115 この部屋

「お兄ちゃん、この部屋に咲ちゃんを入れるつもり?」


 帰宅して真っ先に、みさぎはれんの部屋へ向かった。

 ここしばらく入っていなかったけれど、改めて見ても恋人を迎え入れる男子の部屋には程遠い。

 帰りの電車でつのったお泊り会への不安を本人に吐き出す。


「いいの? 本当にさきちゃんに見せてもいいの?」


 部屋の奥から流れてくるBGMは、蓮の好きなRPGゲームのサントラだ。

 旅立ちの町で流れている緩いメロディが、みさぎの心理を反映するように戦闘シーンの激しい曲へ変わった。


「そんなに騒ぐなよ。だからギリギリまで言うなって咲に言ったんだ」


 開け放たれた扉の向こうには、同じ家の中とは思えないド派手な彼の世界が広がっている。


みなとくんも泊まりに来るって言ってたよ? 湊くんにまで見られたら……」

「メガネくんは俺の彼氏でも彼女でもないだろ? お前が自分の部屋を片付けとけばいいだけの話だ。そんなだから咲がお前に気ぃ使うんだよ。大体メガネくんなら、この間お前が倒れた時にこの部屋見てると思うぞ?」

「えぇ? あの時入れたの? ここに?」

「帰るって向こうが挨拶しに来ただけだよ」

「そんな律儀な事しなくていいのに……」

「俺はお前の兄貴なんだぞ? そのくらい普通だろ」


 蓮は不愉快だと言わんばかりの顔をして、自分の部屋を振り返った。


「っていうか、そんなに言う程の部屋じゃないだろ。ちゃんとゴミは捨ててるぞ? ちょっと物が多いだけだよ」

「ゴミなんて当たり前でしょ? 本気でこのままにしておくの?」


 この間のお泊り会の時も、蓮は部屋の掃除をするばかりで物の移動をした様子はなかった。あの日咲がそこに入ることはなかったけれど、今度はそうはいかないだろう。

 蓮は視線を返して、腕を組んだ。


「いいかみさぎ。俺の部屋を否定する様なヤツを、俺は彼女にしてるつもりはないぞ」

「見たら嫌がるコの方が多いって言ってるの!」

「そんなのは偏見へんけんだ。いいか、男の趣味は深いんだ。迂闊うかつに外でそんなこと言ったら、男を敵に回すだけだぞ?」


 かつて兄だったヒルスの部屋は雑然ざつぜんとしていた。特にこだわりもないシンプルな部屋だっただけに、蓮との差がありすぎる。


「お前がメガネくんの部屋に行って、抱き枕でも転がってたらどうするんだよ。キモイって言って別れるのか?」

「だっ、抱き枕? 湊くんが?」


 蓮の言うそれは、イルカの形やただ長いだけの枕とは違う。蓮の部屋でさえ見たことはないが、美少女キャラが描かれた枕カバーが存在することは知っている。


「いや、絶対ないよ! 持ってるわけないでしょ?」


 もう絶対にだ。そのカバーを付けている枕とたわむたわむれる湊なんて想像したくない。


「けどもしそんなことがあって……ううん嫌だ、絶対に嫌! けど、もしそれがあっても別れたくないよ」


 チラと脳裏を過った妄想を意地で押しのけて、みさぎはぎゅっと拳を握り締める。

 彼へのイメージは崩れるかもしれないけれど、嫌いになる理由にはならないはずだ。


「だろ? そういうことだよ。好きな男の趣味くらい理解してやれってこと」


 ビシリと人差し指を突き付けてくる蓮に、みさぎはほおふくらませる。


「程度の問題でしょ? けど……確かに咲ちゃんはこの部屋を見ても嫌がらないと思う……」


 自分の兄はオタクだと言った時、彼女は特に気にする様子もなく笑っていた気がする。あれはまだ二人が会ってもいない頃の話だ。


「だろ? だから、いいの」


 その一言で押し切られて、「そういうことで」と蓮はみさぎを廊下に残して扉を閉めた。

 壁にさえぎられて遠くなった戦闘メロディが、一度消えてリスタートされる。


「本当に、いいのかなぁ」


 お泊り会への不安が抜けきらないまま、あっという間に土曜日はやって来た。



   ☆

 こんな気持ちは初めてだった。

 朝起きた瞬間雨音に気付いて、みさぎは窓辺に駆け寄った。

 暗雲が町を包み、大粒の雨粒がしきりに窓ガラスを叩いている。

 いつもの休日なら、憂鬱ゆううつさに二度寝してしまうところだが、今日は張り切ってスマホを開いた。

 先に湊から『おはよう』のメールが届いている。


 支度したくを整え玄関で靴を履いたところで、早朝バイトから帰って来たばかりの蓮に後ろ腕を掴まれた。


「雨降ってるぞ? 今日はメガネくん来るんだろ? 部活か?」


 雨に濡れた蓮の髪がシャワー後のようにボリュームダウンしている。


「ううん、雨の日は部活免除めんじょしてもらってるの。だから、その前に湊くんと出掛けてくるよ」

「だったらアイツに来てもらえばいいのに」

「私が行くって言ったんだよ。大丈夫」


 湊も心配していたが、みさぎが彼の迎えを断った。

 蓮はみさぎから手を放して、玄関の扉の上にある窓を伺う。


「やみそうにないし、だったら俺が駅まで送るよ」

「いいよ。雨だからって、行けないわけじゃないんだから」


 不安でないと言えば嘘になるけれど、町中で傘をさして歩く分には問題ない筈だ。


「何かお兄ちゃん、昔の咲ちゃんみたい」

「ホント? それは嬉しいね」

「嬉しいのか……」


 蓮はヒルスのように執着するわけではないけれど、似てる所はあると思う。兄というのはそういうものなんだろうか。


「やれると思った時くらいやらなきゃ。だから、一人で行かせて」

「──分かったよ、頑張りな」


 仕方ないなと蓮は笑う。

 みさぎは「行ってきます」と外へ出て、お気に入りの傘を広げた。この間駅で湊に挑んだ、赤色の傘だ。


 あの時したキスの記憶が蘇って、みさぎは込み上げた動揺をふるふると振り払う。

 土砂降りの雨だけれど、今日はそんなに怖いとは思わなかった。



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