エピローグ

『最近、さきが元気なくてさ』


 朝、れんにそんな相談をされたものの、みさぎの頭は今日の追試のことでいっぱいだった。


 ハロンを倒して三週間が過ぎた二学期最後の登校日、放課後の教室に残ったのはみさぎと他に数人だけだった。最終戦の直後に行われた期末テストの結果が予想以上に悪く、三教科も追試なった次第だ。


 あんな戦いの後でもみなとはいつも通り一位をキープして、とももやる気満々の鈴木を抑えて二位に並んだ。みさぎの体力を気遣って左腕を折ったままテストを受けた咲でさえ八位だ。


「はい、合格です。ちゃんと復習しておいてくださいね」


 教壇の椅子に座って採点をする中條からプリントを渡され、ようやく解放される。

 どっと込み上げた疲労感を背負って教室を出ると、廊下で湊が待ち構えた。


「お疲れ様」

「湊くん、ずっと待っててくれたの?」

「いや、向こうの準備手伝って戻ってきた」


 ハロン戦の祝勝会を兼ねてクリスマス会をやろうと言い出したのは、外ならぬあやだった。

 戦いが終わったらターメイヤに戻ると言っていた一華いちかの言葉を気にして、最近絢と話をしていない。だからまんしての発表があるのかと思うと、素直にパーティを喜ぶことができなかった。


 校庭は雪合戦をする小学生の声が響いている。昨日降り積もった雪で一面が真っ白になっていて、競い合うように作った雪だるまが大小いくつも並んでいた。


 あの日空間隔離くうかんかくりを解いた町は、戦いの爪痕を残すことはなかった。あの戦いが夢であったかのような平和な時間が、住民に何の不安も与えず流れている。大人たちもすぐに元の姿へ戻り、結局みさぎはルーシャの顔をした絢に会うことはできなかった。


 チュウ助は他の誰にも懐かず、今は湊のマンションで暮らしている。ペットは駄目だが鳥ならOKという約款やっかんを無理矢理押し通して、絢が周囲に催眠効果のある魔法をかけてどうにか受け入れられている。


「ねぇ湊くん、咲ちゃん元気だった?」


 テストから解放された頭がふと朝の蓮を思い出した。


「海堂? 別に変わった様子はなかった気がするけど。何かあった?」

「うん、お兄ちゃんがちょっとね」

「お兄さん? 具合でも悪いの?」

「ううん、うちのお兄ちゃんは元気だよ。ただ、咲ちゃんが──ね」


 あの日学校の屋上でハロン戦を最後まで見ていた蓮は、その記憶を今もちゃんと覚えている。戦いが蓮の目にどう映ったのかは分からないが、彼がみさぎにその話題を振ることはなかった。


 湊が言う通り、今日の咲はみさぎの目にもいつも通りに見えた。

 この間も誕生日に蓮とデートしてきたんだと、翌日楽しそうに報告をしてくれたばかりだ。


『咲がホールケーキを食べてみたいっていうから、カフェでバイトしてる友達に頼んで行ってきたんだよ。あん時は元気だったけど、たまに一人でぼんやりしてる事が多くてさ』


 蓮がそんな心配事をみさぎに言ってくるのは一大事だと今更ながらに思う。朝はテストのせいで気が張っていて、申し訳ない返しをしてしまった。


『お兄ちゃん、フラれたんじゃない?』

『ふざけるな。そんなことないよ──多分』


 いつも自信あり気な蓮が、そんな返事をしたのだ。


「どう思う?」


 今朝の事を一通り話して、みさぎが湊を見上げると、「すみません」という男の子の声がして、飛び交っていた雪玉の一つが正面から飛んできた。

 「きゃあ」と驚くみさぎの目の前で、湊がそれを片手でキャッチする。ぐしゃりと握り潰された雪玉に、男の子はビクリと肩を震わせて「すげぇ」と恐怖交じりの声を漏らした。


「気を付けて」


 そう注意して歩き出す湊は、何事もなかったかのように話を続ける。


「海堂はさ、燃え尽き症候群ってやつなんじゃない?」

「それってルーシャも前に言ってたやつだ。前世で私たちが居なくなった後、やることなくてボーっとしてたって」


 そんなルーシャにこの世界への転移を提案したのがギャロップメイで、彼女はその瞬間恋に落ちたという。


「俺も似たような感じだし。みさぎはない?」

「私? 私は……テストでそれどころじゃなかったよ」


 「そっか」と湊が苦笑する。


「けどお兄さんが海堂を心配してるなら、どうにかできるのはみさぎなんだと思うよ」

「私が?」

「急いでどうするってことでもないと思うけど。人ってのはさ、それぞれ役目があるんだよ。海堂にとってのみさぎは、恋人とはまた違う特別なものだったてこと」


 その言葉に納得はできるけれど、具体的な解決策には繋がらない。

 右へ左へと首を振りながらあれこれ考えていると、あっという間に田中商店に着いた。


 扉にはいつもの貸し切りプレートがぶら下げられていて、中からはにぎやかなクリスマスソングが聞こえてくる。

 湊が開けた扉を先に潜ると、パンと音を立ててクラッカーが開いた。先頭を切って紐を引いたのは、真ん中を陣取っていた耕造こうぞうだ。


「メリークリスマス!」

「おじいちゃん! びっくりしたぁ」


 予告なしの歓迎にみさぎが胸を押さえると、咲が横から「メリクリぃ」と抱き着いてくる。みさぎの治癒魔法で、すっかり腕も完治していた。サンタクロースの衣装を模したワンピース姿で、帽子に着いたフワフワの玉がみさぎのほおをフワリと撫でる。


