第3章―創命の聖女と最後の牙

61話―最後の巨悪が動き出す

 ヴェールハイム魔法学院を去り、アゼルたちがアークティカ帝国へ戻ってから一ヶ月が経過した。いつものように、アゼルは冒険者ギルドで依頼を受けに行こうとするが……。


「あー、わりいんだけどよ、今日はアタシはパスだわ。やらなきゃなんねーことがあるんだ」


「やらなきゃいけないこと、ですか?」


 冒険者ギルド本部の客室にて支度をしていたアゼルに、申し訳なさそうにシャスティがそう声をかける。珍しい出来事に、アゼルは首を傾げた。


「何か用事があるんです?」


「ああ。今日はな、四ヶ月に一度の見聞報告会があるんだよ。アタシら下級聖女が教会に集まって、見聞きした世間の情報を上に伝えるのさ」


「ああ、そうでしたわね。普段のガサツな言動に慣れてしまったせいで、シャスティ先輩が教会所属の聖女だということをすっかりわす……エアアアァァァ!!」


「悪かったなぁ、ガサツな女でよぉ~。で、あと何分絞められてぇんだ? ん?」


 アゼルと一緒に支度をしていたアンジェリカがフッと笑いながらそう口にすると、すかさずシャスティがコブラツイストを仕掛ける。


「ご、ごめんなさい……」


「分かりゃいんだよ、分かりゃ。……っと、そろそろ時間だな。行かねえと……あ、そうだ。アゼル、今日は冒険者活動やめて一緒に来るか?」


「え? いいんですか? ぼく、部外者ですよ?」


 アンジェリカにお仕置きをした後、シャスティは集合場所である教会へ向かおうとして、ふとそんなことを思い付く。教会に所属していない自分が参加していいのか、アゼルは問う。


 すると、シャスティはニシシと笑いながら答えた。


「問題ねーよ。むしろ、アゼルが来ると分かりゃ皆喜ぶし、人脈は広い方が何かとトクだろ? それに……すんごーく美味ーいお菓子も出るぞ?」


「お菓子……! ぼく、行きます! 行きたいです!」


 救国の英雄、王の末裔と呼ばれる存在ではあるが、アゼルもまだまだ幼い子ども。お菓子の魅力には勝てず、あっさりシャスティの提案に乗った。


「よっし! 決まりだな、んじゃ行くか!」


「はい! れっつごー! です」


「お、お待ちくださいませ……わたくしも、お供しますわ……」


 シャスティに肩車され、意気揚々と出掛けるアゼルをアンジェリカが追いかける。しかし、この時彼らはまだ知らなかった。ガルファランの牙が、裏でとんでもない計画を進めていたことを。



