悪の蝶、ミューパ

「ハ、ハァァ!?」


 その声は逃げられることへの安堵の声ではなく狩人を見つけてしまった獲物の悲鳴。

 裂け目の向こうから感じた異様な殺気に、飛び退くことも出来ない飛彩はその場に縫い付けられた。


「蜜だ……!」


「!?」


 首が折られて振り向くことも出来なかったヴィランは全身を震わせながら、その胸を貫かれた。

 闇から伸びてきた針のようなものはゆっくりと引き抜かれていき、ヴィランの内部からエネルギーを吸い上げていく。


「グガ、ガァ……!?」


 異様な光景に飛彩の頬に汗が伝う。

 それを認識したヒーロー達は早く変身時間が経過しろと焦りばかりを募らせた。


「やばい……絶対やばいよ、このままじゃ隠雅かくれがが……!」


 また誰かが自分を守って傷つく。翔香は新たに現れたヴィランの強さを空気で感じ取っていた。

 このまま戦い続ければ飛彩がボロ雑巾のようになって朽ち果てると言う予感に苛まれる。


 それを裏付けるように本部から、新たに現れたヴィランがハイドアウターと同じランクEであるとも告げられた。


「飛彩、これは実戦検証などと言っている場合ではない!」


「そうよ! 狙撃部隊、いくわよ!」


 控えていた蘭華達が前に踏み出そうとするが、恐れを振り払うような飛彩の咆哮がそれを押しとどめた。


「黒斗! あと何分守ればいい?」


「……新たなヴィランの登場により、展開接続に遅れが生じた。あと二分守る必要がある」


「二分ならいけるだろ! 蘭華! 黒斗! 邪魔したらぶっ殺すからな!」


「いけるわけないでしょ! 死ぬ気なの隠雅(かくれが)!」


 その通信に割り込んできた翔香は凄みを含ませた高い声を飛彩へと浴びせていた。

 信じられないものを目の当たりにした様子の翔香の声はわなわなと震えている。


「どいつもこいつもうるせぇな……なんで全員俺が負ける前提で話してんだよ」


世界展開リアライズなしで勝てるわけないじゃん!」


「——こうでもしないと、潰れちまうだろ」


「え……?」


 そのままハンドガンの弾薬を爆炸弾に入れ変えた飛彩は、蜘蛛のヴィランごと裂け目へ躊躇なく乱射する。

 着弾するたびに小さな爆発を起こし、乾いた道路を吹き飛ばしていく。


「ちょっ! 隠雅かくれが!」


 灰色の煙が立ち込める中、忠告の追走を振り切った飛彩は新たな刺客へ斬りかかった。


「先手必勝!」


「ええ。その通りですね」


 バイザー越しに見えていた砂煙が黄色いものへと変わっていく。

 ヴィランの攻撃であることには間違いないが、あえて飛彩は特攻する。


「おやおや、勇猛なのは結構ですが……」


 視界が晴れた瞬間、蜘蛛のヴィランはすでにいなくなっていた。

 しかも新たに現れた針を持つヴィランの姿すらそこにはなかった。


「!?」


「貴方は無謀なだけのようですねぇ」


 音源は真上。微妙な風の動きを感じ取った飛彩は視線を切るよりも早く小太刀を上に向けて回転斬りを放つ。

 ギィン! とけたたましい金属音が響き、互いの攻撃が拮抗する。


「チッ」


 どんな敵か判断しないままの状況で戦うのは不利と判断した飛彩は、上にいるはずのヴィランめがけて足を伸ばす。


「足癖も悪い」


 そこでやっとヴィランの姿を視認した飛彩は、漆黒でありながら夕日を受けて虹色の煌めきを見せる鮮やかな羽根に目を奪われる。


 蹴りも斬撃もその羽根によって防御されたのだ。

 そのまま押し返すように力強く開かれた羽根は飛彩をいとも簡単に吹き飛ばす。


 軽々と飛彩を吹き飛ばした羽根はしなやかでステンドグラスのような美しいガラス細工のように見える。


「ふふ……人間を飲んでみるのも悪くないかもしれませんねぇ」


 戦いによってひび割れた道路をゆっくりと濶歩するヴィランの姿はまさに『蝶の羽根』が生えている人型のヴィランであった。


 全身を包む装甲は他のヴィランと同じ様相だが、兜から覗く橙色の毛髪のようなものが今まで以上に生物であることを印象付けさせた。


「蝶……?」



「ええ。華やかに、囁くように、蜜を吸う……『悪の蝶、ミューパ』以後お見知り置きを」



 恭しく一礼するミューパ。飛彩の小太刀すら弾いた硬質なはずの羽根もしなやかに地面を向いた。


「必要ねぇよ! ここでテメェは死ぬ!」


「ああ、そうですね。名乗る必要はありませんでしたっ」


 驚いたように顔を上げるミューパの視界は数発の銃弾を捉えていた。しかしミューパは微動だにせず右手で銃弾を払う。


 常人離れした動体視力によってその場を一歩も動かずに防御した事実に後方に控えていた蘭華は震える。


 狙撃部隊が援護したところで簡単に弾かれて飛彩が負傷するかもしれないからだ。


 だがヴィランの装甲に対してハンドガンの通常弾薬などブラフに過ぎない。視界の外から攻撃するように飛彩はミューパの左後方にまで回り込んでいた。


「その羽根もらった!」


 素早く突き出した小太刀がミューパの背中にある羽根の付け根を捉えた。

