62話―シャスティの昔話
冒険者ギルドを出発したアゼルたちは、帝都の中央地区にある教会へ向かう。その途中、シャスティからいろいろと創命教会についてアゼルは教えを受ける。
「……ってわけで、今この国には下級聖女がアタシを含めて四十八人いるんだ。そいつらが今日、ベルタ教会に集まるわけだ」
「聖女さんって、そんなにいるんですね……」
「ああ。全員、聖女長アストレア様の部下さ。外に出られないあの人に世俗の情報を届けるのが、アタシらの使命なんだよ」
聖女たちの仕事についての説明を聞いたアゼルは、ふととある疑問が浮かんできた。おしとやかで清廉なイメージとは正反対な存在であるシャスティが、何故聖女になったのか。
シャスティの過去が、アゼルは気になって仕方ない。そこで、教会までの道すがら彼女に尋ねてみることにした。
「そういえば、シャスティお姉ちゃんはどうして聖女さんになったんですか?」
「……あー、そうだな。まだ話してなかったよなぁ……まだ集会までちっと時間あるし、そこのカフェで話してやるよ」
大通りから見える大きな時計塔を見上げつつ、シャスティは困ったような顔でそう口にする。何か聞いてはいけないようなことでもあったのかと、アゼルは顔を強張らせる。
「あー、そんな顔すんなって。だいじょーぶ、怒ってるわけじゃねえからよ。ほら、入ろうぜ」
「は、はい。わかりました」
「シャスティ先輩の過去ですか。どんなお話が飛び出すのやら、ですわ」
集会が始まるまで、まだ時間があったためシャスティはアゼルとアンジェリカを連れ目についたカフェに入る。自身はコーヒーを、アゼルたちはケーキと紅茶のセットを注文する。
「んーじゃ、話すとすっかね。どっから話すか……まあ、一番最初からがいいよな。アタシはな、元は帝都のスラムに住んでる貧しいガキだったのさ」
「そうだったんですか?」
「ああ。おフクロが元娼婦でな、アタシを身籠ったのを期に……いや、これは別にいいか。とにかく、アタシはおフクロと二人でスラムで生きてたんだ」
シャスティの口から語られた過去に、アゼルは目を丸くする。一方、アンジェリカはなんとも言い難い表情を浮かべ、沈黙を貫く。
「おフクロはなぁ、毎日アタシのために汗水垂らして働いてさ。せめて娘にゃひもじい思いさせないようにって、キツい肉体労働やってたよ。アタシも助けになろうといろいろやったぜ」
「具体的には、何を……?」
「まだ五歳そこらのガキだからな、屑鉄集めて商人に端金で買い取ってもらったり、店の掃除とかやってたな。まぁ、貧しかったけど楽しかったよ。……八つの時に、おフクロが死ぬまでは」
そこまで語ったところで、シャスティの顔に暗い陰が落ちる。注文した品が運ばれてきたものの、とてもではないが口をつける気分にはなれない。
そんな空気を察したらしく、ウェイトレスはそそくさとカウンターの奥に引っ込んでいった。
「……忘れもしねぇ。十七年前のあの日、帝都で大火事が起きた。スラムなんて燃えやすいモンばっかりだから、そりゃあ火の手が回るのは速かった」
遠い過去を思い出しながら語るシャスティの瞳の奥に、一瞬哀しみと悔恨の光が灯る。そんな彼女を見ながら、アゼルとアンジェリカは何も言えず黙りこくっていた。
「当然、アタシらが住んでる地区にも火が襲ってきてさ。家ン中にいたアタシらも逃げようとしたけど……まあ、ボロ屋だから崩れるのも早くて、さ。おフクロは……逃げ遅れたアタシを庇って、柱の下敷きになっちまった」
「そんな……」
「アタシは、おフクロを助けたかった。でもよ、八つのガキに何が出来る? おフクロを引きずり出すことも、柱を持ち上げることも出来ねぇ。逃げることしか、出来なかった……」
忌まわしき過去を思い出すシャスティの脳裏に、母との最期のやり取りがフラッシュバックする。
◇――――――――――――――――――◇
『逃げて! 逃げるんだシャスティ! あたしはもうダメだ……もう、逃げられない。でも、お前は生きるんだ。生きなくちゃダメなんだよ!』
『嫌だ、嫌だよ! お母さんを置いていくなんて、そんなの出来ないよ!』
火の粉が舞うなか、幼き日のシャスティは懸命に母を助けようと腕を掴み引っ張る。しかし、母の上に重なる柱は重く、非力な彼女では助け出すことは出来ない。
『バカ言うんじゃない! 早く行きな、じゃないと火と煙に巻かれて手遅れになる。その前に、早く! あたしのことはいい、逃げるんだよシャスティ!』
泣きじゃくるシャスティに、母は身体を焼かれながらも叱責する。拾った命をムダにはするな。自分の分まで生きろ。言外に語る母を見て、シャスティは名残惜しそうに手を放す。
