第7話 付き人の部屋

 僕の部屋がある東棟二階の一番奥にはアリスの付き人しか入れない部屋があった。付き人は種と一緒にその部屋の鍵も継承し、僕も習わしに従って裕次郎さんから鍵を受け取った。一つではなく、二つ。

 「どうして二つもあるんですか?」と訊ねると、「行ってみれば分かるよ」と言われた。

 僕の部屋は東棟二階の一番手前にあって、その奥には客人の泊まる部屋が二つ並んでいる。そんな造りだから、普段僕は廊下の突き当りまで行く必要がなく、廊下最奥左手側の壁に据えられた付き人の部屋に続く扉も遠くから眺めるだけだった。

 東棟二階の廊下は見慣れた風景でありながら、その奥には未知の空間が広がっている。慣れない空間に足を踏み入れるのは怖かった。二つの鍵を握り締め、滅多に足を踏み入れない廊下の最奥まで進み、左手側に待ち構える扉の前に立つ。

 ノブを回してみたけれど、鍵が掛かっていて開かない。試しに二つあるうちの切れ込みの深い方の鍵を差し込むと扉は開いた。

 真っ暗だったので電気を付ける。そこは部屋ではなく上り階段だった。不思議に思って上ってみると、最上段踊り場の左側にまた扉があった。やっぱり鍵が掛かっている。今度は切れ込みの浅い鍵を使った。

 かちりと解錠の音が響き、扉は静かに開いた。四畳半ほどの小さな部屋だった。東の壁に窓があり、北側にはベッド、西の壁には本棚と机があった。僕は電気を付けて部屋を見渡した。本棚に並んでいたのは歴代の付き人が記してきた日誌だった。当然、裕次郎さんが書いたものもある。亡くなったばかりの裕次郎さんの気配が目の前に感じられるのだと思うと鳥肌が立った。

 適当な日誌を選んで読もう思ったけれど、ここに書かれていることをきちんと受け止められるかどうか分からず、結局手に取らないままベッドに倒れた。

 ここには秘密が隠されている。誰にも言えなかった気持ちも少なからず書いてあるんだろう。僕が知ってしまってもいいのだろうか。

 付き人になった気持ち、アリスに種を呑ませた気持ち、明けては暮れる毎日の生活とそれに対する思い。たった二年で終わる付き人の使命。みんなどんな気持ちで生きたのだろう。死への恐怖、生きることへの執着は一切なかったんだろうか。みんなが歩んだ道を、僕もこれから歩んでいく。もし、怖くなったり迷ったりした時には、みんなの残してくれた日誌を見ればいい。僕は一人じゃない。付き人を継承した人が孤独にならないように、過去の付き人がこの部屋を残していってくれた。

 僕も今日から付き人の一員になった。書きたいことがあれば記していけばいいのだろう。僕のための日誌は机の上にきちんと置かれていた。僕も寿命が終わる頃になったら、次の付き人のために色々やらなければならないのだろう。裕次郎さんがやってくれたことを、今度は僕がやっていくのだ。

 僕は椅子に座って真新しい表紙を捲った。罫線だけが引かれた白いページが出てきた。僕は引き出しに入っていたペンケースからボールペンを取り出し、慎重に文字を書き入れていった。

『ついに僕も付き人になった。アリスは恐れることなく種を呑み、僕に微笑んでくれた。種を通じて大切な絆を得たような気がする。後二年しか生きられないけれど、一生懸命、この子を守っていきたい。』

 そう書いて日誌を閉じ、またベッドに横になった。僕はもともと屋敷の住人だからこの部屋がなくても不便ではないけれど、過去の付き人たちはアリスを待つ間、ずっとここに控えていたんだろう。

 色々なことを考えて、時にはここで一晩眠ることもあったのかもしれない。たった四畳半ほどの狭い部屋。僕の心の小ささと同じような気がした。閉じ込められた濃密な空気にぐっと体を押さえ込まれて不思議と心地良かった。このまま眠ってしまいそうだった。

「裕次郎さんがいなくなったなんてまだ信じられない。どうしていなくなってしまったんだろう。あんなに優しい人が……」

 考えなくたって答えは決まっている。優しいからこそいってしまったのだ。この人以外に種を託せる人がいなかったから。だからこの人が選ばれたのだ。

 里奈さんはまだ泣いているんだろうか。

 僕は今になって、ようやく目頭が熱くなった。

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