襲撃された朝<Ⅱ>

「な、何故です。何故私にだけナイフが突き立てられていたのですか?」


「普通に考えるのなら、戦争になったら一番に殺すという意思表示でしょうな」


「な、な、なんですと!? あ、そ、そうです! 私は急用を思い出しましたた! す、直ぐに本国に戻らないと!」


「バカなことを仰らないでください。貴方様は大叔父である領主様よりお目付役を賜っているのでしょう? まさか一度も戦火を見ずにお戻りになるおつもりか」


「そ、そ、それは……」


「それに、そのお顔で戻るおつもりですか?」


「この様なもの、洗えば直ぐに落ちるでしょう!」


 軍監は白いパジャマの袖で顔を拭う。

 だが、文字は一切消えない。


「ど、どうして!?」


「それは魔法のインクだと先ほど魔法使いの勇者様が仰っておりました」


「ど、どうすればいいのです!?」


 今にも狼狽えて泣き出しそうな顔の軍監に、さすがの隊長も少しばかり気の毒に思った。


「軍監殿の寝所に、何か他にありませんでしたか?」


 もしかしたらあの勇者様のことだ何か他のメッセージ的なものを残しているかもしれない。


「え……あ、な、ナイフの先に手紙らしきものが!」


 それだと、隊長は兵士の一人に手紙を取ってくるように手で命令をする。

 直ぐに兵士が戻ってきて隊長に手渡すと開いて読んでみる。


「『落書きを消してほしかったら全軍撤退せよ。それでも戦を選ぶのであれば、お前の妻や子供にも同様の仕置きをさせてもらう』とのことです」


「そ、それはつまり……」


「奥方とお子さんの顔に同じような落書きをするという意味でしょうな」


「な!? い、いや、なにをバカなことを……このような戦地ならいざ知らず、我が領地でその様な暴挙を……」


「簡単に兵士500人を眠らせる相手なのですよ。その気になれば本当にやってのけるでしょう」


「ぬぐっ! な、ならば、我が軍に勝機はあるのでしょうか?」


「難しいと言わざるを得ないでしょう。そもそも我々は今し方惨敗したのです。既に兵士達の完全に士気を挫かれ、我が軍は未だ相手の拠点すら把握出来ておりません」


 隊長の話に固唾を飲んで聞いている兵士達。


「今から斥候を飛ばして探したとしても見つからなければ攻めようがありませんし、そうなればまたここで一夜を明かすことになります」


「そ、それは……」


「そうとなったら兵士達は逃げ出すかもしれません。いや逃げ出すでしょう」


「ぬぐぐ……」


 軍監は悔しいのか泣き出しそうなのかよく分からない言葉を発していた。


「それでもまだ戦うことを選択なさいますか。例え軍監殿の護衛の数を今夜2倍、いや全員で行ったとしても、今日と同じ結果になるでしょうな」


「な、ななな!?」


「次は枕ではなくどこにナイフを突き刺すでしょうかね」


「ご、ごく……」


「軍監殿どうなさいますか? もちろん貴方様のご裁可に任せます」


「う……し、しかしだ……全く戦端を開かずに戻ってしまったら、領主様にどう報告をするか……」


 隊長は軍監の直ぐ側によると耳元に囁く。


「軍監殿、我々にはワイバーンの首があるではありませんか。しかも親子の2体分です」


「ワイバーンの首?」


「そうです。それを持って帰れば例え紋様族と戦火を交えなかったとしても後は軍監殿の口添えさえあれば何とかなるのではないでしょうか」


「お、おお……そうか、なるほどなるほど! うむ、確かにそれであれば十分に大きな戦果と言えますな!」


「それでは軍監殿、我らは如何致しましょう」


「うむ確かに貴君の言う通り、この様な危険な生物が闊歩している森でもたもたして、いたずらに戦力を減らす愚作に出る必要はありません。よし撤退です! 撤退としましょう!」


 軍監のその声に兵士達は表情を変える。


「撤退!?」


「やった! 総員撤退準備!」


「よし、みんな撤退!! 撤退だ!」


「急げ! 急げ!」


 兵士達は口々に撤退だと伝播させていく。


「まて!」


 だがその撤退ムードの中で、1人が吠えた。


「ふざけるな! ここまでコケにされておいて、おめおめと逃げ帰れるか!」


 それは魔法使いの勇者であった。


「それならば自分が戦ってきましょう!」


 彼は今とてつもない屈辱に腸が煮えくりかっていた。自慢の杖には魔法防御効果があるのでこれを持ってさえいれば魔法は掛からなかったはず。

 だが相手がまさか夜襲を掛けてくるなど、全く考えてもいなかったので普通に寝ていたのだった。


「しかし勇者殿、相手がどこに居るのかも把握出来ていない状況なのですぞ」


 すっかり撤退モードに入っている軍監だった。


「それにもう兵士達は動けないと思いますが」


「構わないです。自分1人で余裕ですから」


 気合いを入れて魔法の杖を上に掲げる。


「確かに昨晩は自分の失策でした。ですが分かっていればどれだけ強大な魔法であっても通用させません」


「よろしいのでしょうか?」


 隊長が軍監の指示を待つ。


「と、とにかく数名の兵士に近くまで案内させて撤退の準備だけは進めておきなさい」


「そうですね。分かりました」


 隊長は撤退の指示にその場を離れた。


「それでは勇者殿、昼下がりにはここを出発致しますのでそれまでに決着を付けて戻ってきてください」


「構いません。いざとなったらその辺り一帯に穴だらけにしてでも壊滅させてやりますよ。この杖でね」

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