第11話 「イオ大亂」(5)

「……王様になられる?」

 王弟ユリウスの言葉に、しばしの沈黙の後、驚くでもなくいさめるでもなく、ただ無感動にその一言が彼女の朱唇からこぼれた。

 ユリウスは次の言葉を待った。あってしかるべきだったが、いくら待っても、彼女からそれ以上の反応はない。注ぎかけたまま静止していた酒瓶を、傾けなおしただけであった。

「イシュリーヌ……そなた、余の申したこと、理解しておるのか……?」

 ユリウスの問いに、イシュリーヌと呼ばれた彼女――彼の妻にしてイオの王弟妃、すなわちハデスの実の母である彼女――は、無言で酒杯を彼の手元へ置いた。温められたホータン酒が酒杯から湯気をたてていた。

「……イオは、しかるべき王をいだく時がきたのだ。カスバルの民が、ミルドの民が、いやイオのすべての民が求めている。余はその声に応えねばならぬ」

 興ののらなさげな妃に、ユリウスはおおげさな物言いをしたが、彼女は特に感銘もうけた様子ではなかった。

「むろん、わかっております殿下」慇懃な返答があったのみだった。「殿方のなさりように、どうして私めなどが賢しき口をさしはさむことができましょうか」

 口許にはかすかな笑みがあった。しかし感動がなかった。ただ口許が笑みを形どっているだけだ。

 挙措が美しかった。

 たおやかであった。

 あでやかであった。

 かつてはカスバルの聖女とたたえられ、今もなお衰えぬ美しさのイシュリーヌの瞳には、あどけない少女のような淡やかな光輝があったが、それは熱気をはらむものか冷たいものなのか判じがたい。

 胸の奥に不満に似た感覚がわく。

 彼が為そうとしていることが、まるでホーミー球技で馬上の騎士たちが目まぐるしく奪いあう鞠程度の、遊戯気分で手に入るたいして価値のないもの――その程度にしか思われていないのか?

 そのようなはずはない――と胸の中でその感覚をはらいのけた。身命を賭して挑もうとしている王座が、兄から簒奪しようとしているあの王座が、そのような軽いものであるはずはない。自分が――王弟という立場に、カスバル大公という地位に甘んぜられつづけてきたこの自分が、本来あたえられるべきであった王座を正当な者が手にしようとする偉業の重みが、価値が、なぜわからない。

 しょせんはおなごよ……と得心しようと思いつつも、伝わらぬもどかしさ、いらだちは失せぬ。

 ユリウスはイシュリアーヌの細腰に手をかけ、強引に引き寄せた。まるで逆らわぬ。一幅の絹を抱えこんだようなものだった。

 そのまま寝台に押し倒す。もどかしさ、いらだちと、焚きこめられた香とは違う彼女の芳香が彼の欲望を駆りたてていた。

 胸中を映しだすはずのその漆黒の双眸に、変化はない。イシュリアーヌは押し倒されたはずみに乱れ口許にかかった黒髪を、慎ましげに薬指で整えた。

 その仕草だけで、ユリウスのわだかまりが熔解した。


* * *


(イシュリーヌ、この威容を見よ!)

 不意によみがえったあの夜の、釈然としない記憶を振りはらうように、ユリウスは胸中でことさら勝ち誇ろうとした。妃が何と云おうと、自分の覇業ははじまっているのだ。

「街道筋はロイズ騎士団がかためておりますか、予想どおりでございますな、オルドロス殿が打ち破ればよろしいのですが……」

 本陣中に座を得ているリンドレイが、互いの陣を見やりつつ、したり顔で批評した。

「茶坊主のお主の見立てなど、役にもたたぬわ」

 アドモスがあざ笑う。ユリウスが来るまでの主将をつとめたこの舅の気位の高さは、しばし他の者を鼻にもかけぬ。

「よせよせ、こやつの調略のおかげで我らは楽ないくさができるのだぞ。見当はずれの陣読みぐらいは、大目にみてやれ」

「これは失礼を殿下。なれぬことはするものではございませぬな」

 リンドレイは血色のよい額に手をやり苦笑いした。ユリウスの下で諸侯の調略を冷徹にすすめたこの男は、こうしてみるとまるでむいた卵のようなひょうきんな容貌のゆえに、いかにも道化じみた様子に見える。

「まぁよい、はじめるぞ」悠然と指揮杖をふるった。「攻めよ、容赦いたすな」

 その命が伝わり、諸侯の隊が鬨の声をあげた。ユリウス率いるカスバルの土豪の連合軍は、幅広いが奥行きのある陣立てであった。小細工を弄するつもりはない。今回は緒戦とは逆であった。兵力の差は、王弟軍が倍である。両軍の距離がたちまちつまり、衝撃が戦場をふるわせた。

