迷うな

 時が今へと戻り、その気持ちの差が大きな影響を与えているのというのは明白で。

 その時のことを鮮明に思い出した翔香は飛彩に怒りを向けるのはお門違いだったと、暗く俯いた。


「……急に怒鳴ったりして悪かった」


「かっ、礼儀正しいこって。俺としちゃあ怒鳴り散らされた方が気楽なんだがな」


「ちょっと飛彩くん、いくらなんでも言い過ぎ……」


 止めに入ろうとするホリィの腕を掴んだのは意外なことにも蘭華だった。

 ホリィにとっては翔香も大切な友人、傷つくのを見過ごすことは出来ない、と、腕を払おうとする。


「大丈夫。飛彩には考えがあるみたい」


「あ、あんな暴言だらけで!?」


「飛彩の口が悪い時は包み隠さず本音で喋ってる証拠。少なくともレスキューイエローを無駄に傷つける気はない」


 さも、治療に必要な痛みだと語る蘭華。

 ホリィも本気の言葉をかけられることがどれだけありがたいか身に沁みている。

 二人の視線は一歩も動かず視線を交差させている飛彩と翔香へと向けられた。


「走駆……お前は熱太と違って天才肌だ。だから大抵のことはなんでもこなせるだろ?」


「馬鹿にしてるの? それが今と……全然結果出せてない自分と何が関係してるんだよ!」


 男勝りな口調で詰めてくる翔香に飛彩は辟易した様子でため息をついた。

 その瞳は暗に、まだ何も分かっていないのかという諦観が含まれているようで翔香はますます歯がみする。


「お前にはヒーローの責任なんてわからないだろ? 皆を守らなきゃいけないのに……」


 その時、初めて翔香は抱えていた心の闇を吐き出した。

 強く拳を握りしめ、俯いた顔から零れ落ちた涙が夕日で輝く。


「なんで私たちを守って死ぬ人がいるんだよっ! 私の……私のせいで何人死んだって言うんだ!?」


 悲痛な叫びにホリィは息を飲む。

 少し順序が違うだけで間違いなく自分もあのように潰れていたに違いない、と。


「やめてぇならやめちまえ」


 誰も口にしなかった突き放すような一言。

 ヒーローのしがらみなど関係ないと一笑に伏すことの出来る飛彩だけが放てる言葉だったのかもしれない。

 刹那のうちに翔香の身体から力が抜け、その選択肢をとっていいのかと安堵の表情を覗かせた。


「——ダメだ」


 しかし、言葉は裏腹なものが飛び出してきた。


「弱い私が、先輩たちの未来を奪うわけにはいかないって……」


一人の戦士が離脱したらすべて離脱しなければならない条件は翔香にしか知る由がないが、思い詰めた彼女の表情から飛彩は何もかもを察したようにため息をついた。


「かっ……」


「な、何がおかしいんだよ!」


 その刹那、その場にいるヒーローの通信機器がけたたましい音を響かせた。

 異世化の兆候、さらに言えばヴィランの侵攻が幕を開ける。


「くっ……」


 通信音に過度な怯えを見せた翔香。

一気に身体の震えが全身へ波及し、両腕で身体を支えなければ立っていられないほどの様相となる。


「はぁー、本当に嫌になるぜ」


「飛彩くん、言い過ぎです! 行こう! 翔香ちゃん!」


 アラームが響いたということは呼び出しがあったという兆しに他ならない。

 通信機をひらいて情報を確認したホリィは、幻滅した様子を残して駆け出した。


 手を引かれた翔香は力なく地面を蹴っていく。


「あっ……」


「走駆ぇ」


 侵攻がある、そう告げられているにも関わらず足取りが重い翔香に向かって飛彩はポケットに手を突っ込んだまま気怠そうに言葉を続けた。


「変身しろ。迷うな」


 それが出来たら苦労はない、その怒りの反論も今は顔を出すことはなかった。

翔香の心の中を席巻するのはいかに変身しなくて良いかという逃げの思考のみ。


 飛彩との言い争いでも何も解決しなかった少女の心は今にも閉ざされようと蠢き始めていた。


 もはや翔香に残されているのは憧れの人を道連れに全てを諦めるか、己の心を殺すか、それだけなのだ。

 本部から飛び出してきた緊急車両と合流したホリィと翔香。

 その車両はどんどん小さくなっていく。


「で、飛彩? 女の子にあんなこと言っちゃうんだから、何か作戦はあるんでしょーね?」


