第41話 恋心

 私は冷静さを失ったまま、半ば無意識に鞄からスマホを出した。

「蓮さんになら見せてもいいかな。他の人には内緒だよ」

 私はスマホのメッセージアプリを開いて裕次郎のトークルームの画面を見せた。あの日、死の間際まで『好きだよ』と伝え続けてくれたあのメッセージが今でも残っている。私はソファーの脇にしゃがんだままの蓮さんに隣に座ってもらって、画面を見せた。

「これは裕次郎が亡くなる直前に送ってくれたメッセージなんですよ。元々中学の同級生なんですけど、裕次郎がアリスの習わしを継承したあとに交際が始まって、亡くなるまでずっと付き合ってました。もう寿命が決まっていたから裕次郎も私との交際に慎重だったんですけど、結局付き合う道を選んでくれました。最後の最後までずっと、好きだよって言葉を言い続けてくれました。これは裕次郎からの最期の『好きだよ』って言葉なんですよ」

 私がスマホを差し出すと蓮さんはそれを受け取って食い入るように画面を見つめた。紅を引いたように綺麗に発色する唇がぐっと引き締められ、眼鏡のレンズには僅かにスマホの画面が映っていた。

「私にも」と、蓮さんは画面を見つめたまま言った。

「帰国を決めるまで付き合っていた人がいました。事情が事情なので付き合い続けるのは無理だと思って私から別れを告げましたが……裕次郎さんは、そうではなかったのですね……」

 蓮さんは「ありがとうございます」と言って私にスマホを返してくれた。長い指を膝の上で組み、そこに視線を落として糸を紡ぐように丁寧に言葉を紡いでいく。

「彼女は天真爛漫でとても明るい人でした。コンクールで何度も入賞するくらいピアノの才があって、私もピアノの勉強をしていたんですが、全く駄目で、私にとって彼女は雲の上の存在でした。あるとき、友人数人で学校のピアノを弾いて遊んでいたんですが、たまたま通り掛かった彼女と連弾することになって、それが契機で付き合いが始まりました。憧れの彼女と連弾して付き合いが始まるなんて、今思い出しても夢心地で信じられないような気がします。彼女は優しかった。裕次郎さんと同じように、ずっと私に好きだと言ってくれていました。彼女のことを思い出すと手足が震えます。嫌いになって別れたわけではないですから。できればずっとあの人と一緒にいたかった」

「蓮さん、とっても素敵な人と付き合ってたんですね」

 そう言うと、蓮さんははにかんだ笑顔を眼鏡越しに浮かべた。

「それはもう……私にはもったいない人でした。ですが、私はアリスの習わしを生み出してしまった父の血を引いています。呪われた血筋のことを思うと、彼女への未練は断ち切らなければなりません。私は朝永の血を一滴たりともこの世に残さないと決めました。裕次郎さんのように死の間際まで彼女に好きだと言い続けられたらよかったですが、果たしてそれだけで我慢ができるでしょうか。――完全に別れてしまうことしか私にはできませんでした」

 私は蓮さんの話を聞きながら手に持ったままのスマホをぐっと握った。

「……蓮さんは何も悪くないのにね。継承を生み出したのはお父さんなのかもしれないけれど、蓮さんがこんな目に遭う必要はないのに」

 蓮さんは悲しさの入り交じる複雑な笑顔を浮かべた。

「私を惜しんで下さるのは嬉しいですが、たまたま偶然、こうなってしまっただけです。自分のやるべきことから目を逸らし続けた罰が下ったに過ぎません」

 蓮さんは立ち上がって、今度は晴れやかな笑みを浮かべた。

「もう一度佳歩さんにお茶をもらってきます。おやつも一口催促してみますから、待っていて下さい」

 蓮さんは子供のようないたずらっぽい笑みを浮かべたままティーポットを持って応接室を出ていった。

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