「メリークリスマス、咲ちゃん。この部屋の飾り、みんなが用意してくれたの?」


 店の中はすっかりパーティ仕様になっていて、テーブルを埋めるご馳走やツリーの華やかさに、みさぎが「すごい」と笑顔を広げた。「まぁな」と目を細める咲は、いつも通りのテンションだ。


 咲に引っ張られてテーブルに着きメロンソーダで乾杯をすると、程なくして中條が合流し、智と一華がそれぞれのグラスを手にみさぎの所へやってきた。一華もまた控えめなサンタ衣装を着ていて、智は幾度となくそれを見ては笑顔を零している。


「リーナ、乾杯」


 そう言ってグラスを鳴らし、智は店の奥へ視線を促した。


「ルーシャが話あるって」

「ビッグニュースだぞ」


 咲も嬉しそうに言ってきて、みさぎは湊と顔を見合わせる。

 しかしみさぎの驚愕は奥からケーキを運んできた絢の姿に全部持っていかれた。さっきまでエプロンを付けていた彼女が、際どいサンタの衣装で現れたのだ。

 咲や一華のそれとは別次元の、腹の出た極端に布の少ないものだ。

 網タイツの長い脚と半分零れたような胸に色々な思考が飛んでいきそうになって、みさぎは慌ててメロンソーダを流し込んだ。


「すごい服だね、ルーシャ」

「そうでもないわよ。貴女もどう? 猫のもあるわよ」


 猫の、と言うのは、以前彼女が着ていたものだろう。


「いや、今日はいいよ。やめとく」

「そぉ?」


 大人組の事や咲の事があって、みさぎにはコスプレをする余裕なんてなかった。すぐそこで湊がチラとこっちを向いた気がしたが、みさぎはそのまま話題を戻す。


「それよりルーシャ、話って……帰るってこと? ターメイヤに」


 その話だと思ったら、聞かずにはいられなかった。この半月ずっと胸に抱えていた思いを口にして、途端に泣きそうになる。

 けれど絢は「そうじゃないのよ」と首を振った。


「帰らないって決めたの」

「本当に……?」

「もうね、私にはそんなに魔力が残ってないのよ。十年前でさえダルニーを救えなかった私の力じゃ、リスクが高すぎるって判断したの。それに貴方たちの居るこの世界に残りたいって思えたから」

「ルーシャ」


 衝動のままに、みさぎは絢に抱き着いた。涙が止まらなくなって、絢が「そんなに泣かないで」と頭を撫でる。


「俺も驚いたよ。帰るって言われたら、無理矢理でも着いていくつもりだったのに」


 智の言葉に、ルーシャが「そういうこと」と笑んで、みさぎの涙を指で拭った。


「ハリオス様は貴方達と別れたくないっていうし、メラーレたちもこの調子だし、私とギャロップはどっちでもいいのよ。ターメイヤは好きだけど、この世界も好きだから」


 そう言って今度は逆に絢がみさぎを抱きしめた。



   ☆

 パーティも中盤になって、みさぎは咲が店にいないことに気付いた。

 入口横の窓にサンタ帽が覗いているのを見つけて外に出ようとすると、湊に「待って」とコートを渡される。

 久しぶりの晴れの空が気持ちが良かったが、積もった雪のせいで外は思った以上に寒かった。


「咲ちゃん」


 みさぎは咲と並んでベンチに腰を下ろす。

 さっきまで元気に大笑いしていた顔がどこか寂しげで、みさぎは咲を伺った。


「お兄ちゃんが、最近咲ちゃん元気ないって心配してたよ」


 「そうか?」と首を傾げる咲がサンタ服の上に羽織っているのは、新しいグレーのパーカーだ。しかもハロン戦が終わった後、つい先日まで蓮が家で着ていたものだ。彼が新しく買ったものだと思っていたら、いきなりその所有者は咲へとシフトしたのだ。


 蓮の心配をよそに、二人の恋愛方面は順調そうだ。


「もしお兄ちゃんと別れたくなったら、私に遠慮しないでフッちゃってもいいんだからね?」

「えっ何で? そんなことないよ。僕は蓮が大好きなんだ」


 冗談めいて言ったセリフが、咲にあっさりと否定される。

 けれど咲は「あぁでも」と整った眉尻を下げた。


「心配させちゃったなら悪いことしたな。僕はさ、小学生の時に記憶を戻してからずっとハロンやリーナの事を考えて生きてきたんだ。それがどれも達成できた途端、もう戦うこともないんだなって思ったら急に寂しくなっちゃって」