「は?」


「何も策なしだったら、ホリィちゃんじゃないけど流石に幻滅よ?」


「俺はいつも通り戦うだけよ」


「はぁ? あの様子だと、戦うことに怖くなっちゃってんのよ? 何かいいこと言ってあげるとか……」


「そういうのは熱太やエレナ先輩の仕事だろ」


 突き放したような言葉に詳しいことを知らぬ蘭華でも面食らってしまう。

世界展開(リアライズ)を入手してから、刺々しいもの言いが少しは治ったと思っていたがそれも撤回しようと頭を抱えた。


 対する飛彩は通信機器で黒斗とカクリに連絡を入れていた。

相手が渋っているのか、飛彩の声がどんどん荒く大きくなっていく。


そうなった以上、こそこそ話す必要はないというのに蘭華に聞かれないように近づくと離れるを繰り返していく。


「……心配すんな! 世界展開リアライズがありゃあなんとかなるだろ!」


 押し切るように通信を切った飛彩はカバンの中に忍ばせていた小太刀を取り出し、戦闘時のように強く握りしめた。


「出撃命令出てないのに勝手に行く気なの?」


「ヒーローに俺たちが出来ることって言えばただ一つ……守ってやることだけだろ?」


 その言葉を皮切りに、飛彩の背後の次元が割れた。

それはまさしくカクリの空間転移の能力であることに間違いなく、蘭華は目を見開く。


「ちょっ!? あんた何やって……!?」


「お前は来るんじゃねーぞ? じゃないと意味ないからな」


 船の上からダイブするように後ろに倒れる飛彩は次元の裂け目に消えていく。

 蘭華が手を伸ばすよりも早く、その入り口は閉じられてしまった。

 すぐさま蘭華もカクリと黒斗に通信をつなぎ、何をしたのかを問い詰めにかかる。


「ちょっと司令官! カクリ! 飛彩に何させるつもり!? だいたい私も通信いれてよ!」


「お前は親か……」


「だ、だって飛彩さんが蘭華さんは入れるな、って……だいたい、その場にいるんでしょう? 何も聞いてないんですか?」


「アンタの能力でとっとと送っちゃうから何も聞けてないから」


 怒涛の勢いで司令室にいる二人を圧倒する蘭華。

一兵卒にすぎない彼女だが、恋する乙女の迫力には上司も敵わないのだろう。


「で、飛彩は何を考えてたんです?」


「一人で戦うそうだ」


「なるほど……って、はぁ!?」


 司令室に響く甲高い声にカクリは縮こまって耳をふさぐ。

 他の通信士も苦い表情を浮かべているが、黒斗は毅然とした表情のままだ。


「敵の反応は一体、しかもランクHの最低ランク。それに最近落ち目のレスキューワールドをフォローするように仕組まれた因果律ディサイドタイドも出撃する……人材不足の今、過剰なほどの戦力供給だ」


「それはヒーロー側の理由じゃないですか!」


 通信機越しに蘭華が駆け出したのが黒斗たちにも伝わる。


 蘭華もそれ以上の追求はやめた。

 カクリもやりたくもないことを無理矢理やらされただけなのだろうと察したからだ。


走り出したのはカクリの能力を濫発させない心遣いではあるが、何か動いて発散せねばやっていられないと思ったからかもしれない。


「——だが、実際我らは飛彩に頼らなければならない」


「くっ……」


 大規模侵攻後、働き詰めな時点で気づくべき事項だったのだろう。

 蘭華は歯噛みしながら一気に走る速度を上げる。


 黒斗も飛彩の申し出を了承しなければならない一つの事実、それはまさしく護利隊の人員不足を示していた。


 何百体のヴィランを用いて侵攻してきたギャブランとの戦いで、日本が支配下に置かれなかっただけでも僥倖というもの。


 ヴィランたちの侵攻頻度が減ったとはいえ、生き残ったヒーローや護利隊員だけではもう賄いきれないほどの疲弊が襲ってきているのだ。


「……もう、何考えてんのよ、飛彩……!」


 組織に対し、義理堅い訳でもない飛彩。

 何故無謀な戦いをするのだろうかと脳内に色々な思考を巡らす。


 そして、すぐに飛彩が言い残していった「ヒーローに出来ることは守ってやることだけ」という言葉を思い出した。


「まさか、あいつ……」

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