121.5 【番外編】彼の部屋の同居人

 土曜の朝は大降りの雨音で目が覚めた。


 今日雨が降るだろう事は、昨日見た天気予報で分かっていた。

 予報通り雨が降ったらという話題で寝る前の電話が盛り上がったせいか、みさぎに『おはよう』とメールすると、絵文字いっぱいの元気な返事が返ってくる。

 彼女は雨への不安など全くない様子で、今日のスケジュールに話を弾ませた。


 上がりっぱなしのテンションに任せて、こっちへ一人で来るという彼女を心配しつつ、湊は持ち物の確認をした。今日は二人で会って、途中咲と合流した後に、みさぎ彼女の家へ泊まりに行く予定だ。


 ふと視線が気になって振り向くと、二つ年下の弟・斗真とうまが学ラン姿でコーラのペットボトルを片手に部屋の入口に立っていた。


「どうした? 今日は塾の模試だって言ってなかったか?」

「十時からだからまだ余裕。それより──」


 斗真は部屋に入り込んでベッドに腰を下ろすと、ペットボトルの口をクルクルと締めて、もの言いたげな顔で湊を見上げる。


「兄ちゃん今日泊りなんだろ? 彼女とお泊り?」

「はあっ?」


 何で知っているんだとは言わず、湊は斗真を睨んだ。


「声上擦うわずってる。バレバレだって。最近彼女出来たのだって知ってるんだから、教えてよ。お母さんたちには黙っとくからさ」


 そんな話を家でした覚えはないし、今日も友達の家に泊ることになっている。


「この間クラスの女子に、兄ちゃんが白樺台の制服を着た女子と一緒だったって言われたんだよ」


 どうやら斗真の情報源は、彼の同級生らしい。


「湊先輩、彼女と歩いてたよぉ」


 斗真は声変わりしたての野太い声で女子を真似ると、ベッドの枕を引き寄せて胸にぎゅっと抱きしめる。

 ついこの間までゲームや漫画の話ばかりだったのに、夏休み前に彼女ができた辺りですっかり変わってしまった。小さかった背もいつの間にか伸びている。


「お前に話したら、すぐに広まるだろう?」

「いいじゃん別に。兄ちゃんって昔からまぁまぁモテるのに、全然女に見向きしなかったもんな」


 このわずらわしい感覚は、咲と話している時に似ている気がする。

 こっちは何も言いたくないと思っているのに、斗真はそんなのお構いなしに質問を続けた。


「で、どんな彼女? 可愛い? 前に見せてもらった入学式の写真にすごい美人いたけど、まさかあの人じゃないよね?」

「アレではない」


 そこだけはハッキリ答える。咲ではない。

 けれど、「だよねぇ」と言う斗真にもカチンときて、湊の眉間の溝は深くなるばかりだ。

 斗真はブラブラさせていた足を床に下ろして、前のめりに湊を覗き込む。


「けど、兄ちゃんの彼女だから可愛い系なんだろ? どこまでいったの? まさか手も繋いでないとか言うんじゃないだろうな?」


 やっぱりそうだ。咲と同じことを聞いてくる。


「うるさい」

「兄ちゃんオクテそうだからなぁ」


 斗真は大袈裟おおげさ溜息ためいきをついた。彼は怒らせるためにここに居るのだろうか。

 だいたい、今日はみさぎの家に泊るとはいえ、泊まる部屋は別だしれんや咲もいるのだ。


 湊は準備した鞄のファスナーを閉めて立ち上がり、斗真を仁王立ちに見下ろす。


「暇だからってそんな話しに来るくらいなら、テスト勉強でもしたらいいんじゃないのか?」

「いいのいいの。そんなにあせってないし。楽しい事と、勉強する時間はちゃんと分けないと人生損するからね」


 斗真は智が転校前に居た東桃とうおう学園を志望していて、そこから蓮の居る大学へ上がる予定だ。偏差値の高い学校だけれど、本人が言うように成績には問題ないだろう。

 湊も周りからその道へ進むだろうと周りから期待されていたけれど、志望校は白樺台しらかばだいだといって聞かなかった。


 ハロンの出る次元の歪みの位置は、ターメイヤ時代にルーシャから聞いている。

 高一の冬に戦いを備えて、すぐ側にある白樺台高校を拠点きょてんにしたかった。


 担任の説得を受け入れず希望通りの進路に進めたのは、両親が反対しなかったお陰だ。

 ヒルスが本人の意思を叶えて女に転生できたように、ルーシャはある程度転生先を選ぶ力があるのかもしれない。

 今の家に生まれて良かったと思うし、もし自分に何かあっても斗真がいると思うと両親に対して後ろめたさが減る。


「兄ちゃん今度、彼女家に連れてきたら? 何もない部屋だけどさ、リリちゃん見たら驚くんじゃないかな? 何なら俺の部屋で預かるけど?」


 斗真は本棚の横で鎮座するリリの頭をでてニヤリと笑う。

 リリは殺風景な湊の部屋に住む、可愛い同居人だ。


 五年前湊が盲腸で入院した時、母が寂しくないようにと病室に連れて来た猫のぬいぐるみで、当時は湊より大きかった。

 よくあるクマのぬいぐるみのように床に腰を下ろす格好のリリを、昔は良く座椅子がわりにして本を読んでいた。最近はサイズ感が合わず、かたわらに置くことが多い。


 何故そんなことになったかと言えば、テレビで動物番組を見た時に、小学生の湊が「猫可愛いね」と言ったのが全ての発端ほったんだった。猫を飼いたいなんて一言も言った覚えはないし、うちがマンションでペット禁止だということもちゃんと理解していた。

 ましてやこんな巨大なぬいぐるみを欲しいなんて思ってもいなかったのに、初めての入院のお供を探しに近くのデパートをうろついた母親が、リリを見て湊の言葉を思い出したそうだ。


 娘がいない反動でか、母親はやたら少女趣味だ。

 何でぬいぐるみなんだと不満を漏らした湊だが、「だったら僕にちょうだい」と言い出した斗真に譲るのはもっと嫌で、結局退院後は自分の部屋に迎え入れた。

 斗真に言われて『リリ』と名前を付けると愛着もわいて、手放すことができなくなってしまった次第だ。


「兄ちゃんって学校でも仏頂面なんだろ? 女子はさ、それをたまにクールだとか勘違いして好きになっちゃうんだよな。だから彼女がリリちゃん見たら、兄ちゃんにギャップ萌えするかもよ」

「ギャップって……」


 けれど、その『萌え』と隣り合わせるのは『幻滅』な気がする。

 実の兄の部屋を『オタク部屋』だというみさぎにカミングアウトするのは、少し躊躇ためらってしまう。


 斗真は、ぴょこんと立ったリリの耳をもてあそびながら、その無垢むくな顔に話し掛けた。


「俺、兄ちゃんの恋人はリリちゃんなんじゃないかって、ずっと心配してたんだよ。だから彼女がいるって聞いてちょっと嬉しかったんだぜ? リリちゃんもそう思うだろ?」

「余計なお世話だ」


 湊は「もう出ていけ」と斗真を部屋の外へ追い出した。

 この部屋にみさぎを──そんな事を考えた瞬間、リリのつぶらな瞳と目が合って、湊は「駄目だ」と首を振った。




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