123 見ていないはず

「なぁみさぎ、覚えてる?」


 みなとが布団に入ったまま話を始める。

 みさぎは仰向けに寝転んで、彼の視線を追った。沈黙への緊張が少しだけとけて、みさぎは白くぼんやりと光る蛍光灯をながめながら彼の話に耳を傾ける。


「リーナはさ、ラルのこと笑わせようとしてたよね」

「まだ会ったばかりの頃だね」


 突然彼が切り出したのは、ターメイヤ時代の話だ。


「そう。前から話そうと思ってたんだけど、なかなかタイミングがなかったから。懐かしいなって思ってさ」

「気付いてたんだね」

「そりゃ、あれだけあからさまにされたら分かるよ」

「そんなに?」

「だから余計にリーナやアッシュがわずらわしいって思ってた」

「あぁ……そうだよね」


 何となく彼にそう思われていたのは分かっていた。

 ラルフォンは仏頂面ぶっちょうづらであまり話さず、仕事以外ではいつも一人でいた。だからリーナもラルを怖いと思っていた。

 本人の口から「煩わしい」とハッキリ言われてショックだったが、湊は「あの頃だけだよ」と加える。

 今思うと、智が来るまでの一学期の湊も、あの時のラルと同じだった気がする。電車で窓の外ばかり見ていた彼は、いつもそばに居たみさぎをどう思っていたのだろうか。


「ラルは初めて会った時からずっと怒ってるみたいだったから、リーナは笑顔が見たかったんだよ」

「ごめんな。ラルは戦場での実戦経験があることを誇りに思ってた。全部父親がいたからできた事なのに、自惚うぬぼれてたんだな。終戦で世の中が落ち着いたってのもあるけど、父親が戦死したら俺の事なんてやとってくれる人なんて誰もいなかったからね」


 懐かしむように、少し寂しそうに湊はその話をする。


「やる事がなくなった俺に、父親の知り合いが勧めてくれたのがリーナの側近だ。ウィザードの片腕だっていうから張り切って試験を受けたのに、実際受かってみたら自分のつかえるウィザードは弱そうな女の子だった。もう一人選ばれた奴はお気楽な奴で、正直ガッカリしたんだ」

「ご、ごめんなさい」

「いや、そうじゃなよ。俺の自惚れだっていっただろ?」

「うん……」


 どうやらラルは傭兵ようへい時代を引きずって、『ウィザードの側近』という任務に殺伐さつばつとした環境を求めていたらしい。

 あの頃は平和だった。訓練はしていたけれど、楽しかった記憶の方が多い。


「ハロンが来るまで実戦なんてなかったもんね」


 そんな思い出話が続いているが、みさぎは今何故なぜこんな話をしているんだろうという気持ちだった。彼にとっては共有したい過去なのかもしれないけれど、もっとこう楽しい話をしたいなと思ってしまう。


 みさぎはベッドのはしからこっそりと湊を覗き込んだ。

 カーテンの隙間から外灯の灯りが細く刺し込んで、暗闇に慣れた目で十分に彼の表情を捕らえることができる。

 眼鏡を外した彼の顔は、みさぎにとってたまにしか見れない貴重なものだ。


 お泊り会で同じ部屋に寝るというまたとないシチュエーションで、ドキドキの要素はしっかりと整っている気がするのに、今日会ってから手しか繋いでいない。

 湊が奥手なのか、自分に魅力がないのか、温度差が激しすぎて少し寂しくなってしまう。


 このまま朝を迎えて部活に行かなければならないのかと考えると、涙が出そうになるくらい辛かった。咲のように熱でも出れば、素直に甘えることができるのかなんてことまで思って額に手を当てるが、全然熱くはない。


「二人が俺の事笑わそうとしてるのが分かったら、余計笑えなくなった。面白がってるのは分かったし、俺が笑うのなんて、何が楽しいのかと思ったよ」


 ──『ラルが笑ったの見たことないよ』


 リーナがアッシュにそんな話をしたのが発端ほったんだった気がする。色々と仕掛けをして笑わせようとしたのに、笑うどころか彼の表情はどんどん険しくなっていった。


 けれど、ある日突然ラルは笑顔を見せたのだ。


 湊は天井を見上げたまま、その時の話をした。


「初めてリーナの力を見たんだ。実戦ではなかったけど、ずっと弱そうだと思ってたリーナに敵わないって思ったら、急に自分が小さい人間に思えて笑ってた。笑うって言うより自嘲じちょうしただけだったけど、目の前にいたリーナが俺を見て感動しててさ」


 あの時だと思って、みさぎはうんうんとうなずく。


「だから、もし俺が喜んだんだと思って誤解してたなら、言っとかなきゃと思って。今更だけど」


 「ね」と湊が急にみさぎに顔を向けた。パチリと合った目を細めた彼の笑顔に、みさぎは胸を押さえる。

 どうやら彼を覗き込んでいたことは最初から気付かれていたらしい。


「あの時違うんだって弁解したかったけど、リーナは走って行っちゃったんだ」


 ──『兄様! ラルが笑ったのよ!』


 リーナはいつも夜の食事どきにラルの話をしていた。だからその日もヒルスに聞いて欲しくて、兄の所へ向かったことは覚えている。


「それをずっと私に言いたかった、って。ラルも湊くんも真面目すぎだよ。リーナはラルの笑顔が見れて嬉しかったんだから、理由なんて問題じゃなかったよ」


 あきれるくらい真面目な湊に、みさぎは「ねぇ」と笑い掛ける。


「湊くん、そっちに行ってもいい?」


 言いながら、もうみさぎはベッドから足を下ろしていた。湊は慌てて布団から起き上がる。

 ベッドを背に並んで座ると、みさぎはいつも電車で居眠りするように彼の腕にほおを預けた。

 自嘲じちょうだって何だっていい。あの時の笑顔は今も覚えている。

 今思うとあれが、リーナがラルを好きになった瞬間だったと思う。


 ──『二人が好きだったことなんて、みんな知ってた』


 メラーレのいう事が事実なら、彼もそうだったという事だろうか。

 こんなこと言ったら、嫌がられてしまうかもしれないけれど。


「今日は、鈴木くん居ないから。見られたりしないよね?」


 上目遣いに彼を見上げると、一瞬首を傾げた湊がすぐにその意味を理解した。


「アイツじゃなくて、お兄さんが居るかも」


 みさぎが「どっちの?」と笑う。

 湊は背中に伸ばした手でみさぎを抱き寄せ、そっと二度目のキスをした。





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