2章 甘い香り

12 彼に似ている彼女

みなとくん、ともくんが来て明るくなったね」


 相変わらずの貸し切り車両で、湊はいつになく穏やかな様子でみさぎの横に座っていた。


 みさぎは昨日送ってもらった礼を言って、れんとやったゲームの話をした。その後に会話が途切れても、湊は一度も空を見ようとしなかったのだ。

 本人に自覚はないようだが、みさぎにとっては今すぐにでも咲へ報告したいくらいのビッグニュースだった。


「え? 俺って今までそんなに暗かった?」


 「そうなのかな」と黙る湊は少なからずショックを受けているように見えて、みさぎは「ちょっとだけ」と嘘をつく。本当は大分変わったと思っていた。


「でも、智くんに会えてよかったね」

「うん。まぁ……ね」


 そう言って湊が見せた照れくさそうな笑顔に、みさぎはドキリとする衝動を覚えて彼から顔をそらす。


荒助すさのさん?」

「な、なんでもない」


 隣の車両に駆け込みたい気持ちをこらえて、みさぎは彼の隣にとどまった。



   ☆

 駅で待ち構えるさきの横に、今日は智が居る。

 空は快晴。いつもと少しだけ違う朝だ。


「荒助さん大丈夫? 具合悪いなら帰って寝てた方がいいんじゃないかな」


 うつむいたままのみさぎを心配する湊。


「何だみさぎ、気分でも悪いのか?」

「だ、大丈夫」


 自分でも良く分からない気持ちに、みさぎは大きく深呼吸をする。


「少し電車に酔っただけだから」


 無理矢理言い訳を作ると、咲が隣で「無理するなよ」と背中をさすってくれた。


「ありがとう、咲ちゃん」

「そういえば昨日の雨だいぶ長かったけど、みさぎちゃんちゃんと帰れた?」

「そうだよ湊。送り狼になって、みさぎに変な事してないだろうな」


 湊を横目に見上げて勘繰かんぐろうとする咲に、みさぎは「してないよ」と慌てて口をはさむ。


「何もなかったよ。お兄ちゃんが迎えに来てくれたから、駅の改札で別れたの」

「そういうこと。それより荒助さんのお兄さんって、大分アッサリした感じのお兄さんなんだね」

「えっ? あっさり? って、どういうこと?」

「いや、妹の居る兄って、もっとこうベッタリしてるような――昔、身近に凄いのがいたから」


 苦笑いする湊に、智が「あぁ」と笑った。


「ヒルスのことか」

「ヒルス?」


 みさぎが初めて耳にする名前だ。その名前が出た途端、二人は何故か面白そうに声を弾ませる。


「そうそう、リーナの兄貴」

「リーナさんにもお兄ちゃんがいたんだ」

「ヒルスはリーナのこと溺愛できあいしてたから、それと比べると荒助さんのお兄さんは、淡白っていうか。俺と一緒に帰ってる所見られても何ともなかったし。ヒルスだったら、タダじゃ済まなかっただろうね」

「溺愛? リーナさん大変そうだね」


 みさぎは蓮にその様子を当てはめて、ふるふるっと首を振る。


「みさぎちゃんの兄貴がアイツだったら、湊は決闘申し込まれたかもしれないな。俺も女兄弟いないから、妹の兄って言ったらヒルスのイメージ。そうだな、アイツはどっちかっていうと――」


 首を傾げた智の視線が、ふと咲に留まる。


「あれ?」


 そこで智は彼女の様子がおかしいことに気付いた。


「咲ちゃん?」

「ちょっと、みんな待てよ」


 ピタリと足を止めた咲を、行き過ぎた三人が振り返る。


「どうしたの、咲ちゃん」


 ついさっきまで元気だった咲が、何故か地面に顔を落としたまま陰鬱いんうつな空気をまとっていた。


「おっ、お……」


 咲はうまく言葉にならない音を発して、三人を見上げた。破裂しそうな感情に目を血走らせ、吐き出すように叫ぶ。


「みさぎに、お兄ちゃんがいるのかよぉぉおお!」


 咲はみさぎに詰め寄って、うるんだ目で訴えた。


「う、うん」

「何で? 何でよりによってお兄ちゃんがいるんだ!」

「何で、って言われても……」


 前のめりな咲に一歩下がって、おろおろとするみさぎ。


「お兄ちゃんが居るって、言ってなかったっけ?」


 そんな個人情報など、わざわざ言う話でもない気がして、みさぎは言ったのかどうかの記憶すらなかった。

 咲の中で何が起きたのか見当がつかず、みさぎは男子二人にどうしようと目で訴える。

 よし、と無言でうなずいた智が「咲ちゃん」と二人の間に入った。


「別にみさぎちゃんに兄貴がいても、咲ちゃんには何の問題もなくない?」


 苦虫を噛んだようなふくつらで、咲は肩を震わせる。いくらスカートの丈を詰めて美脚を披露したところで、その顔では台無しだ。


「何が嫌なのか分からないけど、そう怒らないでよ」


 智はそうなだめて、話題をリーナの兄へ戻した。


「ヒルス……リーナの兄貴ってさ、確かにリーナが大好きで変な奴だったけど、俺、兵学校時代はずっと一緒でライバルだったんだ。だから、もう会えないのは寂しいかな」

「智……」


 再び顔を上げた咲が、今度は智に向けて目を潤ませた。

 「ええっ?」と困惑する智。

 そんな様子をはたで見ていた湊が、「そういえば」と眉を上げた。


「リーナの兄貴って、海堂に似てるかな」

「あっ、やっぱり? 俺もさっきそんな気がしたんだよね」


 うんうんと同意する智に咲はコロリと表情を変えて、「はあっ?」と嫌そうに声をとがらせた。


「性別、間違えないでくれるか? こんな可愛いお兄ちゃんがいたらおかしいだろ?」

「顔じゃなくてさ。いつも荒助さんにベタベタしてるだろ? そんなとこが似てるって思ったんだよ」

「何だよ、湊。お前もベタベタして欲しいのか? 好きって言ってもお前とは付き合ってやらないからな?」

「誰もそんな事言ってないだろうが」


 「何だよぅ」と半ば意地になって咲は訴えるが、校門に近付いたところで、


「海堂さん」


 いつもの朝、いつもの声がその勢いをぎ落とす。


「そのスカートの長さはちょっと……」


 風紀委員の伊東先輩が、「駄目ですよ」と強気に咲のスカートを指差した。

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