 カスバル側の先鋒は、むろんオルドロスである。愛用の戦混をかいこみ、先陣を駆ける。まっすぐに突っこむ先には、街道筋をかためるバーリンの隊があった。後背の柵列から充分に距離をとって展開している。

 オルドロスの性情そのもののような、強靭な一撃がバーリンの隊を襲った。一瞬、そのまま押しつぶされるかとも見えたが、思いのほか柔軟にいなし、よく持ちこたえた。オルドロスの戦混は、はやくも幾人もの兵卒を蹴散らす。それでもこのカスバル側の勇将を討とうと、幾本もの槍が繰りだされる。徒歩の兵同士が、激しく槍をあわせた。

 両者の真っ向からのぶつかり合いは、緒戦以来である。その際はオルドロスの強烈な攻めに、押しこまれた形となったが、今回のバーリン隊は崩れない。つづくいくさは、この若駒を確実に育てあげていた。

「やるな若造」

 オルドロスが不敵に笑う。しばし攻めるが意外に手ごわいバーリンに、オルドロスは時間をかけてじょじょに隊を右側へ展開していく。南から押しこもうという腹づもりだった。左へ廻りこもうとすると、味方で身動きがとれなくなる。むろんバーリンも、黙って側面から押しつぶされてるわけにはいかない。安易にはのせられないが、オルドロス隊の動きにあわせて、じょじょに左翼を広げていく。

 中央との連携が雑にならぬようにと気をつかっていたバーリンであったが、オルドロスにつられて左翼を伸ばした塩梅が、限度をこえてしまった。右翼が斜めに突出するような形となってしまったのだ。そのあたりの用兵は、オルドロスはたくみであった。年季の差であろう。バーリン隊の展開を見たラーソンが、思わず、いかんと叫んだ。

 街道筋と付け城の中間に布陣するラーソン隊に対しては、カスバルの有力土豪セロー公、リウム公、リュドウス公らが兵をすすめていた。いずれもカスバルでも指折りの強硬派であった。ユリウスがキーブルに入城したのを受けて参集したため、まだ兵は疲れをしらない。バーリン隊の側面を突いたのは、そのセロー公らの軍であった。バーリン隊が揺らぐ。

「モルドール騎士団!」

 ラーソンが叫ぶより早く、背後から二陣のバトキンが疾駆し、かなり強引に割りこんだ。バーリン隊の側面を突いたセロー公らが、今度は横槍を入れられた形となった。バトキンにつづいて、ラーソンも部隊を繰りだした。乱戦であったが、何とか押しもどす。

「よいところを抑えてくれる、おかげで楽になった」

 ひと息つきながらラーソンは感嘆した。バーリン隊が中央からひきはがされてしまうと、戦局はとてももたない。後方から抑えてくれるバトキンの存在は、ラーソンにはありがたかった。しかしそれでも、正面からむかってくるセロー公らの圧力は、簡単には軽くならない。

 一方、高台に築かれた付け城にとりついた一軍も、魔女の覆屋とも呼ばれる、イオ特有の重く枝のたれた樹々に身をかくしつつ進むが、モルが配した堀切や柵にはばまれ、思うように攻略できないでいた。

「何をしている、あのような小さなとりでぐらい、さっさと落とさんか!」

 城攻めの指揮をとるランティーヌ公が大声でどなるが、丘陵上の付け城は簡単に攻略できそうにない。それどころか、街道筋を攻めたてるカスバル側の隊が不用意に近づけば、寄せ集めであるカスバル側の隊のほころびを見つけ、一変してするどくそこを突いてくる。わずかな乱れに乗じて、付け城前に布陣した支隊も攻めたてる。ひと削りづつではあったが、カスバル側の脚止めにはなる。

 早朝からはじまった戦闘は、二刻をすぎても膠着したままだった。数にまさるカスバル軍が、地勢のせいもあって、充分に攻めきっていない。平野部から丘陵部へと移りかわる一帯であるため、大軍も全面に展開はできないことが、寡兵による防御を可能としていた。

「街道を奪え、横から突きくずせ!」

「狭すぎます、小隊しか展開できませぬ」

 いらだつユリウスを周囲の者がいさめるが、せわしなくどなる。

「何倍の兵を出していると思っている。落とせぬなどありえぬぞ!」

「先鋒を入れ替えます」と慌ててアドモスがとりなした。「こちらが切れ目なく攻めつづければ、必ずささえきれなくなります」

「オルドロスは何をしている!」ユリウスが叫んだ。「さっさと街道を奪わんか!」

 しかし街道筋に押しだしたオルドロスの武勇も、相手に堅く護られてしまえば、容易にふるうことができない。柵にはばまれた彼を討ちとろうと、歩兵が槍を突きいれるが、猛烈な咆哮とともに戦混をふるい、これを薙ぎたおす。あたかも大型の獣が、身震いをして夜露をふりとばすかのようであった。じりじりと押しあいとなった。このような愚直な力押しこそ、この男のいくさばたらきの本領であるであるが、今はその力を充分に発揮することはできぬ。

