173 血の雨、そして晴れ

 ハロンとの間合いを詰めようとダッシュした足が雨に緩んだ土にとられて、体勢を崩した。

 すぐに立て直したものの、四割減の勢いで跳び上がった身体は湾曲したハロンの爪に弾かれて地面に叩き付けられる。


 少し前からやたらと騒がしいギャラリーのせいだ。

 咲が大声を張り上げて、何やら言いたいことを一方的に言い切って、みさぎと共に距離を離した。そうしたら今度は智たちまで合流して、ワイワイと盛り上がっている。


 キンと高い咲の声は、湊にとって耳障みみざわり以外の何物でもなかった。


「声がデカいんだよ」


 ハロンとの真剣勝負だというのに、気が散って仕方がない。ハロンにすきを見せてしまったのはあいつ等のせいだ──と、湊はきむしるように泥を掴んだ。


 再び立ち上がり舌に絡んだ泥水を吐き出し、水を吸って重くなったコートを脱いで遠くへ放り投げる。身体は十分に温まっていた。


 ハロンは威嚇いかくするようにダンと足を地面に叩き付ける。溶けかけの雪を含んだ水しぶきが辺りに跳ね上がった。


「湊、山なんて壊したっていいんだからな!」


 再び咲の声が届いた。

 さっきといい、今といい、彼女の言葉はもう腹いっぱいだ。


『湊! お前は必殺技を打てるんじゃないのか?』


 まさか彼女の口からそれを聞くとは思わなかった。湊の思っている技と同じかどうかは分からないが、彼女が側を離れたことに意味があるのならそうなのかもしれない。

 湊は今それを打とうとしている。


 父から初めてその技を見せられた時、ラルはただカッコいいと思った。自分もいつか出来るようになりたいと期待したが、今の自分の成功率は良く見積もって七割だ。

 棒切れの竿さおに張り付いた旗が風に重くなびいて、咲たちの位置を示す。


 咲のお陰で広さは確保できていた。いつも面倒だ、やかましいと思う彼女を、湊は「流石さすが兄貴だよ」と笑う。


「アンタがいて良かったよ」


 勿論もちろん、その声が彼に届くことはないけれど。

 技を打てば、もう自分は立っていられないだろう。

 それでも今は、成功率の微妙な一発に賭けるしかない。このままダメージを与え続けても、空に逃げられてしまえばヤツは回復してしまうのだ。


「倒せなくてもいい、みさぎに繋げろ」


 剣を構えると、チュウ助が「チュウ」と鳴いた。


「チュウ助、お前は何かできるのか? さっきみたいなのがあると心強いんだけど」


 黒いハロンの位置を示すように飛んだチュウ助は、暗闇でその位置を示してくれた。

 あれが偶然か何なのかはわからないが、「チュ、チュ」と鳴いたチュウ助は、再び湊を離れた。今度はハロンの顔の高さまで上昇して、その周りをグルグルと回る。


 やかましく鳴くチュウ助を追っ払うように、ハロンは手と羽をバタつかせた。

 でっぷりとした見た目には想像できない機敏きびんさとサイズ差で、チュウ助は難なく攻撃をかわしている。


「お前、やっぱりすごいな」


 チュウ助のお陰で余裕さえ生まれた。

 湊は剣ににじむ青暗い光に力を込めて、文言を唱えた。勿論、湊に魔法は使えない。


 これを習った時、父親も『こういうのもいいだろう?』と笑っていた。

 これは単に魔法使いの真似をしたかった、父親の悪戯心いたずらごころが生んだ技だ。

 それを忠実に再現したいと思うのは、自分が彼の息子だったからだと思う。


「湊! もう後悔するな。思いっきり行けよ!」


 また咲の声。他のみんなも声援をくれているのは分かるのに、何故か彼女の言葉だけ聞き取れる。


「あぁ、思いきりだ」


 湊は右足を引いて、ハロンの足元へ向けて走り出した。

 腰から頭上へ振り上げた剣先を、ヤツの真下に叩き付ける。立ち膝になった身体が泥に沈んだ。

 予測を誤ったハロンの手がフワリと宙をく。


 魔法使いが感じ取るという気の流れなんてのは全く理解できないが、力ずくで自然の意思とやらを自分に振り向かせるのがこの技だ。

 敵の防御力をいちじるしく低下させて一振りの剣に全てを賭けて斬る──ある意味心理戦に近い。

 緩んだ地面に剣を垂直に突き刺さして、湊は祈るようにその反応を待った。


「駄目なのか……?」


 長く感じる、数秒の沈黙。

 何も起きず失敗かと思った次の瞬間、チュウ助が「チュウ」と鳴いてハロンを離れた。


 数秒遅れた衝撃が地面をうならせる。短く震えた足元が、次にゴゴッと音を立てて砕けた。

 剣と同じ青黒い光が半径数十メートルの地面に亀裂を走らせ、小川ごと真下へ陥没を起こす。低くなった地面に決壊した川の水が流れ込んだ。


 湊は地面から剣を抜き、体勢を崩したハロンにしがみ付いて羽を狙う。

 地面へ剣を刺したところから、敵を斬るまでの一連の流れが、父やダルニーに教えられた必殺技だ。前のハロン戦で剣が折れた恐怖を垣間見かいまみたが、一華いちかが手を加えた武器は技の衝撃に十分耐え切ることができた。


 足元のおぼつかないハロンの注意がおろそかになったのを狙って、湊は背中の羽の根元へ跳び付いた。力任せに剣を叩きつけ、二枚の羽を連続で切り落とす。


 先に羽が地面へ落ちて、湊が着地を決める。

 その頭上を血の雨が降り注ぎ、月が雲間から姿を現そうとしていた。







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