95話―神殺しの法

 しばらくして、アゼルたちは城の最上階にある玉座の間へ続く回廊に到着した。回廊を抜け、最奥にある巨大な観音開きの扉の元へと向かう。


「大きな廊下……絵がいっぱい飾られてますね」


「うむ。かつて起きた、闇の眷属や神を騙る者どもとの戦いを描いたものを記念に飾っておるのじゃよ。……さあ、着いたぞ」


 ところ狭しと壁に掛けられた絵画を眺めつつ回廊を歩いていくと、扉にたどり着いた。警備をしていた二人の騎士は、ビシッと敬礼をしてアイージャを出迎える。


「ご苦労様です、アイージャ様」


「うむ。そなたらもな。済まぬが、一旦外れてくりゃれ。分かるじゃろ?」


「……かしこまりました」


 アイージャに目配せされた騎士たちは、その場から去っていった。扉が開かれ、玉座の間の内部が見える。が、部屋の奥にある黄金の玉座には誰も座っていない。


「なんだ、誰もおらぬではないか。皇帝とやらはどこにもおらんぞ」


「ふむ、そういえば今は昼寝の時間じゃったの。ほれ、そこにおるじゃろ。ぐっすり寝ておるわい」


 玉座の間に入ると、天井の中央にシャンデリア……に見せかけた半円の皿らしきものが鎖で吊り下げられていた。その中から、静かな寝息が聞こえてくる。


 例の皇帝が、中で昼寝をしているのだろう。アイージャがパチンと指を鳴らすと、皿……もとい、ベッドがゆっくり慎重に降りてきた。


「これが、皇帝……なのか?」


「随分とまあ……可愛らしい方ですのね」


「くー……すぴー……」


 ベッドの中を覗き込んだリリンとアンジェリカは、そんな感想を漏らす。ネコミミが生えた幼い少年が、毛布にくるまって幸せそうに眠っていた。


 アイージャと同じく褐色の肌をしており、猫の顔がプリントされた寝間着を着ている。厳つい大男だと予想していたアゼルは拍子抜けしてしまい、ポカンとしていた。


「この子……人が、皇帝さん……なんですか?」


「左様。ベッドの中で熟睡しているこの子こそ、この国の永世皇帝にして現盾の魔神……リオ・アイギストス。というわけで……リオよ、済まんが起きておくれ。客がいるでな」


「んにゅ……むへ、もうおさかなたべられないよ……むにゃむにゃ……へくしゅ! ふえ? ねえ様、どしたの?」


 幸せそうな寝言を呟いているリオの鼻を、アイージャがしっぽでくすぐる。くしゃみをしつつ目を覚ましたリオは、半分寝惚けた状態でのそのそ起きてきた。


「寝ているところ悪いのう。じゃが、神どもから力を貸せと言われた者たちが来ておるのじゃよ」


「ふぇ……? 分かった、シャキッとするからちょっと待ってね」


 ぽけーっとしながらアゼルたちの方へ目を向けたリオは、即座に頭をリフレッシュさせ意識を完全に覚醒させる。大きく伸びをした後、ベッドの外に出る。


「お待たせ。ようこそ、異界のお客様。僕はリオ。この国を束ねる皇帝です。よろしくね」


「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」


 互いの右手を握り、アゼルとリオは硬い握手を交わす。手を放した後、リオは自身の横に界門の盾を呼び出しつつ、話をし始めた。


「君たちの大地のことは聞いたよ。厄介な人に目を付けられちゃったねぇ、ほんと。神様が相手じゃ、戦うのも大変だし」


「その神と戦うための力を、お主が授けてくれるのだろう? 少なくとも、そこの猫女はそう言っていたぞ」


「うん、僕の血をあげるよ。とーっても濃い、魔神の血をね」


 そう言うと、リオは盾を開く。向こう側は貯蔵庫に通じているらしく、身体を突っ込んでグラスとボトルを取り出してきた。アイージャにボトルを渡し、栓を抜いてもらう。


 どうやらボトルの中身は酒ではなく、水のようだ。リオが差し出したグラスの中になみなみと、透き通った清涼な液体が注がれていく。


「貴方、何をしていらっしゃいますの?」


「えっとね、神を殺せるほどの力を持った血は、とても濃いんだよ。それこそ、そのまま飲むと命を落とすくらいに。だから、問題なく飲めるように薄めなくちゃいけないんだ」


 訝しむアンジェリカにそう答えつつ、リオはベッドの中に忍ばせていた護身用の短剣を取り出す。そして、目を閉じて魔力を練り上げ始めた。


(……! なんだ、この者の魔力は!? 千年生きてきたが……ここまで強大な魔力、四王ですら持っていなかった。……どうやら、認識を改めねばならないようだな)


