ヴィンセント・ボイルの回想 1

(記憶の再生を開始。なおノートより一部抜粋する)


 

 吸血鬼ヴァンパイアは、裏の世界(一般人の知覚外にある魔法界)に住まう人外の存在だ。魔法使いより三倍から五倍ほどの魔力を持ち、老いず死なずこの世に在り続ける。ただし運動能力は人間と同等あるいはそれ以下。

 現代では合意なく人の血を吸うことは法律によって禁止されているが、合意さえあればよいということで、『魅了チャーム』に掛けられた人間が吸血鬼の餌袋(彼らはそう呼ぶ)になることは少なからず起きている。血を吸う代わりに魔力を注ぎ込み、人間を支配下に置くという(たちの悪い蚊みたいだと言ったら魔性生物学の先生に怒られた)。

 総じて色白、細身、甘いマスク。優男の風貌。ゆえに魔法使いは彼らを『スリムマン』と呼んでいる。

 元が何であれ、年を経た吸血鬼は髪が銀色、瞳が赤に変じ、さらに時を重ねるとやがて魂の方が先に朽ちる。魂が朽ちた吸血鬼は理性を失い、暴走し、死に至る。(まれに強力な吸血鬼は死に至るまでが長く、その間に大量殺人を行なうこともある。四年前、師匠が殺したのはそういう吸血鬼だった。)

 女性の吸血鬼は生殖能力を失うが、男性の方は失わないため、吸血鬼と人間とのハーフは存在し得る。ただし『吸血鬼の美観を損ねる』として行なってはならないという不文律があるらしい。また、魔力を持たない一般人は、本能的に吸血鬼のことを忌避する遺伝子を持っているという(ただし『魅了』で簡単に破れる)。


 一方、人狼ウェアウルフは人間に混ざって暮らしている。もちろん、彼らだけの集落も存在するが、吸血鬼と違って人間に忌避されることもなく、堂々と表の世界に住んでいる。寿命も人間と同等。魔力は欠片も持っていないが、筋力や運動能力、嗅覚などは人間の三倍から五倍である。

 人間を含む動物の血肉を食料とするが、こちらも法律によって規制されている。吸血に関しては合意さえあれば認められるが、人肉食は原則どのような場合でも禁止だ。(闇取引はされているらしい。)

 総じて毛深く、ガタイがよく、陽気な性格のものが多い。

 人狼は遺伝によってしか発現しない。ただし、人間と交わってもゼロかイチか――つまり、完全な人狼か完全な人間かにしかならず、ハーフという中途半端な存在にはならないという。(ちなみに、バートンは人狼とドワーフとのハーフだが、人狼の部分は毛深いところだけで狼にはなれないため、戸籍上の種族はドワーフということになっている。)

 吸血鬼と人狼はを共通のものとし、互いを噛むと死亡するため、長きにわたり争ってきた。が、やがて互いに関わりを断った。魔法使いたちがその間に立って調整を繰り返したことは言うまでもないだろう。


 対する、人間。魔法使い。

 吸血鬼ほどの魔力は持たず、人狼ほどの筋力もない。

 なのに、かの魔法使いアーチボルト・ルーシャン・ウルフは、吸血鬼スリムマンを一人で倒し、人狼ウェアウルフと殴り合いで引き分けた。

 だから師匠はスリム・ウルフ――人狼を圧倒する格闘と吸血鬼を凌駕した魔法の使い手――優男の風体の凶暴な狼スリム・ウルフと呼ばれるようになったのである。


 †


 スリム・ウルフの噂は知っていたから(魔法使いでアイツのことを知らない奴なんていない)、一体どんな奴なんだろうかと気になってはいた。


 確かに、見た目はジェントルマンと呼ぶよりは優男の方が似合っていた。噂通りの真っ赤なコートはものすごく派手だが、想像していたよりは浮いていない。こういうのを“着こなしてる”っていうんだろうか。細身で高身長(一八〇ちょいくらい?)で、駅前にいたらすごく目立つだろう。

