第3話 「シレーン廃殿の剣士」(後編)

 両者の間にあった間合いが、その瞬間消えて失せたかのようにマールは感じた。ただの一歩も動いてはいない。しかし両者の間に存在したへだたりが、ただひと呼吸で互いの生命を殺傷できるものへと、確かに変貌したのである。

 ピウスはやわらかい八双に、ユースチスは下段に構えている。

 強い若草の香りをふくんだ風が、静かにそよいでいる。廃殿は漠たる静寂に包まれていた。

「彼、強いですよ……」

 マールの隣に立つ傭兵が、低く云った。

「まことか?」

 マールは両者を凝視するが、ピウスの技量を知るマールには、若きユースチスが彼に匹敵するほどであるとは信じることができない。

 太刀を構えるユースチスの風貌は静かな焔のようであった。そしてまた、内に熱をたくわえた石のような硬さであった。

 両者は親子ほどに歳が違う。ともに中背で、むしろユースチスの方が小柄に見える。肉体に宿る力から云えば、若者の方が優っているであろうが、鍛錬の量も経験もくらべものにならない。野試合の経験もピウスは何度もある。道場で木剣を振るっているだけのお座敷剣術ではないのだ。

 両者の位置が、少しずつ変わっていた。ピウスを中心として、間合いを保ったままユースチスが徐々に右へ円を描いていた。長い時間をかけ、両者の立ち位置がまったく反対となった。

「――動きますよ」

 ネロスの言葉が終わる間もなく、両者が同時にすべるように動いた。

 その距離が一瞬でつまる。横殴りの一刀がユースチスの胴を薙ぐ。巻きこむようにして跳ねあげ――と返す刃がきらめき、両断する勢いでピウスの頭上を襲う。二本の太刀がからみ合い、激しく火花を散らす。二閃、三閃、また激しい金属音――同時に両者が跳び退り、再び同じ間合いをとり太刀を構える。

 まばたきをする間の、わずか一瞬の攻防であった。

「……強い」思わず感嘆の声をあげるマール。「若いのに、まるでひけをとらぬではないか」

「ありゃ、たいしたもんだ……まさかこれほどとは」

「お主、なぜわかった?」

「まぁ何となくです……それよりも気をつけておいたほうがいい。右手の木立、あやしいですよ」

 その言葉の意味を理解するのに、一拍必要だった。

「まさか……なぜそう思う?」

「あちらの立会い人の眼が、どうもあのあたりに泳ぐ。まず間違いなく伏せてますよ」

「そのような卑怯なまねを……決闘を汚すとはどのようなつもりだ!」マールは愕然とした。「あやつ、見損なったぞ!」

「はたしてあの男、知っているのですかね?」

 ネロスが眉をひそめつつ、ぽつりとつぶやいた。傭兵の視線の先には、ピウスと相対している若き剣士がいる。その意識はすべてがピウスに注がれ、雌雄を決する以上のことを望んでいるようには、とうてい見えない。

 今度はユースチスが、一息に間合いをつめる。鋭い太刀風を、ピウスは見事な剣さばきでこれをさばく。

 再び間合いをとり、構える。両者ともに剣配に微塵たりとも狂いはなく、息も乱れていない。

「強いな」微笑しつつピウス。「それだけの技量となるには、ずいぶんと鍛錬を積み重ねてきたのであろう。父君の仇に固執せずとも、前途は開けよう」

「私はあなたを恨んではおりません。ですが父の仇たるあなたを超えて、私はすべてを清算するのです」

「まじめだな。いや、若い若い……」

 ピウスは不意に、構えていた太刀を下ろすと片手にぶらりと持ちなおし、すべるように間合いに入ってきた。どのようにでも撃ちこめる無防備さである。

 呼吸が乱れた。いや、ユースチスが乱されたのだ。

 一瞬の躊躇。その感覚が失せる前に、ピウスの身体が眼前にあった。

 あったと思った瞬間には、片手撃ちに斬り上げられた剣先のうねりを感じ、かろうじて眼前でさばいたかと思うと、蛇にような執拗な斬撃がつづいた。

 ユースチスの身体は、反射的にそれを技量以上のもので撃ちはらい、跳び退り必死で間合いをとっていた。構えなおしたユースチスの左手の甲が、朱に染まっていた。

 両者の間でたゆたっていた均衡の天秤が、狂いを生じている。

 ユースチスの立会人の表情が変わったのが、マールにも看取できた。その腕が上がる。それを合図に、ネロスがあやしいと云った木立から、草を蹴たてて三人の男が走り出てきた。

