79話―バリバルの悲劇

「三百年前。私は闇霊ダークレイスを安全に、そして確実に撃破する方法を確立した功績を讃えられ、初代聖堂騎士団長に任じられました。しかし……」


 そこまで話したところで、ディアナは傷痕を手で押さえる。古傷が痛むのだろう、顔には苦悶の表情が浮かんでいた。しかし、それでも話すのはやめない。


「……当時の枢機卿の一人、次期法王候補筆頭と目されていた者がそれを快く思わなかった。彼は他の枢機卿を抱き込み、私を陥れるためだけに……最悪の作戦を行ったのです」


「最悪の作戦……? 乙女よ、それはまさか、『バリバルの悲劇』のことか?」


「はい。おっしゃる通りです、王よ」


 バルジャットの問いかけに、ディアナはそう答える。すると、部屋にいた聖女たちとシャスティ、アストレアは沈痛な面持ちを浮かべうつむいてしまう。


「あの、そのバリバルの悲劇って一体なんですか?」


「……今から約三百年前、関係が悪化の一途をたどっていたエルプトラ首長国と神聖アルトメリク教国の間で、関係改善を計り和平条約を結ぼう、という話が出たことがあってな」


「条約を結ぶための舞台に選ばれたのが、エルプトラの小さな町バリバルでした。そこに、当時の首長と法王、その側近が集い和平条約が締結される、はずでした」


 暗い表情でそう話すバルジャットとディアナの言葉に、アゼルは嫌な予感を覚えた。今現在も、両国の関係は冷えきっているのを見れば嫌が応にも結末が分かるというものだ。


 そして、アゼルの予想通り……いや、予想を遥かに上回る大惨劇が起きたということを、彼は知ることとなる。


「ですが、バリバルに例の枢機卿が率いる謎の兵団が現れ……法王も首長も、側近も町の住民も含め皆を殺したのです。私も法王に追従し、列席していましたが……数の暴力には、到底勝てず……」


「我がマフドラジム家に伝わる情報には、こう記されていた。極一部、運良く生き残った者たちは……兵団が、ディアナ殿攻撃せず、動きを封じるのみに留めていた、と」


「……今から思えば、すでに当時からガルファランの牙による侵食が始まっていたのだと思います。何しろ、兵団はみな口を開けた蛇の横顔のシンボルマークを肩につけていましたから」


「……なるほど、だいたい読めた。その枢機卿さんは、あんたを陥れて大罪人に仕立てあげるために、牙をけしかけたってことか」


 カイルの言葉に、ディアナは頷き……憎しみに満ちた目で、窓の外を見つめる。それは、己の中に渦巻く負の感情を他者に向けないための彼女なりの努力なのだろう。


「その通り。私はその後、計ったかのようなタイミングで現れた聖堂騎士団に捕らえられ、バリバルの悲劇を引き起こした張本人として、ロクに捜査も裁判もされず死刑判決を受けました」


「酷い……なんで、なんでそんなことが出来るんですか。ディアナさんは、何も悪くないじゃないですか! それなのに、その枢機卿さんたちは……人の心が無さすぎます!」


「……いいのですよ、アゼル様。どのみち、要人を誰一人守れなかったのは事実。その罰を、私一人だけが受けるなら……それでよかった。しかし、あの男たちは! 無関係な私の家族まで! 殺した!」


 あまりにも悲痛な叫びに、その場にいた全員が何も言えなくなってしまう。堰を切ったように、ディアナは息継ぎすらせず思いの丈をぶちまける。


 怒りと、憎しみと、悲しみ……全てがぐちゃぐちゃに入り雑じった声が、宮殿の一室にこだました。


「牢に繋がれた私の前で、父も母も、弟も妹も! 凄惨な拷問を受け、七日七晩の間苦しみながら死んでいった! 想像出来ますか? 目の前で、愛する家族が! 人としての尊厳の全てを奪われて、壊されていく光景を! 私を罵るでもなく、ひたすらに……助けを、救いを、死を求めて泣き叫ぶ姿を! それを……私は、見ていることしか出来なかった。自害を防止する魔法をかけられ、ただずっと……見ていることしか出来ない地獄。その地獄の中を……私はただ一人、生きていた」


