついた拓真君は振り返って目を細め、「蓮兄さん……」と私の名を呼んだ。

 アリスの習わしに関わった人たちの墓は森の中でも特別開けた明るい場所にあり、こんな本曇りの天気でもぼんやりと霞んだ光が注いでいた。石碑の肩が淡く輝いている。

「ここがアリスたちのお墓なんだね」

 私が隣に立つと、拓真君は石碑に視線を戻し、小さく頷いた。

「明日、裕次郎さんが亡くなってから三ヶ月になるから、今日のうちにお参りがしたかったんです。明日は里奈さんが一人でお参りすると言っていたから、邪魔したくなくて」

「そっか……もうそんなになるんだね」

 拓真君は頷いた。

「裕次郎さんは孤独な僕を救ってくれた人でもありました。屋敷で僕に会うといつも散歩に連れ出してくれて、何でもない気安い話をたくさんしてくれて……。それだけで僕はここにいても大丈夫なんだと思えました。裕次郎さんから継承の種を受け取ったとき、僕は嬉しかった。やっとこんなに寂しいつらい気持ちから解放されると思って……。でも、まさか蓮兄さんが僕たちの代わりに犠牲になるなんて……信じたくないです……」

 拓真君は真水で洗ったような透き通った瞳をずっと石碑に向けていた。その引き締まって若く、まだ何も傷付き慣れていない細い肩に、私が掛けてやれる言葉などなかった。私の口から軽薄らしく飛び出したのは、継承とは全く違う話題だった。

「拓真君、アリスは僕と意思疏通するときには筆談をするんだけど、君と意思疎通するときにはそうではないよね。筆談じゃなくてもあの子の気持ちが分かるの?」

 拓真君は色々と背負いすぎて壊れそうな背中越しに小さく頷いた。

「全部が分かるわけではないんですけど、大体は分かります。表情で伝えてくれるから」

「それは、君たち二人が継承の種で結ばれたから?」

 拓真君は神経を尖らせて、どう答えようかと考え込むように目を細めた。

「きっとそうだと思います。裕次郎さんから託された継承の種をアリスに呑んでもらったことで、僕たちには絆が生まれましたから」

 私はアリスと初めて筆談をしたとき、『他のアリスはそうじゃなかったのに、どうしてわたしだけ笑ったり泣いたりするんだろう』と言われたのを思い出した。アリスが本当に人形のように感情を失っていたら、拓真君は心の底から嘆き悲しんだだろう。

「僕もいつか、アリスと直接意思疎通がしたいよ」

 私が石碑を撫でながら言うと、拓真君はじっと私を見た。

「蓮兄さんとアリスは、もう心が通い合ってると思うけどな」

「そうかな」

「だって、アリスは蓮兄さんのこと大好きだから」

 嬉しいのか照れ臭いのか、私の頬は無意識に緩んだ。

「慕ってくれるのなら嬉しいよ。アリスはね、一度でいいから僕の名前を自分の口で呼んでみたいんだって。『蓮お兄さん』って呼びたいんだって言ってた」

「……アリス……」

 拓真君は今にも涙を落としそうに顔を歪めた。そして思い切り私の方へ振り返って、念を押すように言った。

「蓮兄さん……。アリスの願いが叶うまで、僕たちのそばにいてくれるよね?」

「もちろん、そのつもりだよ」

 拓真君は将来自分が入るはずだった灰白色の石碑を見つめ、消えるような微笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る