◇――――――――――――――――――◇



 同時刻、アークティカ帝国から遥か西にある、創命教会の本拠地――神聖アルトメリク教国の首都、命都ヴィアカンザにて教会上層部による会議が行われていた。


 創命大神殿の最上階、聖刻の間に九人の枢機卿と教会を束ねる存在たる法王が円卓を囲み、話し合いをしている。円卓には椅子が十一個あるが、うち一つは空席になっていた。


「……それでは、満場一致で本案を可決することに相違はありませんな? 枢機卿の諸君」


「はい。我ら枢機卿は皆、法王猊下げいかの御心のままに従います……」


 邪悪に濁りきった目を細め、緋色の衣と帽子を身に付けた九人の枢機卿たちは平服する。白とエメラルドグリーンのストライプ模様の法衣を着た青年……法王は笑う。


「そう言ってもらえて安心したよ。では、七日後に神聖アルトメリク教国及び諸国にお触れを出せ。アゼル・カルカロフを神敵と認定し、かの者に与する者ごと抹殺せよ、と」


「かしこまりました。ですが、聖女長アストレアとその一派が反対するかと。本会議も欠席しておりますし……」


「構わぬ。奴もいずれ始末する予定だったのだ、この機会に我らに従わぬ勢力もろとも根絶すればよい。それが、お前たちの仕事なのだから」


「……はい。全ては、貴方様の御心のままに。ゼルガトーレ猊下」


 有無を言わさぬ法王の圧力に従い、枢機卿たちは退室していった。一人残った法王……ゼルガトーレは、純白の髪を撫でながら邪悪な笑みを漏らす。


「フッ、バカな奴らだ。俺の正体も知らず、呑気に利権を貪っていやがる。後は、目障りな聖女長を消せば……創命教会は我らガルファランの牙が完全に掌握する」


「その通り。よくやったぞ、ゼルガトーレよ」


 不意に、ゼルガトーレの背後からしわがれた声がかけられた。振り向くと、そこには真っ黒な衣を身に付け、顔全体を布で隠した男……大教祖ガルファランがいた。


 ゼルガトーレは椅子から立ち上がり、己の主の前にひざまずき深くこうべを垂れる。


「これはこれは、偉大なる我らが指導者よ。遠路はるばるお出でくださるとは」


「ヴァシュゴルもセルトチュラも死んだ。残る神官はお前のみ。此度の作戦を以て、我らは必ずかの末裔を仕留めねばならぬ。大任を果たしてくれること、期待しているぞ」


「ハッ! 全てわたくしめにお任せを。必ずや、かの怨敵を抹殺してご覧にいれましょう」


 期待をかけられ、ゼルガトーレは俄然やる気を見せる。自身の腹心、同盟を交わした闇霊ダークレイス、そして創命教会の僧兵と聖堂騎士。


 全ての兵力を集結させれば、敗北はない。そう確信していたゼルガトーレに、ガルファランは忠告を行う。


「だが、気を付けよ。ここ数百年……少しずつ、大地を覆う『生命の炎』の結界が弱まっている。その影響で……ついに、大魔公が一人この地へ入り込んだ」


「……なんですと? 一体、何者なのです?」


「まだ正体は判明しておらぬ。だが、ラ・グー様に与する一派の者ではないことだけは確かだ。ベルドールの魔神どもは去ったようだが、油断は出来ぬ。慎重に事に当たれ」


 そう言い残し、ガルファランは黒い霧に包まれ姿を消した。一人残ったゼルガトーレは、しばらくその場に佇んだ後ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「面白い。何者であろうと、牙の敵は葬り去るのみ。四王の末裔も、大魔公も……全て我が兵団で蹂躙してくれる!」


 使命に燃え、ゼルガトーレは叫びをあげる。部屋の天井の隅に張り付いた小さなドクロが、全てを見ていたとも知らずに。



◇――――――――――――――――――◇



「……やはり、法王はガルファランの牙の手の者でしたか。まあ、そんな気はしていましたが……はてさて、これは困りましたね」


 遥か地の底、凍骨の迷宮にて一人の女性騎士が困り顔でそう呟いていた。『凍骨の帝』ジェリドの腹心にして、かつてアゼルを助けたドクロの騎士ディアナだ。


 手に持った水晶には聖刻の間の様子が映し出されており、高笑いをしているゼルガトーレの姿が見える。


「この事を公表しても、確実に揉み消されるでしょうね。そもそも、アゼル様にはお伝えしておきますが……それ以外はまあ、どうでもいいでしょう」


「ディアナ……ディアナよ、ここにいたか」


「ジェリド様。何かご用でしょうか?」


「ああ。済まぬとは思ったが、玉座の間からその水晶を遠視させてもらった」


 地下深くにある宮殿のテラスにいたディアナの元に、主君であるジェリドが現れた。そして、とある勅命を彼女に与える。


「ディアナよ。凍骨の帝として汝に命ずる。地上へ出向き、アゼルを守るのだ。今度の敵は、あの子とその仲間たちだけでは荷が重い。そなたの力を振るうのだ」


「……よろしいのですか? 私を地上に派遣するということが何を意味するのか、貴方様もお分かりでしょう?」


「分かっている。そなたが創命教会を強く憎んでいることはな。構うことはない。もはやかの者らは堕ちた。そなたの願い通り……きゃつらを滅ぼしてでも、アゼルを守れ」


 ジェリドの言葉に、ディアナはドクロの兜の奥で微笑みを浮かべる。そっと兜を脱ぐと……左半分が酷く焼け爛れた顔があらわになった。


「かしこまりました。かつての聖堂騎士ディアナ、貴方様の勅命に従い、必ずやアゼル様をお守りしましょう。そして……創命教会への復讐を、完遂します」


 ジェリドへの服従の証であるドクロの兜を返納したディアナは、懐から半分に割れた道化の仮面を取り出す。顔の左側に仮面を装着すると、宮殿を去っていった。


「……頼むぞ、ディアナ。我に代わり、アゼルを……必ず、守ってくれ」


 そう呟き、ジェリドはアゼルの無事を願い静かに闇寧神へ祈りを捧げる。アゼルとガルファランの牙、両者の最後の戦いの時が刻一刻と迫ってきていた。


 生き残るのは、アゼルか、それとも……。戦いの行方は、誰にも分からない。

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