前人未到の境地

 割れた破片は靄となり、ゆっくりと消えていく。

だが、存在そのものを抹消するかのような乱撃は止まらない。


「飛彩! 勝ったのよ! あんた、勝ったのよ!」


 後ろから蘭華に抱きつかれてようやく、剣を振り下ろすのを止めた。

そこまでされないと自分が勝ったことにも気づけなかったのだ。


「蘭、華?」


「飛彩、すごいよ……本当にすごいよ!」


 敵の気配が消え、安堵に包まれた飛彩は小さな笑みを浮かべて蘭華に倒れかかった。


「——くっそ頭いてぇ」


「何よその顔! めっちゃ血ぃ出てるじゃん! カクリ! 急いで医務室まで送って!」


「蘭華! 今度こそ回復用にインジェクターを!」


「メイさん!? でも、飛彩はこれの副作用で!」


「今なら大丈夫! 早くしないと手遅れになるわ!」


 温厚なメイとは思えない怒号に蘭華はすぐさまインジェクターを突き刺した。

今度こそ意識を失った飛彩は、血色を失いながらも笑っている。流れていた血は程なくして止まった。


「とりあえずそれで大丈夫よ……まさか、展開を無理やり引き出すなんて……」


 異様な取り乱し方を見せたメイに黒斗は怪訝な視線を向けた。

インジェクターにそこまで体力回復の効果はない。まるで他の狙いがあったと感じてしまうほどだった。

思惑が交差する中で、飛彩は心の中で「また借りが出来た」と呟く。

その言葉は誰に届く訳でもなく、頭の中に消えていった。


「蘭華、聞こえるか? 今レスキューブルーたちの変身が終わった。すぐに離脱しろ」


 ヒーローの存在をすっかり忘れていた蘭華は飛彩に肩を貸し、戦場から離れる。

しかし、殺意という刃は折れてはいなかった。破片の一つが、半径十センチほどの小さな展開と共に浮かび上がる。全ての力をそこに集め、難を逃れていたのだ。


刑以上に不可視となった欠片の突撃はみるみるスピードを上げて、無防備な飛彩に切っ先を突き立てる。


惨刑場デッドエンド・アドベンチャー


 悪を砕く強い意志が、鋭い一つの斬撃として欠片を砕いた。

肩で息をするような状態の刑は、そのまま前へと倒れ込んだ。


「一つ借りは返したよ、飛彩くん……」


 意識のない戦友に刑は薄く笑った。少しはヒーローらしくなれただろうか、と問いかけて。

それと同時にヒーローたちが、戦闘の傷跡が残る試験場にやっと現着する。


「ちょ、ちょっと! どういうことですか? 全部終わっていますけど?」


「そうね……あ、熱太! しっかりして!」


「熱太先輩!」


 すぐに駆け寄るレスキューブルーとイエローは熱太を揺り動かす。

三人揃った世界展開により、周りの異世化は完全にかき消された。その効果もあって熱太の指に微妙な反応が見える。


「すぐに医務室へ運びましょう!」


「ごめん、ホーリーフォーチュン! 後始末頼める?」


「もちろんです。先輩方は早く帰還してください!」


「恩に着ます!」


 そう言い残してレスキューワールドは熱太を抱えて、戦線を離脱する。

後始末といっても、敵の世界展開が一切ない上に、有害物質も確認できない。

ヒーロー本部からも、刑を連れての帰投を命じられた。それは護利隊に接触させない配慮でもあったが。


「ええ、了解です……あら?」


 刑に肩を貸した状態で、一つのことに気づく。少し先の空間に、何かが倒れている、と。

それは飛彩と蘭華なのだが、飛彩はバイザーを外している上にスーツは壊れかけている。ヒーローの護利隊を視認不可とする機能が効きにくくなっていたのだ。


「と、透明化が起動しない? 飛彩、スーツ壊しすぎ……!」


 ホリィは刑を抱えながら目を見開く。ノイズが混じった空間に倒れているのは、自分を助けた存在だと瞬時に合点がいく。

いつもヒーローと共に戦っているのだ、と余計な妄想を抱いて。

おかしな様子のホリィに気づいた蘭華が懸命に覆い隠しても、もはや微かに見えてしまうことすら止められなかった。