「おのれ!」

 マールが叫んだ瞬間、ネロスが疾駆していた。三人はいずれもたくましい体躯に、腰から剣を下げ、荒事に手を染めていることが見てとれる。たちまちピウスらに迫り、抜剣をする。

 傭兵がピウスらとの間を遮る。

「どけっ!」

 ひとりが荒々しく吠えるが、ネロスは退こうとせぬ。迫る勢いは怒涛のようであり、ネロスを一息に押しつぶそうと肉薄した様は、まさしく大波が巌を呑みこもうとするかのようであった。

 マールは思わずうめき声をあげた。その勢いは、到底たったひとりで抗しうるものには思えなかった。

 薙ぎたおそうとした男たちの剣閃がその身体に届くかというその瞬間、ネロスの腰が沈む。腰間から銀光が鞘走り、白刃がきらめいた。

 地に根をはやした不動の巌に波濤が砕け散るがごとくに、男たちの身体が血煙をあげ、駆けた勢いそのままで、操り糸を瞬時に切られた人形のように、下草を薙ぎ倒しつつ派手に転倒をする。若草に混じり、血の匂いが濃くただよった。

 あるいは腿を斬り割られ、あるいは肘の筋を斬りかれ、男たちは苦鳴にうめく。

「……アザトース、アザトース!」

 うごめく男たちのひとりが、腿を押さえながら叫ぶ。その視線は、彼らが飛びだしてきた木立にあった。

 ネロスはちらりとその方角へ顔を向けたが、興味なさげにうめく彼らへとまた視線をもどした。

 別の男がネロスの顔を見あげつつ、脂汗を顔中ににじませ、右の手首を押さえながら叫んだ。

「……その顔、見たことあるぞ、てめぇ、まさか“疫病神”か……?」

 男の手首から先は失われていた。

「その縁起でもねぇ呼び名知ってるんなら、お前も雇われか?」血糊のついた太刀の刃をぬぐい鞘に収めつつ、男たちに冷酷に云って放つ。「とっとと失せな。はした金で命まで失くしちゃ、間尺に合わねぇだろ?腕の一本ですんで感謝しな」

「何のつもりだ、これは!」

 怒声をあげたのはユースチスであった。構えることも忘れ、自らの立会い人を怒りに燃えた眼をむけていた。怒りをむけられた彼らは、苦虫をかみつぶしたような表情であった。

 怒りにまかせて、そちらへ踏みだそうとしたユースチスの背筋に冷たいものが走った。首筋に鋭い刃風を感じたのは、感覚以上のものであった。振り返りざまに合わせた太刀も、とっさに身をひねり、自ら身体を後ろに投げだすのも間に合わなかった。