「オルドロスめ、できの悪い主君に仕えさせておくには惜しいぞ」

 付け城を守護するための命令をいっときの切れ目もなく出しつづけるモルが、敵方のオルドロスを遠目に見つつ、苦笑した。が、その視線はすぐに眼下にせまる王弟軍にもどる。

「カスバルの諸侯よ!」大音声であった。「叛神シグリウスの妄言にまどわされても、行きつくところはフブルの劫火のただ中だぞ!」

「ほざけ!」

 大剣を手にした攻め手側の将が、モルの挑発に大喝をかえす。

「貴公、名は?」

「ウォーデンのボーゼルだ!この城はわれわれがもらいうけるぞ!」

「そうか、ボーゼルとやら、ほしければ代金として首級を所望しようか」

 モルが手にした強弓をひきしぼる。矢音が鳴り、とうてい届きそうにないと思われた距離を飛来した一矢に首を射ぬかれたボーゼルが、斜面を転がりおちる。攻め手側がどよめく。

「その程度の首級では、安すぎるぞ」

 とモルが猛る。

「ボーゼルめ、無様なまねを!」

 下から見あげるランティーヌが、ののしり声をあげた。本陣からは、ユリウスが諸侯の戦功をうかがっている。他の連中より見劣りするわけにはいかない。しかしモルの常人離れした強弓に、前線はひるんでいた。

「なぜ落ちぬ!」

 その王弟側の本陣では、ユリウスが憤怒に顔を赤くしてどなった。

「この陣を落とせば、アンドレードまでひと息だ!」岳父のアドモスもまた、怒声をあげて鼓舞する。「一番槍は武功第一だ、ここで命をかけずにどうする、恩賞はおもいのままぞ!」

 遮二無二に攻めかる。数をたのんだ王弟軍は軍を入れかえつつ攻めたてたが、鎮撫軍側はよく護り、夕刻になってもついにとりでは落ちず、やむなくキーブルまで撤退をした。

 ユリウスの憤懣はやるかたなかった。眼前のとりでなど、半日とかけず易々と落城すると思っていたのだ。アドモスがてこずってきた一軍なぞ、鮮やかに攻略して、勢いにまかせて悠々と東進する心づもりであった。眼前のロイズ騎士団は、好餌であるように思われたが、触れればすぐに落ちなんの風であったあのような小さなとりでが、これほどまでに攻め落とすのに苦労するとは思ってもみなかった。

 しかし現実は、王弟の思うとおりにはならなかった。その日だけではない。三日つづけて攻めたが、数では劣るが丘陵と街道を連結させてモルがたくみに配した陣は堅固で、王弟軍につけいる隙をみせない。今回は寡兵ということもあり、正面からまともにぶつかろうとはしない。いたずらに兵を失うだけであった。

「見ためは処女でも、男を手玉にとる手管は、とんだ性悪女といったところだな」

 口の悪いバルバジアのゾーイなどは、そう云って鼻で笑っていた。その本人は先陣には立たず、のらりくらりと立ち回っているが、大土豪であり、この戦役に少なからぬ兵をつれてきている彼には、誰もなかなか口を出せない。

「イオ中の土豪連中が見ておりますぞ」

 主君にもきついことを口にするオルドロスが、渋い顔をしていた。落ちるまで何昼夜かかろうと遮二無二攻めかかるべきだと、云う。単純なこの男には、武勇で圧することが本手だと思っている。カスバル側の損失は少なくないが、護る側の鎮撫軍はそれ以上に消耗しているはずだ。手をゆるめずに攻めつづければ、必ずとりでは落ちるはずだと考える。

 そのようなことはわかっていると、ユリウスは不機嫌であった。しかし兵の消耗を厭う諸侯らは、そのような力押しを嫌がる。彼らの合力が必要なこの時、うまく手綱をとらなければいけないのだ。アドモスやランティーヌのような強硬派も、威勢のよいことを口にはするが、これといった打開策をもってはいない。

 このような小城に、てこずっている場合ではないのだ。このようなところで脚踏みをしていれば、支持する諸侯も見限ってしまう。それだけは避けねばならない。

 膠着させてはならない。諸侯の眼を見張らせ、兄の肝を冷えさせるような華々しい勝ちいくさが必要だった。


(つづく)

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