「……レディ、すまないが上に報告することが山積みだ。早く、戻らせてくれないか?」


「は、はい」


 任務を優先するホリィはチラチラと後ろを何度も振り返り、名残惜しそうにその場を後にする。

そして、隙を見て飛彩と蘭華はカクリの転移によって本部の医務室へと飛ばされた。


「あ、あれ? さっきまであそこに……?」


「敵の力の残滓かもしれない、調べておくように言っておいてくれ」


 息も絶え絶えな刑の言葉に妙な説得力を感じ、ホリィは振り返るのをやめる。

それを見た刑はもう少しは借りを返せたかな、と心の中で笑い、今度こそ意識を手放すのだった。



激動の戦いのあと、ハイドアウターは目を覚ます。


 そこは、黒い空間だった。

果てしなく続く闇の世界。ここは飛彩たちの言う『異世』。

間違っても飛彩が言ったように観光ができる場所ではない。

あるのは闇だけ。黒に染まった世界では足を踏み出す先に地面があるのかも分からないほどだ。

そんな一寸先も見えないような闇でハイドアウターは目を覚ました。


「……どうしてここに?」


「やぁ、ハイドアウター。あちらの世界は楽しめたかな?」


 低い声はどこから放たれたのかもわからない。

方向感覚を失う闇は、ここが故郷であるはずのハイドアウターをも狂わせた。


「ギャブラン?」


「あちらには私も久しく訪れていないからなぁ。羨ましいよ」


「よ、よく言うわ……貴方が追放したんじゃないのっ」


 あたり一面闇のはずなのに、現れた人物はハイドアウターにはっきりと映る。

鎧に縁取られている黄金の部分など関係ない。より黒い闇として、黒より濃い黒が浮かび上がっていた。


「で、でも! 褒めたくなっちゃうと思うわ! たくさん情報を取ってきたの!」


「それは全て見させてもらった」


 そこでハイドアウターは気づく、自分が微かな霊体のような状態でギャブランに固められていることを。

死にゆく魂を無理やり押さえ込んでなにもかもを奪い取ったのだ。


「ま、まさか生かしてくれるの?」


「有益な情報だった、お前を追放して正解だったよ」


 ギャブランと呼ばれた黒いシルエットがくつくつと笑った。

一般人に敗北し、帰ってきた負け犬のことを考えると面白くて仕方ないらしい。

ハイドアウターは一瞬でも甘い想像にふけった自分を恥じた。

異世はそういう場所だったじゃないか、と死の淵でも懐かしむ。


「はっ……それよりもハイドアウターよ、礼はどうした?」


「礼?」


「——ここで死なせてやる礼、だよ」


「ちょ、ちょっと待って! いい情報だったでしょう? まだやれ——」


 何かが潰れた音がした。そこから一つの気配が消え、よりギャブランの濃さが際立ったようにも見えた。


「こんなにも愉快な話が続くのは久方ぶりだ。以前も同じように追放されたと言うのにな」


歩くたびに残る黄金の軌跡は悠々とその場を立ち去っていく。


「いやいやいや、あちらの世界展開も性能が上がってきたらしい。昔と違って楽しめそうだ」


 特にハイドアウターの記憶から盗み見たホーリーフォーチュンの情報は、

この闇の世界を照らす兆しのようにすら考えられていた。


「侵略者の芽は摘んでおこう……美しい世界は誰にも渡さん」


 刹那、凄まじい数の影が黒い波濤のようにギャブランを襲うが、その全てを無傷で滅ぼした。

これが異世の日常、黒に塗れた血に染まる修羅の世界。

強きものには何よりも享楽的な世界だが、弱い存在には地獄でしかない。

ギャブランは強者にとっての天国で血の海を泳ぐ。


「そういえばハイドアウターを殺したガキ……どこかで……」


 そう言い残し、その場からギャブランは消えた。

周りから黒が引いていき、微弱な月明かりのような光が辺りを照らし始める。



——強き闇は、一切の光を寄せ付けないのだ。


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