第12話 偵察人
私は時間の許す限り朝永屋敷に通った。佳歩さんにはすっかり甘えてしまい、毎晩のように夕飯をご馳走になった。
「アパートは引き払って
そう言って佳歩さんは笑った。
妃本立の町を恐れ、逃げるように
だけれども、妃本立の片隅でこんな継承が続いていることを知りながら親元で暮らす気になんてなれるだろうか。もし家族に朝永屋敷との関わりを知られたらどう説明したらいいのだろう。何も説明できそうにないし、今の私には一人暮らしの方が合っている。
裕次郎が亡くなって二週間、この日も朝永屋敷に向かった。せっかくの土曜日だけれど日差しは少なく、降りそうで降らない厚い曇天が広がっていた。
いつも通り前庭に車を停めて屋敷に入ろうとすると、
「なぁ、あんた」
と、突然背後から声を掛けられた。驚いて振り向くと、短く刈り上げた髪を金色に染めた、私と同世代らしい男の人が睨むように私を見ていた。
何も答えずに棒立ちになっていると、彼はズボンのポケットに手を突っ込んで肩を揺らしながら私の目の前まで歩いてきた。細身だけれど私より頭一つ分背が高く、妙に威圧感があって壁のように感じた。
「あんた、ここら辺でよく見掛けるけどこの屋敷に詳しいのか?」
一体この人は誰なんだろうか。私が朝永屋敷に出入りしていることも知っているようだった。どう返事をしていいか分からず戸惑っていると、彼は声を潜めて質問を重ねた。
「あんた、朝永
『朝永蓮』――聞いたこともない名前だった。不思議に思って首を傾げると、「こんなところじゃ話もできないな」と彼は舌を打った。落ち着いてじっくり話がしたいと言うので、市街のファミレスに場所を移した。
「俺は
彼は席に着くとすぐに自己紹介をした。
「私は里奈です。朝永屋敷のみなさんにはお世話になっているけれど、蓮さんなんて人知らないわ」
「そっか……」
彼はソファーに凭れて溜め息を吐いた。
「朝永蓮って誰なんですか? 朝永屋敷の方ですか?」
そう訪ねると、彼は意外な返事をした。
「朝永蓮は朝永屋敷の息子だよ」
「息子?」
私は首を傾げた。
「朝永屋敷に息子がいたなんて聞いたことないわ」
「だから探してるんだよ。同級生にそんな名前の奴がいたはずなのに誰も覚えてないし卒業アルバムにも載ってない。俺の記憶が間違ってるんじゃないのかって思ったんで、ちょっと探ってるんだよ」
注文したコーヒーが届き、甘く香ばしい香りが立った。
「もしかしたら、佳歩さんに訊けば……」
と言い掛けて、私は口を噤んだ。
朝永屋敷の内情にそんな深いところまで足を踏み入れてもいいものだろうか。裕次郎と再会してから一年半の間あの屋敷に出入りしてきたけれど、息子の存在なんて微塵も感じなかった。私が知っている朝永屋敷の住人は、朝永家の当主と屋敷に引き取られた拓真君、そして使用人の佳歩さんだけだ。柊吾さんは私と似たような歳に見えるから、まだ十三歳にならない拓真君は、柊吾さんの言う同級生には該当しないだろう。
そもそも朝永家の当主は実子がいるのに拓真君を引き取ったのだろうか。蓮という人も養子なのだろうか。私には分からなかった。
柊吾さんは突然私にメニュー表を差し出した。
「あんた、顔が真っ青だけど大丈夫か? デザートくらいなら奢ってやるから選べよ」
私は慌てて首を振った。
「そんな、いいわよ。初めて会った人にご馳走してもらうなんて……」
「バニラアイスでいいだろ? 一番安いし、遠慮するもんでもないだろ」
ボタンを押して店員さんを呼ばれてしまい、私は呆然と柊吾さんを見つめた。
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