106話―慈悲深き最期

 ウェラルドが倒れたのと同時に、決闘場デュエルリングの周囲にある奈落が消えて草原に戻った。アゼルはいの一番にアンジェリカの元へ駆け寄り、崩れ落ちる彼女を抱き止める。


「アンジェリカさん! 大丈夫ですか!?」


「アゼルさま……わたくし、勝ちましたわ。見ていて、くださいました?」


「はい! 大金星ですよ、アンジェリカさん。本当に……頑張ってくれて、ありがとうございます」


 弱々しく笑うアンジェリカを抱き締めながら、アゼルはそう口にする。傷だらけではあるが、蘇生の炎のストック分を消費してダメージを癒せば命に別状はないだろう。


 ほっと胸を撫で下ろした後、アゼルはアンジェリカに肩を貸し決闘場デュエルリングの外に出ようとする。その時、絶命したはずのウェラルドが身体を起こした。


「しばし……待って、もらいたい。最期に……君たちに話さねばならぬことが、あるのだ……」


「話さなければならないこと、ですか?」


「そうだ。俺を倒した褒美と、狼藉を働いた詫びに……我が主の目論見を、話そう」


 堕ちたとはいえど、腐っても神……その耐久力は、大地の民を遥かに上回るようだ。常人であれば即死していただろう攻撃を受けてなお、立ち上がる余力があるらしい。


「カルーゾの、目論見……」


「そうだ。お前たちも、ある程度察しがついているかもしれないが……あやつは、闇の眷属と手を組んでいる。それも、下級の眷属ではない。魔の貴族だ」


「魔の貴族……ヴェルダンディーさんのような、人と?」


 アゼルが問うと、ウェラルドは頷く。恐るべきことに、あれだけ盛大に血が吹き出ていた角の断面は、もう傷がほぼふさがっていた。


「いや、ヴェルダンディーのような穏健派ではない。もっと過激で、邪悪な存在だ。ある目的のために、協定を結んでいる。それが何なのかは、我らにすら話してはいないが……邪悪なものだろうことは想像に難くない」


「……一体、あなたの主は何を考えているのでしょうね。どうも、嫌な予感しかしませんわ」


「ああ、俺もそうだ。……天の世界を去る時、神族の幼子が何人か行方知れずになったという話を聞いた。まさかとは、思うが、今回の一件と繋がりがあるやもしれぬ」


 ウェラルドの言葉を聞きながら、アゼルは思考を巡らせる。魔神たちの元に現れた、闇の眷属の軍団。そこに混じっていたベルルゾルク。


 そして、たった今聞かされた神族の子どもたちの失踪。……そして、突如協力を申し出てきたヴェルダンディーと、彼が呟いた意味深な言葉。


『……どうやら、思っていたよりも早くようですな』


「……もしかしたら、ぼくたちが思っているよりも事態は深刻なのかもしれませんね」


「そうだと、俺も思っている。だから……一つ、助言を残す。カルーゾ様は我らよりも強く、強靭な肉体を持つ。君たちの力をもってしても、傷を付けるのは困難だろう。だから……」