 十年以上ヒルスを抱えていた咲と、ついこの間思い出した自分とでは過去に対する重さが違うのかもしれない。思わず握り締めた咲の手は、外にいたせいでヒヤリと冷たかった。


「戦いが終わっただけでしょ? ルーシャたちも残るって言ってくれたんだから、これからは楽しまなきゃだよ」

「うん──そうだね」


 物憂ものうげな表情で笑おうとする咲に、みさぎは胸が苦しくなった。

 どうしたらもっと元気になってくれるだろう……咲は昔も今もポジティブで明るく、泣きたい時は思いきり泣く人で、こんなアンニュイな表情をする人じゃなかった。

 これでは蓮に同情してしまう。


 けれどやっぱり湊が言うように時間が必要なのかと思ったところで、みさぎの頭にふと彼女にとってのワクチンのような言葉が浮かんだ。けれどそれを口にするのを躊躇ためらってしまうのは、久しぶりに男バージョンのヒルスと蓮の抱擁ほうようシーンがよぎったからだ。

 ぼんやりする咲をじっと睨んで、みさぎは「もぅ」と一人でむくれる。


 これを言ったら咲はどんな顔をするだろう。久しぶりに沸いた複雑な気持ちを噛みしめながら、それでも笑ってくれればいいと思って、みさぎは口を開いた。


「私、咲ちゃんが兄様だって知った時は驚いたし、お兄ちゃんと付き合ってるって聞いたときは、ちょっと嫌だったんだよ。けど咲ちゃんは私が嫉妬するくらい楽しそうで幸せそうで、今は良かったって思ってる」

「それは僕も嬉しいな」

「だからね、咲ちゃんはずっと親友だと思ってるし、兄様であることにも変わりないよ。けどもし、咲ちゃんが今のままずっとお兄ちゃんの事好きでいてくれるなら、私のお姉ちゃんになってもいいんだからね?」

「……え?」


 咲は一度不思議な顔をする。けどすぐにその意味を理解して、みるみると笑顔を広げた。何故か目に大粒の涙を光らせている。


「ちょっ、泣かないで。咲ちゃんが、うちのお兄ちゃんで良ければの話だよ?」


 そんなみさぎの言葉の半分は、咲の泣き声にかき消された。



   ☆☆☆

 それから七年後──。

 結婚式の朝は慌ただしかった。朝六時に起きて、半分目が開かないまま式場に入って支度したくする。

 用意が全部終わってホッと息をついたところで、廊下に軽快なヒールの足音が響いた。

 少々荒い音を立てて扉が開き、姿を現したのは咲だ。華やかな藍色のパーティドレス姿の彼女は、いつも以上に美人に見えて思わず嫉妬してしまう。


「みさぎ!」


 部屋を見渡した咲が白いウエディングドレスに身を包んだみさぎに目を奪われて、「可愛いよ」と涙腺を崩壊させる。そんな彼女を、後ろから来た湊が「おい」と声を尖らせた。


「俺より先に入らないでくれる?」

「はぁ? お前が遅かったんだろ」


 咲はタキシード姿の湊に詰め寄り、「馬子にも衣裳だな」と笑った。


「いいか、僕は最後にもう一度お前に言ってやりたかったんだ。貴様、婚約中の僕たちを差し置いて、みさぎと結婚式だなんてどういう意味だよ。十年早いわ」


 咲の勢いに押されて、湊が「いや、それは……」と目を逸らす。

 返事に困る湊を見かねて助け舟を出したのは、あきれ顔で駆け付けた蓮だった。


「咲、今日はそのくらいにしておきな。親族の待機部屋はあっちだってさ」


 咲の薬指には指輪が光る。蓮は熱の冷め切らない咲の腕を引いて、部屋の外へと連れ去っていった。ここ最近、咲はずっとこんな調子だ。

 毎回の事で「コントみたいだね」と笑いながら、みさぎは少し張った下腹部を撫でる。


「体調どう? 苦しくない?」

「うん、今日は気分がいいの」

「なら良かった。ドレス似合ってるよ」


 何度言われても照れてしまう。緩んだ口元を隠すように、みさぎは咲の出て行った扉を振り向いた。


「咲ちゃん最後だって言ってたけど、本当かな」

「まぁ無理なんじゃないか? みさぎのドレス姿見て泣いてたし。感慨深かったんだろうな」


 花の散りばめられたボリュームのあるウエディングドレスは、咲が選んだものだ。試着の時に一度見て泣いたのに、今日もまるで初めて見たかのように声を詰まらせていた。


「うん、兄様らしいよ。もうお姉ちゃんなんだけどね」


 「そうだな」と湊は腕時計を確認する。


「みんな待ってるよ」


 梅雨明けの晴天吉日、久々の仲間との再会に胸を躍らせて、みさぎは差し出された湊の手を握り締めた。


                                  END







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いもおい~日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる!? 栗栖蛍 @chrischris

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