「凄い……空気が、張り詰めてます……」


 凝縮されていく膨大な量の魔力を感じ取ったリリンは心の中で唸り、アゼルは思わず呟きを漏らす。血に魔力を宿らせ、リオは短剣で己の人差し指に傷を付ける。


 傷口から垂れた一滴の血が、グラスに注がれた水の中に落ちていく。すると……一瞬で、水が深紅の色に染まった。同時に、ツンと鼻をつく鉄の匂いが部屋に満ちる。


「この血には、力が宿ってる。被造物の枷を砕き、神を滅ぼすための力が。その血を……僕、リオ・アイギストスの名において汝に授ける」


「は、はい!」


 自分と同い年くらいの子どもとは思えない、威厳に満ちた声で話し始めるリオに気圧されたアゼルは、びしっと直立し返事をする。リリンとアンジェリカも、同様の状態だ。


「されど、この血を飲めばもう後戻りは出来ない。汝の往く先は修羅の道になるだろう。覚悟があるならば……飲み干すがよい。我が血を、一滴残らず」


「……覚悟は、もう出来ています。ぼくは見ました、カルーゾたちが無辜の民を滅ぼしたのを。あんな暴挙は、許せないし許さない。彼らを止めるためなら……修羅の道も歩きます!」


 そう言うと、リオはアゼルにグラスを手渡す。鉄の匂いさえなければ、高級な赤ワインだと言われても全く疑問に思わないほどに、深い紅のソレを……。


 アゼルは決意の言葉を述べた後、一息に血を飲む。焼けつくような熱さと、心臓が凍てつくような冷たさが、同時に喉を通り体内に広がっていく。


「む、むぐ……うぐぅっ! うう、ああああ!!」


「アゼル、大丈夫か!?」


「静かにしておれ。死にはせぬよ。あの者は闇寧神の力を宿しておるのじゃからな。血を受け入れるための器は出来ておる」


「だ、だからと言って……あんなに苦しそうにしているのに、ただ見ていろとおっしゃるんですの!?」


 血を飲み干したアゼルは、苦悶の表情を浮かべて床に崩れ落ちる。濁流のように身体じゅうを駆け巡る魔神の血が、少年に耐え難い痛みと苦しみを与えているのだ。


「そうだ。そも、お主らに何が出来る? 痛みを肩代わりすることなど出来ぬ、何者であっても。あの者が血を受け入れるための試練なのじゃよ、これは」


「くっ……! 本当に、アゼルは死なないのだろうな? 神殺しの力を得られるのだろうな!?」


「大丈夫だよ、お姉さん。アゼルくんだっけ、彼は死なないよ。そうでなければ、血をあげてないもの」


 アゼルの身を案じるリリンに、リオとアイージャはそう答える。彼らの言う通り、リリンたちには見守ることしか出来ない。アゼルが痛みに耐え、血が馴染むのを。


「……わたくしたちも、この苦しみを味わわねばならないのですわね。でも、アゼルさまが通った道ならば、わたくしも……」


「あ、その必要はないよ。今回の血はとーっても濃いスペシャルなやつだからね、飲んだ人と深い繋がりがある人にも、力が伝播するんだ」


「力が、伝播するだと?」


「うん。血の繋がった者や、魂の絆で結ばれた者にも……時間はかかるけど、神殺しの力は宿る。君たち二人も、いずれ体得することになるね」


 てっきり、自分たちも血を飲む必要があると思っていたリリンとアンジェリカは、リオの言葉に拍子抜けしてしまう。しかし、血を飲まずとも力を得られるならば、それに越したことはない。


「そうか、なら……む、アゼル? これは……眠っているのか?」


「うむ。無事血が適合したようじゃ。数日眠れば、目を覚ますじゃろう。何しろ、特濃の血を飲んだのだ。疲労もかなりのものじゃて」


「数日? そんなに待っていられないぞ。いつまた堕天神どもが攻めてくるか分からんのだ、悠長なことは……」


「問題はない。今回の事態、すでに天上の神々も動いておる。お主らの用意が整うまでは、上の連中が時を稼ぐ。時が来るまではここにおれ。お主らの仲間も、呼び寄せておくでな」


 敵の動きを警戒し、すぐにでも迎撃に動きたいリリンは文句を言う。そんな彼女に、アイージャは問題はないと告げる。神々が動くならば、しばらくは安全だろう。


 そう考えたリリンは、渋々ではあったが引き下がった。合流出来ていないシャスティらも来るならば、情報の共有……そして、リベンジに向けた特訓も出来る。


「ま、しばらくは厄介になってやってもよいぞ? 丁重にもてなすといい」


「……図々しい奴め。全く可愛げのない……どこぞの誰かさんみたいじゃな、全く。まあよい、部屋に案内してやる。その者を担いでついてこい」


 腕を組んでふんぞり返るリリンを見て、アイージャは嫌そうにしっぽを振る。ブツブツ文句を言いながらも、リリンたちを客室に案内するため玉座の間を出た。


「じゃーねー。僕はもっかいお昼寝するから……ふわぁーあ」


 一人残ったリオは、リリンたちを見送った後ベッドの中に潜り込む。鎖が引き上げられていくなか、猫のように丸くなり毛布にくるまって再び深い眠りに着いた。

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