88 彼と彼は恋人同士

「びっくりした……」


 れんの足音が遠ざかる。

 バタリと閉まった扉の音が静まるのを待って、みさぎは「疲れた」とぐったり項垂うなだれた。


 突然のれん登場に硬直していたみなとは、眼鏡のフレームを指で整えて小さな笑顔を零す。


「ごめんね、湊くん」

「気にしないで。お兄さん心配してたから、落ち着かなかったんだと思う」

「ずっと聞き耳立ててたのかな? お兄ちゃん、咲ちゃんと付き合い出して兄様に似てきたらどうしよう」

「あはは。けど事情はだいぶ分かってるみたいだから、さっきのは聞こえても問題はなかったと思うよ」


 目覚めてから話していたことと言えばターメイヤ時代の事で、湊が言うように今更隠す内容でもない気がする。


「それよりみさぎ、さっき何か言い掛けてたよね?」

「あぁ──」


 蓮の突入で、そのことをすっかり忘れていた。

 冷静に考えると、今ここで言わなくてもいいような気がしてしまう。


 それを言ったら彼が嫌がるだろう事が手に取るように分かって、「やっぱり……」と躊躇ためらった。けれど答えを求める湊の視線にはぐらかすことができず、みさぎはぐっと腹をくくって彼に尋ねる。


「智くんと戦うって言ったやつ、二人だけで行ってきてもいい?」

「え、二人きりでって事? 何で?」


 やっぱり湊は不機嫌になった。あからさまというわけではないけれど、一瞬曇った表情がその全てを物語っていた。


「何で、って言うと……」


 理由を述べようと思えば幾らでもある。

 外野が居ると気が散るとか、思い切りできないとか、気を遣うのは面倒だとか。


 この間あやに言われたように、彼からの束縛はみさぎに対する不器用な愛情表現だとポジティブに受け止めたい。別に、智と二人きりで居たいという浮気心ではないのだ。

 魔法使い同士思い切り戦いたいだけなのに、それを説明するのにこんなに労力がいるなんて思ってもみなかった。


 みさぎは国語も得意ではないけれど、じっと見つめてくるその大好きな顔に、自分の気持ちをまとめて放った。


「私は、湊くんが大好きだよ。だから──すぐそこで心配されたら、戦えないよ。全力でやりたいの」


 湊が『好き』という言葉にハッとして、またぎゅっと表情に力がこもる。何か言いたそうに動いた瞳はしばらくさまよった後、諦めたように伏せられた。


 再び弱く開いた瞳が、少し寂しそうにみさぎに笑い掛ける。


「俺も魔法戦見たいなって思ってたんだからな? 智と二人なのも嫌だけど、言ってくれたから許すよ」

「ありがとう、湊くん!」

「あんまり嬉しそうにしないで」

「う、うん」


 恋人がいるというのは大変なことも多いんだと実感しながら、みさぎはもう一度「ありがとう」と湊に笑顔を送った。



   ☆

 まだ体力の戻り切っていないみさぎをベッドに戻して部屋を出ると、湊は蓮の部屋をノックした。


「すみません、帰りますんで」

「あ、はい」


 返事の後に蓮が廊下に出てくる。

 一瞬で閉められた扉の向こうに何やら鮮やかな光景が広がっていた気がしたけれど、それが何であるかの確認はできなかった。


「今日はオヤジたち帰ってくるの遅いから、もう少し居ても良かったのに」

「いえ、もう遅いんでそろそろ。少し寝たいって言ってたんで、後はお願いします」


 時間は七時を過ぎていて、窓の外はすっかり暗くなっていた。


「今日はありがとうございました。あと、さっきはすみません」

「さっき? あぁ、謝らなくていいよ。彼氏なら普通でしょ? 俺が入って行ったのが悪いんだから。まぁ、もっと別のことしてたら言ったかもしれないけど」

「えっ……」

「冗談だよ」


 蓮は笑って湊を見上げると、一瞬迷ったように顔をゆがめた。


「咲がさ、みさぎはアンタが居るから大丈夫だって言うんだよ。けど、幾ら強い奴だからって、高校生のアンタにみさぎを守れなんて言わないから。前に居た世界がそうじゃないって言ったって、ここは日本だろ? 俺たまに考えるんだけど、高校生が人の命なんて背負うもんじゃないと思うよ。これって、みさぎのアニキとして言ってるんだからな? 彼氏のアンタじゃ納得できないだろうけどね」


 「ですね」と湊は苦笑する。


「俺は守ろうって意気込むくらいじゃないと、逆に守られてしまいそうなんで。そうならないようにっては思ってます」

「みさぎって、そんなに強いの?」


 眉を上げて驚く蓮に、湊は「はい」とあごを引く。


「そうなんだ。聞いてはいたけど、アイツがねぇ。だったら、みさぎのためにアンタも死ぬなよ」


 そう言って蓮は一緒に階段を降り、「またね」と玄関で湊を見送る。



 荒助すさの家を出ると、涼しい秋の風が吹きつけてきた。

 湊はふと足を止め、閉じられた扉を振り返る。


「みさぎのお兄さん……か。ヒルスとは大分違うな」


 ぽつりと呟いた後に二人が恋人同士だという事実を思い出して、湊は「えっ」と声を詰まらせた。





6章『隠し扉の向こう側』終わり

7章『足りないもの』に続く

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