106 気の毒な男

 ともの魔法で気絶させられた鈴木を担架たんかで保健室に運び込んだところで、一華いちかに呼び出されたあやがご立腹の様子で駆けつけた。


 急だったせいかいつもより地味な格好の彼女は、体型に沿った紫のサテン生地のワンピースに薄いコートを羽織っている。強調された胸に釘付けになる智に一華がむくれるという軽い痴話喧嘩ちわげんかが起きたところで、絢が「やめなさい」と言葉を挟んだ。


「それより彼をどうにかするのが先よ。何でこんなことになってるの?」


 ベッドでガァガァといびきをたてる鈴木は、時折ニヤニヤと締まりのない顔を見せて起きる気配はない。

 地下で鈴木に見つかるまでの事情を知らない一華に変わって、智が駅で光を見つけてからの経緯を説明する。


「ごめんなさい、ルーシャ。私が施錠せじょうするのを忘れてしまって」


 謝る一華に重ねて、智も「すみません」と頭を下げた。


「まさかつけられてるとは思ってなくて。地下へ誘導する結果になったのは俺の責任です」

「僕も……」


 咲も続けて謝った。

 絢はあきれたように溜息をついて、「二度目はないわよ」とベッドの横へ移動する。


「けど彼はどうして学校なんかにいたのかしら」

「それは、多分肝試きもだめしだったのかも」


 ついこの間彼が言っていた事を思い返して、咲が鈴木を振り返った。

 メラーレが地下で剣を叩く音を『藁人形わらにんぎょうくぎを打ち込む音』だと言って、彼はその真相を確かめたいと言っていた。

 肝試しのメンバーを探しているようだったけれど、結局誰も見つからなかったらしい。


「一人で来たのか。ちょっと気の毒だな」

「でも俺たちをつけてあの地下室に辿り着いたんだから、コイツにとっちゃ大成功だったんじゃないか?」

「お前にぶっ倒されたけどな」


 しかも憧れの一華と智の抱擁ほうようを目撃するという大失恋の結末では、流石さすがの咲も鈴木に同情したくなってしまう。


「彼一人で良かったわよ。私もこんなことばかりして良くないのは分かってるけど、仕方ないわね。今騒ぎを起こすわけにはいかないもの」


 キンと耳鳴りがして、咲は絢の手元を見やった。

 彼女の細い指先がてのひらサイズの黒い魔法陣を宙に描く。


「少しだけ巻き戻すわ」


 彼女は攻撃魔法をほとんど使わない代わりに、補助的な魔法を巧みに操る魔女だ。今彼女は、地下へ入った記憶を鈴木から消すという。


 魔法陣を貼りつけた人差し指を鈴木の額に押し当てて、絢は小さく文言を唱えた。

 くるくると回る文字列が肌に移って、インクがにじむように吸い込まれていく。


 一瞬止まった鼾が、再びうるさくガァガァと鳴り響いた。

 黒い魔法はウィザードの操る白とは対照的な色だ。それを少し怖いなと思いつつ、咲は腕時計の時間を確認した。



   ☆

 すぐに起きるだろうと絢は言ったのに、あれから三十分経っても鈴木は目を覚まさなかった。

 相変わらず締まりのない顔で鼾をかいていると思えば、急に泣き出しそうに顔をゆがめる。


「本当に記憶は消えてるんだろうな?」


 保健室にいるのは咲と鈴木の二人だけだった。

 一度家に戻ると言った絢と一緒に、智と一華にも帰ってもらった。


 一華は鈴木が今一番熱を上げている女性だ。せっかく消してもらった記憶を、彼女に会う事でぶり返されても困るし、逆に夜の出会いに舞い上がってしまうかもしれない。

 どっちにしろ顔を合わせたら面倒が起こりそうな気がした。


「僕はコイツと結構長い付き合いなんだな」


 咲が広井町から引っ越して来た小学生時代から、彼はずっとクラスメイトだった。転校してきてすぐに告白されたのも、即効で断ったのも、咲にとっては良い思い出だ。

 だからと言って特別な思いは何もないけれど。


 もう九時半近くになっていて、そろそろ目を覚まして欲しかった。あんまり遅いとれんと電話する時間が短くなってしまう。


「起きろよ、鈴木」


 肩をツンと人差し指で突くと、鈴木の目がパチリと開いた。

 あまりにも機械的な覚醒に驚いて、咲は「うわぁ」と声を上げる。


「俺何でここに……海堂? お前がいてくれたのか?」


 状況を飲み込めていない様子で鈴木はゆっくりと起き上がり、不安気に咲を覗き込んだ。


「どこまで覚えてる?」


 咲が質問すると、鈴木はこめかみの痛みに手を添えて、首を傾げた。


「俺……」


 揺らいだ視線がテーブルの上の懐中電灯に止まって、ハッと目を見開く。鈴木が持っていたものだ。


「そうだ! 俺、肝試ししようと思って学校にもぐりこんだんだ。そしたらお前と長谷部逢引あいびきしてるのが見えて」

「ちょっと待て。僕はアイツと逢引きなんかしてないぞ」

「うわぁぁあああ」


 咲の否定など聞き入れず、鈴木はいきなり叫び声を上げた。

 まさかルーシャに限ってそんなことはないと思っていたけれど。


「俺の一華先生が、アイツと抱き合って……」


 この世の終わりを思わせる叫びを前に、咲は「えええ?」と驚愕きょうがくした。






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