 顔面から鮮血が噴きだした。地面を二転三転しつつ必死でピウスから逃れ、片膝をつき、ようやく再び構えることができた。

 ユースチスの左の耳の下から鼻までが一文字に深々と斬り裂かれ、鮮血はすでに顔面の下半分を真紅に染め、顎からしたたり落ちていた。

 血に染まっていない顔面は血の気が失せて脂汗が浮かび、衝撃に唇が震え、息はあがり肩が荒々しく上下している。

「何をしている、決闘の最中だぞ。軽々しく敵に背中を向けるとは未熟者めが」

 横殴りに斬りつけた残身のまま、ピウスが吐きすてるように云った。

「お待ちください、立会い人と話をする猶予をいただきたい」

「一度シレーンの名で誓った決闘だぞ。乱入など埒内のことである」

「ピウス殿、信じてください、あやつらは私とは関係のないことです。あのような連中などに、この決闘を汚させるわけにはいきません」

「我々には関係のないことだ。うろたえるな……構えよ」

 云い放つピウスから発せられる気迫は、冷然としたものであり、甘えを赦さない厳しさがあった。

 呆然と肩で息をつくユースチスは、大きくひとつ息をのむと、刃を眼前に立て、しばし瞑目をする。沈黙が、両者の間に流れた。

 やがて、若き剣士は静かに眼を開いた。

「かたじけない。みっともないところをお見せいたしました」

 そう云うユースチスの眼に、もはや迷いはなかった。息は今のわずかな間に、ずいぶんと整っていた。

「ようやく半眼が開いたようだな。剣に生きるつもりであらば、覚悟が必要だぞ」

 背をむけた対手を斬り伏せることなど、何の造作もなかったはずである。ピウスが本気ではなかったことに、マールは遅まきながら気がついた。

「肝に命じます」

「では、つづきをいたすか」

 大きくひとつうなずくと、ピウスの太刀先が再び天を衝く。ユースチスは、今度は下段ではなく、同様に八双に構える。両者の間に、再び圧倒されるほどの剣気が満ちていく。

 ピウスに襲いかかろうとした連中は、斬り放された手首もろともすでにその姿はなく、ネロスもまた両者の妨げにならないよう、充分な距離をとっていた。

 廃殿にいつの間にか、宵闇の気配がただよい出していた。ふたつの人影は、やや暗い影をまとっている。遠くで春告鳥の声が、かすかにした。

 ネロスは離れた場所で腕組みをしたまま、こむずかしい顔をして微動だにしない。

 不意に、マールの背筋を言葉にしがたい悪寒に似た緊張が這いあがった。構えた両者の間にあった間合いが、いつの間にか狭まっているのに気がついたのだ。

 マールにはそれがどのように為されたのか、まったくわからなかった。知覚することすらできない親指の先半分ほどの間合いの取りあいが、マールの眼前でくりひろげられているのであった。

 両者の対峙は、余人には感知しえない、これまでとはまるで違う、本気のさらに先にあるものへと変貌していた。マールには唇をかみつつ、対峙を見守るしかなかった。

 両者の額に、ねっとりと脂汗が浮き、顔面は蒼白であった。

 ユースチスの顔面を染めている血はすでに止まり、赤黒く凝固しはじめていたが、しかしその表情は何の澱みもなく、透徹した凄みが浮いていた。

 わずかにうつむきがちなピウスの表情は茫洋たるものであり、両者の間に張りつめられた壮絶な剣気の中にあってすら、その体躯は霞がかっているようであった。

 互いが互いの先の先を取りあっていた。今や両者の間合いは、己の太刀先が互いの喉笛を斬り裂くのに、充分すぎるほどに縮まっている。もしどちらかが構えた太刀を繰りだしたならば、たちまち鮮血が吹きあがるほどの近距離である。

 不意に、風に宵の気配が匂った。

 むしろ何の気配も発せず両者の身体が動き、ふたりの剣士の閃光が交わった。

 閃光が走りぬけた静寂の中、両者の身体がかすかにゆらめき、眼で追えるほどの緩慢さで、一方が崩れ落ちた。

 ピウスであった。

 ユースチスの身体もよろめく。彼の胸元もまた真紅に染まっている。

 崩れ落ちた身体をかろうじて膝で支えようとしたが、急速に力が失われていき、静かにピウスは草の上に横たわった。左の首筋から胸にかけて袈裟懸けに深々と斬り裂かれ、そこから音をたてるように鮮血があふれつづける。

 ユースチスはよろめきつつ、地面に刺した太刀にすがるように、かたわらに膝をつく。彼もまた精も根も尽きはて、手にした太刀の重みにも耐えかていた。

「……お見事」ピウスが苦しそうにうめく。「とどめを……いや……もうその必要も……ない……」

「ピウス殿……私は……」ユースチスが呻いた。「あのような卑怯な……」

「気にするな……」鮮血に汚れた顔が、清々しげにほころぶ。「よくぞここまで、精進された……父君も、満足であろう……シレーンの恩寵は、そなたにあった……それだけのことだ……」

 けだるげに眼を閉じる。胸が幾度か大きく上下したかと思うと、動きを止めた。

 そのおだやかな死顔を、呆然と見おろしつつ、ユースチスには勝ったという感慨はなかった。立ちあってみて、初めてピウスの技量を知った。それははるかに積みあげられた研鑽の峰であった。それは今の自分などが容易に越えうるものではないと思った。それは何という豊潤な剣配であったろうか。感動すらおぼえた。

 この勝利が奇跡に近いものであることを、何よりユースチス自身が知っている。

 ピウスが動いたと感じた時には、自身の身体も動いていた。剣風を感じたのは、かろうじて憶えている。その瞬間から後のことは、自らの身体内に生じたまばゆい閃光の中にしかない。