「だから?」


「オーブを狙え。創世六神にとって、常にその手に持つオーブは第二の心臓。それさえ破壊出来れば……確実に、殺せる。強大な、神……うぐあっ!!」


 そこまで話したところで、ウェラルドに異変が起こる。ベルルゾルクの時と同様に、身体に宿した暗域の力が暴走を始めてしまったのだ。


「やはり、か。くっ……闇の眷属などの口車に乗ると、ロクなことにはならぬ、な……。かくなる、上は!」


「あなた、何をなさるつもりなのです!?」


「お前たちに、これ以上迷惑はかけられぬ。この身に宿る暗黒の力もろとも……我が命、ここで絶つ!!」


 ベルルゾルクのような暴走を起こさぬように、ウェラルドは自ら命を絶とうとしていた。手を己の胸に突き立て、肉を、骨を引き裂く。


 自身の心臓を握り絞めながら、かつての神はアゼルとアンジェリカを見つめる。慈愛に満ちた、優しい眼差しで。そして……別れの言葉を、かけた。


「……さらばだ、可能性の天使たちよ。お前たちの勝利を……俺は、ずっと祈っているぞ」


「ウェラルドさん……そんな!!」


「自分で、心臓を……。何とも、凄まじい最期でしたわ……」


 己の心臓を握り潰し、『慈悲』の神ウェラルドは立ったまま息絶えた。その顔に、安らかな笑みを浮かべたまま。アゼルとアンジェリカは、そっと十字を切る。


 遠巻きに様子を見ていた騎士たちも、二人にならい十字を切ってウェラルドに黙祷を捧げる。直後、神の遺体は灰へ変わり、崩れ去った。


「……ウェラルドさん。安心してください。ぼくたちは必ずカルーゾに勝ちます。どんな野望を抱いていようと、誰と手を組んでいようとも……絶対に、負けませんから」


 誓いを新たに、アゼルはそう呟く。少年の頬を、一筋の涙がつうっと伝い、地面に落ちた。



◇――――――――――――――――――◇



 ――時はさかのぼる。アゼルとアンジェリカがウェラルドとの邂逅を果たしていた頃、帝国の南に現れた気配を追っていたリリンとシャスティは予想外の事態に陥っていた。


「おいおい、どうなってんだ? 気配は一つだったろうよ、こっち側は。なのに、なんで?」


「知らん。そんなこと、こっちが聞きたいくらいだ」


 ボーンバードを駆り、二人がたどり着いたのはアークティカ南部に広がる荒涼とした平野。そこには、リリンたちが想定していなかった、者たちがいた。


 一人は、審判神のシンボル……天秤が納められた白いオーブのマークが刻まれたローブを身に付けた者。そして、もう一人は……虎の頭部を持つ獣人だ。


「……おかしい。あの獣人、全く生命反応がないぞ。まさか、アンデッドなのか?」


「知らねえなぁ、んなことは。降りてみりゃハッキリするんじゃねえか? 隣に突っ立ってる奴のこともよ」


「そうだな、まずは相対せねば。ゆくぞシャスティ!」


「おうよ、任せとけ!」


 ボーンバードを降下させ、安全に着地出来る距離まできたところで二人はヒラリと飛び降りる。問題の者どもまでは、直線距離にして二メートルほど。


「ようやく来たか。待ってたぜぇ、お前たちが来るのをよぉ! グルッフォフォフォ!! オレサマはガロー! カルーゾ様にお仕えする伴神が一人……『闘争』の神能を司る者よ!」


 リリンたちの接近に気付いたローブの人物は、正体を隠していたローブを勢いよく脱ぎ去りつつ名乗りをあげる。一方で、隣に立つ獣人は微動だにしない。


「ガロー、か。だいぶバカそうな格好とツラをしているな」


「アタシはよぉーく知ってるぜ。一人称がオレサマな奴に、賢い奴はいねーってよ。主に酒場の奴らだけど」


 ガローの姿を見たリリンたちは、失礼極まりないことを口にする。……もっとも、肝心のガローが上半身に巻いた斜め十字の鎖と腰ミノしか身に付けていない蛮族スタイルなのも一因だが。


「ああん? 今オレサマをバカにしやがったなぁ? 今に見ていやがれ、度肝を抜くぜぇ」


「何に? お前のバカっぷりにか? 確かに、珍妙なハプニングを起こしそうなツラをしているものな」


「ぶふっ! リリン、お前笑わすなよ!」


 どこまでも辛辣なリリンに、思わずシャスティは吹き出してしまう。額にいくつもの青筋を浮かべ、ガローは怒りをあらわにする。


「くぅおんのやろぉぉぉおぉ!! どこまでもオレサマをコケにしやがってぇぇぇ!! いいぜ、なら早速度肝を抜かせてやる。あのイケ好かねぇ大魔公から押し付けられたコイツでな!」


 そう口にすると、ガローは隣に立つ獣人の方を向く。右手に魔力を蓄え、獣人の顔面に向かって張り手を叩き込んだ。とんでもないことを口走りながら。


「さあ、仕事の時間だぜ。そろそろ目ぇ覚ましな! 千年前の暴れん坊……伝説の魔王の懐刀、『千獣戦鬼』ダーネシア!!」


「グ……ル、グルォォアアァ!!」


 直後、獣人が咆哮をあげる。その声を聞いただけで、リリンとシャスティは理解した。とんでもない者が、目覚めたと。


「なんだ……? あいつ、何をしやがった?」


「分からん。だが、一つ言えるとすれば……」


「グルルルル……!!」


「……私たちは今、非常にまずい状況にあるということだ」


 リリンの頬を、冷や汗が伝って落ちる。恐るべき獣の爪牙が、二人に襲いかかろうとしていた。

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