 機動力が売りのヴィランならば、その強みを消すのが定石だ。


「弱者が考えそうなやり口ですねぇ」


「!?」


 その攻撃を読んでいた、という様子のミューパだが迎撃する素振りを見せない。

 戦意すら感じさせない立ち振る舞いに飛彩の太刀筋が鈍る。


「君はあまり美味しくなさそうだ。見逃してあげますよ」


 言葉が耳に届くよりも早く、飛彩は失速しミューパに跪くように倒れこむ。

 最初は計器の不調かと考えた飛彩だが、その思考もあやふやになったことで自身の問題だったと理解する。


「さっきの鱗粉か……!」


「狩りは獲物を弱らせないと、ね?」


「へっ……蜘蛛を喰う蝶がいるのかよ、異世には……!」


「花も啜れば、肉をも喰らう。美食家なんですよ」


 表情はわからないが間違いなく恍惚の表情を浮かべているであろうミューパはゆっくりと光の柱へ近づいていく。

 兜の隙間からしなる口吻が伸び始めた。


 先ほど蜘蛛のヴィランを串刺しにしたのもその部位によるものだろう。あの刺突の力があれば光の柱の中にいるヒーローたちなど一溜まりもない。


「へっ、だったら俺の攻撃を腹一杯食わせてやるよ」


 死の象徴とも言えるヴィランの接近に翔香は恐怖することはなかった。それよりも飛彩の負傷の方が翔香の心を恐怖で縛っている。


 また、自分のせいで誰かが傷ついているという事実に意志が揺らぎ、展開の波長が熱太たちとずれていく。


「翔香! おい! しっかりしろ!」


 それは今までにない事態だった。


 熱太たちにも実感として現れる『変身時間の延長』である。精神状態が不安定な翔香に合わせて、所要時間がどんどん増えているのだ。


 その異変を感じ取ったヒーロー本部はヒーローと外界の景色を遮断しようとするが、どうしてもアクセスすることは叶わなかった。


「翔香ちゃん! 落ち着いて!」


「余剰な時間は元の精神状態になれば戻ります! 私たちはすぐに変身出来るんですよ!」


 仲間たちの声が遠く、唇が怖れで震える。


 何故、こんなものを見せられなければならないのか、と翔香の心はいたずらに心的外傷をいじくり回された気分になる。


「やっぱり耐えられないよ……ヒーローって誰かを守るためにいるんでしょ? なのに、何で守られてるのさ……」


 とうとう涙が頬を伝う。ヒーローが変身するにはやはり犠牲が必要で、それからは逃れられないと感じて。



「待てよ」




 その一言に翔香も再び前を向き、ミューパは悠々と振り返った。


「俺はまだ、負けてねぇ」


 鱗粉によって麻痺していた飛彩は震える脚に鞭を打って立ち上がる。


 そのまま四肢へ同時にインジェクターを撃ち込み、無理やり身体を目覚めさせる。


「まだまだ俺と遊んでもらうぜ!」


「私の麻痺粉を受けて動くとは、興味深い」


 意地でも光の柱には手を出させない、バイザーで覆われているはずの瞳から鋭い気迫を感じたミューパは自分の格付けを訂正する。


「君も、前菜くらいにはなりそうだっ!」


「もたれても知らねぇぜ!」


 インジェクターの効果で強化された両足は、道路にクレーターを作りながら飛彩を跳躍させた。


「おらあぁぁぁぁ!」


 飛び蹴りを簡単に片翼で防いだミューパは、後ろに引いていた右腕を鋭い刺突のように繰り出す。


 それを読んでいた飛彩は蹴り込んでいた足で羽を蹴り上がり、後方宙返りを披露する。


 しかも敵の突き出した右腕に着地した飛彩は、その場で背を向けながら左踵をミューパの顔面へ炸裂させる。


「ぐっ!?」


「まだまだぁ!」


 蹴りに続いてミューパの背後をとった飛彩は今度こそ羽根へ閃斬を与える。

 金属と金属が勢いよく衝突する甲高い音が空間を劈いた。


 麻痺している状態とは思えない機敏な動きに、熱太たちは瞠目した。

 さらに翔香は何が飛彩を駆り立てているのか分からず、ただただ狼狽える。


 早く逃げて他の部隊に任せればいいじゃないか、など色々な思考が脳内を飛び交う。


隠雅かくれが! 早く逃げなって!」


 やっとの思いで飛び出した言葉に飛彩は拒絶を突きつけるように追撃を開始した。


 ミューパの両手から放たれる鋭い手刀と、誘い込むように避けた場所へと飛び出す硬質化した口吻。


 計三本の槍のような連続攻撃に対し、飛彩は二本の小太刀を使って真っ向勝負に打って出ていた。


 あまりにも速い攻撃のやりとりに、拳と武器が交差する音が重なり合い、一つの音のようにも聞こえてしまうほどだ。


「はっはは……貴方を侮っていましたよ。世界展開(リアライズ)を使わずにここまでやれる存在がいたなんて」


「テメーと同じランクEならぶっ潰したことがあるんでなぁ!」


「おやおや」


 その言葉の終わりと共に、兜の中から飛び出してきた口吻が飛彩の頬を掠めた。


 そこで初めて飛彩は攻撃よりも回避を選択し、右へ跳ぼうとする。

 だが、しかし。

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