 彼の胸元の激痛と脚下に横たわる剣士の亡骸だけが、その刹那を物語っていた。 気がつくとピウスのふたりの立会い人が傍らにいた。さきほど三人の男たちをやすやすと斬った剣士に、ユースチスは思わず身構えかけたが、身体がいうことをきかず、よろめいた。しかし両名とも太刀に手も掛けようとしなかった。

「お見事」

 年長の方の立会い人が、素直に賞賛する。微塵のふくみも感じられない。この決闘の価値を本当に理解している者の重みがあった。

「あの連中が、お主の意向じゃなかったのはわかっている」

 そしてピウスのかたわらに膝をつき、亡骸に瞑目をすると、低くつぶやいた。

「剣を握って逝くとは、あなたにふさわしいですな……」

 ユースチスは太刀を納め、よろめきつつも憮然ときびすを返す。若い黒髪の立会い人が、彼の背中を注視しているのが感じられた。

 自身の立会人のもとへ歩みよる。シュメリアーヌス家よりの立会い人は、特にうろたえた様子もない。

「……なぜあのような真似を?」

 憤怒を抑えつつ、低く詰問する。

「お主が当家の剣術指南として仕官することは、すでに他家にも伝わっている。万が一にでも不覚をとってもらっては、当方が迷惑だ」

 無表情で、片方の家宰が応える。

「私を信用しておらぬのか?」

「信用云々ではない。そもそもお主の私情による決闘をみとめてやり、その上推薦したバスキン公の顔をたてて、この私が立合いまでしてやったのだ。むしろ感謝してもらわねばならぬ」

 嘲るような一言であった。

「貴様ら……」半面がどす黒い血に染まったユースチスの顔が、怒りに燃えた。「仕官の話は、お断りいたす」

 ユースチスの怒りに圧倒され身じろぎしつつも、両者は居丈高に云い放った。

「……その方がよかろう。お主は当家の家風とは合いそうにない」

 しばし無言で対峙をつづけていたが、やがてユースチスは傲然ときびすを返した。

 地に伏すピウスの亡骸に悲痛な視線をむけ、マールたちに深々と一礼をする。顔は怒りと失望とに歪み、半面にはすさまじい刀傷が刻まれ、身体中が血に染まっていた。決闘を終え、そして勝利した者には見えぬ敗北の気配に包まれていた。

 ユースチスはそのままもはや決闘の場を振りかえりもせずに、疲弊しきった身体を引きずるように立ち去っていった。

 シュメリアーヌス家の両名は殺していた息を吐き、肩の力をぬいた。彼らがユースチスが立ち去ったあたりに侮蔑の視線を向けた時、ネロスが声をかけた。

「この決闘は正当なものだ。つまらん思惑で、これ以上両名に恥をかかせるなよ」

 その声に一瞬鼻白んだが、家宰たちは答えようとしなかった。彼らは傍らの潅木につないでいた乗馬の手綱を解き、鞍にまたがると、マールたちにはもはや一瞥もくれようともせずに、決闘の場から去っていった。

「まったく何様のつもりだろうね」

 鼻の先で嘲笑うと、今度は奥の木立に眼を向けた。男たちが潜んでいた木立だ。その表情から笑いが消え、意外な鋭さであった。

 しばし凝視していたネロスであったが、やがて草地に横たわるピウスの亡骸に眼をおとした。亡骸の腕はマールによって胸の前で組まれ、相貌にはすでに生者とは異なるおだやかな幽冥が、深くおとずれはじめていた。

 マールは片膝をついたまま、悲痛な面持ちであった。

「エートスも哀しむであろう」

「あの爺さんも剣士に仕えているのですよ。これぐらい覚悟の上でしょう」

 ピウスは妻子もなく、エートスと云う年老いた下男をそばに置いているのみである。

 しかし“神剣”マラキアンなどとならぶ、ホントに名高い剣士である。都中の貴族や諸侯連中にも、彼の弟子や後援者たちは多い。葬礼や道場のこれからのことは、彼らがつつがなく差配するであろう。ネロスたちの出る幕は終わったのだ。