 あまりにも悲しく、痛ましい告白にアゼルはただ涙を流すことしか出来ない。目の前にいる騎士が味わった悲しみを、癒すことなどどうして出来ようか。


 皆沈黙し、そこかしこから鼻をすする音が聞こえてくる。壮絶な過去に、誰も声を発することが出来ないでいるのだ。


「……その後、私は顔の半分を焼かれ、瀕死の怪我を負わされた後深い谷底へ落とされました。でも……私は死ななかった。何故なら、ジェリド様に救われたから」


 先ほどまでの悲痛な声色から一転、ディアナの声には狂気が宿っていた。涙で濡れていた瞳には、爛々と光が輝いている。決して輝いてはならない、おぞましい光が。


「彼らが私を落としたのは、当時開いていた凍骨の迷宮への入り口だったのですよ。そうとも知らず、私を始末したと思い込んだ教会は、忘却ダムナティオの刑・メモリアエを行い全てが終わったと思い込んだ。何一つ、終わってなどいないというのに。私が生きている限り、終わることなど永遠に有り得ないと言うのに……クフフ、クハハハハ、アハハハハハハハ!!!」


「ディアナ、さん……」


「瀕死の私を治療したジェリド様は、事情を知り側近としてお側に置いてくださった。それからの三百年、私はずっと研究し続けた。闇霊ダークレイスのその先を行く、新たな外法を。いつの日か、教会を滅ぼすために。私から全てを奪った者たちから、今度は私が奪うために。教会の動向を監視しながら、ずっと……ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと」


 一人の男が行った悪行が、かつて善良だった聖女を狂気の道へと堕としてしまった。そのことを誰よりも痛感していたのは……他ならぬ、アストレアだった。


「……ディアナ様。もう、お止めください!それ以上、自分を追い込むのを見ているのは……耐えられません」


「……ふふ、追い込んでなどいませんよ。大丈夫、私は冷静です。時が満ちて、喜んでいるだけ。とうとう、教会を滅ぼせる日が、やってき」


「ちょっと待ってくれ! つまりだ、あんたはアストレア様も殺すつもりなのか? それだけは、アタシが命に代えても……」


「ああ、安心なさい。聖女長の一派に手をかけるつもりは微塵もありませんから。歴代の聖女長は、私との約束を守ってきたので」


「……約束?」


 話の途中で待ったをかけるシャスティに、ディアナは笑いながらそう返す。ディアナに変わり、今度はアストレアが話をはじめた。


「シャスティ、あなたには話していませんでしたが……歴代の聖女長には、とある使命が伝わっています。それは、かつて起きた『バリバルの悲劇』の真実……そして、ディアナ様の無念を語り継ぐこと」


「当時、処刑される前日に私の後任の聖女長がこっそり会いにきましてね。無実を証明出来ず、見殺しにしてしまうことを涙ながらに詫びてきたのです。そこで私は、アストレアが言った使命を託しました」


「なるほど。で、それがどうして聖女長一派に手ぇ出さないことになるんだ?」


「約束したのですよ。もし私が復讐のため地上に現れるその時まで、悲劇の真実を語り継ぐのを忘れていなければ聖女長一派は見逃す、と。逆に、どこかで途絶えれば……その時はもろともに滅ぼすとね」


 教会への強い憎しみから狂気へ落ちたディアナにも、かつての仲間である聖女たちへの慈愛が残っていたのだ。その想いに応えようと、歴代の聖女長たちも頑張ったのだろう。


 その結果、現代に生きる聖女たちは逃れることが出来たのだ。復讐の念に駈られた、かつての聖騎士による断罪から。


「……ディアナさん。あなたは、どうしても教会を滅ぼすのですね?」


「はい。例え貴方様に止められたとしても、私は初志を貫き通すつもりです。これは、私一人の戦いではなく……『バリバルの悲劇』で散っていった者たち、そして……私の家族たちの復讐でもありますから」


「なら、ぼくにもそのお手伝いをさせてください。復讐だけが、あなたを癒し救う手段だと言うのなら。かつてあなたに命を救われた者として、共に手を汚します」


 力強いアゼルの言葉に、ディアナを含めその場にいた全員が驚き目を見開いた。てっきり、ディアナを説得して思いとどまらせるものだと思っていたからだ。


「アゼルさま……貴方は、それでいいんですの?」


「はい。どのみち、教会とは戦わなければなりません。法王を倒し、裏でうごめくガルファランの牙をも倒す。それが、ぼくの使命。そこに、もう一つ戦う理由が加わっても、問題はないでしょう?」


「アゼル、様……。ありがとうございます。本当に、本当に……」


 ディアナはそう呟きながら、アゼルに抱き着き子どものように泣きじゃくる。心強い味方を得て、嬉しかったのだ。そんなディアナの頭を撫でながら、アゼルは宣言する。


 創命教会……そして、その裏で暗躍するガルファランの牙との最終戦争の開幕を。


「さあ、始めましょう! 諸悪の根元を断ち……もう二度と、この大地に悲劇が起こらないように。ガルファランの牙を、完全に滅ぼすのです!」

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