『おかあ、さん……。ごめんなさい、ごめんなさい……!』
『それでいい、それでいいんだよ……。あんたさえ生きていれば、あたしは満足だから……』
遠ざかっていく娘の背を見ながら、母は涙を流す。何も出来なかった無念を抱え、シャスティは一人燃え朽ちていくスラムを脱出していった……。
◇――――――――――――――――――◇
「そんな、ことが……あったのですわね……」
「ああ。今でも自分をブン殴りたくなる。あの日、もっとアタシに力があれば……おフクロを、助けられたのにってよ」
そう言うと、シャスティは冷め始めたコーヒーに口をつける。ほろ苦いはずのブラックコーヒーは、涙の味がした。
「……その後、行くあてもなく通りをふらふらしてるところで出会ったんだよ。あの人……聖女長アストレア様に。当時、下級聖女だったアストレア様は、火事の被害者を救うために駆け付けていろいろやってたらしくてさ」
鼻をすすりながら、シャスティはそう口にする。それは、自分にとって救いだったと彼女は語った。
「アタシの顔を見て、何があったか悟ったんだろうなぁ。あの人は、煤だらけのきったねぇガキを抱き締めてさ……こう言ったんだよ。『もう大丈夫ですよ、私が貴女の悲しみを癒しますから』ってさ」
「……そこからは、だいたい分かりますわ。シャスティ先輩は、教会の孤児院に入って……」
「そそ。似たような身寄りのない奴らと一緒に、何不自由なく暮らしたよ。勉強までさせてくれてさ、たっかい入学金払ってアタシをヴェールハイム魔法学院に入れてくれたんだぜ?」
六年生で退学しちまったけどな、と冗談めかして笑いつつ、シャスティは目をこする。そして、陰気臭い雰囲気を吹き飛ばすように、朗らかな声で話し出す。
「学院に入学する時、アタシは決意したんだ。必ず聖女になって、アストレア様に恩返しするって。どこの誰とも知れねえガキに無償の愛を注いでくれたあの人の……って、アゼル? どうした?」
「ひぐっ、だっ、だって……そ゛んな、かなじい過去が、えぐっ、あったなんて……」
途中から妙に大人しくなったアゼルの方をふと見たシャスティは、ぎょっと驚く。大粒の涙と鼻水を垂れ流し、アゼルはボロ泣きしていた。
あまりにも辛いシャスティの過去を聞き、同情と共感から感情がぐちゃぐちゃになってしまったのだ。
「あーあー、そんな泣くなって! 大丈夫、今のアタシは幸せだから! アストレア様やアゼルにも出会えたしな! だからほら、泣くのはやめな? な?」
「だって、だってぇ……そん゛なの、あまりにも……ひっく、かなしずぎるじゃない゛ですかぁ……」
「ああああ、紅茶に鼻水が! アゼルさま、ハンカチ、ハンカチを! はい、ちーん」
てんやわんやの大騒ぎになり、アゼルが泣き止むまで十分近くの時間を要してしまった。泣き止んだ後、アゼルは目元と頬を真っ赤にしながらシャスティに頭を下げる。
「ごめんなさい、あんなみっともないところ見せてしまって」
「気にすんなって。……まあ、でも、アレだ。アタシの過去、聞いてくれてありがとな。おかげで、なんかスッキリしたよ」
カフェを出て教会に向かいつつ、シャスティはそう言いながらアゼルの頭を撫でる。悲しみを分かち合ったことで、少しだけ苦しみが晴れたようだ。
「さ、急ごうぜ。もうすぐ集会が始まるからよ」
「はい、それじゃあ行きましょうか」
「アゼルさまの鼻水付きのハンカチ……捨てるのには惜しいですわね」
悲しみに沈んだ心を切り替え、集会が行われる教会に向かってアゼルたちは大通りを進んでいった。
◇――――――――――――――――――◇
「……ふむ。実に素晴らしい風景ですな。心洗われる、とはまさにこういうことを言うのでしょう」
アークティカ帝国から遥か南東にある大草原に、一人の紳士が佇んでいた。紳士はマントが付いた、落ち着いたダークブラウンのタキシードと黒い革靴、白手袋を身に付けている。
そこまでは、何の問題もなかった。しかし、問題は……首から上だった。頭があるべきそこには、四角い形をした漆黒のランタンがあったのだ。
「いやはや、たまには暗黒の領域を離れ大地を旅するのも悪くはありませんなぁ。美しい自然、尊き命の営み……素晴らしいものだ」
ランタンの頭を持つ者は、一人呟きながら草原を歩く。ランタンの中では、青色の炎が煌めいている。
「果たして、この大地ではどんな出会いがあるのか……大魔公ヴェルダンディー、今から楽しみだ。まずは……北西の国に行ってみますかな」
心底楽しそうな声と共に、紳士は軽やかに歩き出す。その先に、心躍る出会いがあると信じて。
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