「お主はこれからどうするのだ?」

「俺は居候だ。次の寝床を探さにゃならんですなぁ……さて、荷馬をとってきますか。早く亡骸を道場にもどさねぇと、夜になりますよマール殿」

「……待ってくれ」

 マールが顔を上げた。悲痛な表情の中に、何やら昂ぶった感情があった。ネロスはいぶかしげに眉をひそめた。

「何です?」

「ネロス……お主に頼みがある、聞いてもらえぬか」

 躊躇しつつも、重たげな眼が今は大きく傭兵を真正面から見すえ、マールは彼に語りかけた。


 よろめくようにして木立の中をすすむ男たちの身体中を、屈辱と憤激が駆けめぐっていたが、流血と激痛のため歩みは鈍重であり、身体中から吹きでる脂汗は彼らの脚かせとなった。とにかく苦痛に耐えている今の彼らには、一刻も早く血を止め治癒をすることしかない念頭にない。

 罵りつつすすむ彼らの前に、いつの間にかひとりの若者が立っていた。

 黄金の絹糸のような金髪は肩まで長く、長身の身体は手と脚との均衡が美しくとれ、若豹のようにしなやかで猛々しい印象を与える。

 眉が薄く、眼は小刀で切れこみを入れたかのように鋭く、目じりが美しく釣りあがっている。鼻は高く、唇も薄くうっすらと蒼白く、肌は病的な白さであった。

 奇相である。ひとつひとつの造作はむしろ整ったものであったが、それがひとつの面貌に収まると、どこか仮面のように作り物めいて、調和を乱しているような印象をあたえる。

「三人がかりでその様ですかい、みっともないですねぇ」

「……アザトース」

「貴様……なぜ出てこなかった!」

「だから、あたしゃ云ったでしょう?きっとあの連中は強い、そんな気がする、やめた方がいいって」

 微笑しているようなアザトースと呼ばれた男であったが、その表情はどのような時でもそのような薄笑いを浮かべているような印象を受ける。声は無邪気に陽気であったが、甲高く、どこかきしむような調子っぱずれである。

「半金はもらってんだ、のこりをもらわなきゃいけねぇだろうが……貴様がいたら、何とかなっていたかもしれねぇんだぞ」

 右手首を斬り落とされた男が、うめきつつ云う。

「はっはぁ、そりゃどうですかねぇ?」

 アザトースは楽しげに笑う。切れ長の細い眼の奥で、何かが光ったようであった。

「それよりもあの男、あんた“疫病神”って云ってましたよね。知ってるんですか?」

「あぁ……」吐きすて、顔を歪める。「タラの戦場で会ったことがある。ネロスって云ってな……あのあたりの傭兵の間じゃ、有名な男だ。どういうわけか、あの男を雇った側は、必ず敗けるって噂だ」

「それで“疫病神”?」

「だが……どんな敗け戦でもやつは生きて帰ってくる、おまけに必ず金に見合う以上の仕事はする」

「要するに強いってことでしょ?いやぁ、たいしたもんだねぇ。あのユースチスって若造もなかなかだけど」

 くつくつと、アザトースは細い眼をさらに細くして嬉しそうに笑う。男たちはそんなアザトースの様子を、白けたように見上げる。

「……うるせぇ、貴様と話をしていたら薄気味悪くてしょうがねぇ、この蛇野郎が。どけよ、早く傷を縫ってもらわねぇと……わかってるな、てめぇの分け前なんぞはねぇぞ」

「必要ないでしょ、あんたたちこそ」

 男たちが問いただす間もなく、アザトースの腰から鞘走った銀光が、いずれも彼らの急所を斬り裂いていた。みっつの身体が崩れ落ちるのに、数拍必要だった。即死である。

 アザトースは剣を収め、倒れ伏した男たちの隠しをまさぐると、シュメリアーヌス家の家宰たちが彼らに支払った銀貨の袋を取り出した。

「ははは、たったこれっぽっちかよ。安いよあんたたち、これじゃ割りにあわないねぇ」

 片手でその重みを測りつつ陽気に笑う。たった今、三人の命を奪ったことなど、まるで気にもとめていないようだ。

「しかしまぁ、ネロス……“疫病神”ねぇ……すごいやつがいたもんだよ」

 ぺろりと蒼白い唇を舐めあげた舌は、異様な赤さであった。うっすらと浮かぶその笑みは、今までのものとは異質なものである。陽気な仮面の下から冷ややかな化け物が、ぬるりと顔をのぞかせたようであった。アザトースは何度も何度も自分の言葉をかみしめる。

「ははは、どんだけ強いか……ありゃ見当もつかないよ、うんまったく……あいつは桁が違う……怖いねぇ、本当に怖いねぇ……」


(第3話 了)

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