 けれど、それだけ。バロウッズとやりとりする姿はなんだか子どもっぽくて、とてもじゃないが吸血鬼を倒した凄腕の魔法使いのようには見えなかった。


「それで結局、俺らは一ヶ月だけ……ミスター・ウルフ? の、弟子になるってこと?」


 俺がそう言った時に、初めてそいつと目が合った。眼鏡の向こうの瞳は真っ黒。あからさまに“面倒なことになった”という顔付きをしていた。

 大人なんてみんなそうだ。自分の都合が最優先で、俺たちのことなんて分かろうともしない。

 バロウッズはいっつも同じ顔で笑っている。


「大丈夫さ。彼はきっと、君たちのことを理解してくれるよ」


 理解? そんなの誰が出来るもんか。甘い戯言は聞き飽きた。

 俺は心の中で唾を吐いた。



 寮に戻る道すがら、ダニエルが「思ったより怖くなさそうだねぇ」と呑気なことを言った。俺はそんな素直には受け取れなかった。怖くないから良い人とは限らないし、先生の前だから大人しくしていただけかもしれない。いや、そうに決まっている。

 アーネストはなんだか曇った表情で考える素振りをしていたが、ふいに、


「……ねぇ、俺さ……キャベンディッシュ、って名乗ったらどうなるかな」

「あー……どう、だろう、ね……」

「アイツってどこにも属してないんだろ? だったら平気なんじゃねぇの?」


 俺はそう言ったが、アーネストの表情は晴れなかった。


 アーネスト・キャベンディッシュ。現在の貴族院議員にして、“反魔法使い派”の筆頭であるエルドレッド・キャベンディッシュの次男。キャベンディッシュ議員は魔法使いの持つ特権を制限することを長く主張しているため、大方の魔法使いに嫌われている。

 けれど、そのとばっちりをアーネストが受けるなんて、馬鹿げた話だ。アーネストに魔法使いの素質が見つかった時も、それはもうひどい大騒ぎになったらしい。


「あっ、待って、僕も駄目かも!」


 とダニエルが突然足を止めた。


「スリム・ウルフは魔法使い嫌いだ、って噂、聞いたことある……詳しいことは知らないけど、だから一般人オーディナリーからの仕事も引き受けるんだ、って姉さんが話してた……」

「別に、お前が気にすることじゃないだろ」

「でもさぁ……」


 ダニエル・ドゥルイットは英国ドルイドを一手にまとめる総長の息子だ。四男だから家を継ぐことはないし、気楽なものだと言っているけれど、一応家のことが好きではあるらしくて、家名に相応しくないと思われるのは嫌いらしい。


 俺は思わず溜め息をついた。


「なら、隠せばいいじゃん」

「隠す?」

「どうやって?」

「名前を聞かれた時に、三人で立て続けにファーストネームだけを言うんだ。俺も含めて全員がファミリーネームを名乗らなきゃ、まぁ怪しまれはするだろうし、追及されたら言うしかないけど、されなかったら一ヶ月ぐらい隠し通せるだろ。やってみる価値はある」

「そっかぁ!」

「さすがヴィンセント。悪知恵は俺たちの中で一番だよな」

「まぁな」


 お前らと違って一番スレてるんで――とは思うだけにとどめておいた。



 羨ましい、と。

 思ったことなど一度もない、と言ったら嘘になる。

 両親がいて兄弟がいて、金があって、将来に何の心配もない。俺とは違う世界の話。恵まれた人たちと恵まれなかった俺。そういう対比をしてしまう自分がいつもどこかにいる。

 もちろん、そういう境遇だからこその悩みがあることも知っている。

 何かとアーネストに突っかかってくる奴は(ネイピアを筆頭に)たくさんいるし、先生の中にもよい感情を持っていない奴はいる。中には、分かりやすく厭味を言ってくる教師失格の教師だっている。それらを馬鹿正直に受け止めて、顔を歪めるアーネストを、単純に幸せな奴だとは言えない。

 ダニエルだってそうだ。ダニエルはちょっと不器用で、知識も中途半端なところがある。なのに先生たちはファミリーネームだけを見て、もっと出来るはずだとかこれからの成長が楽しみだとか、無責任な期待をかけている。その時のダニエルの微妙な顔を見ていないんだろうか?


(あーあ、足して割れればいいのに)


 俺だったら何を言われても耐えられるのに。

 ままならないもんだよな。



>アーチボルト・ウルフ

>噂通りの見た目、しゃべり方はイメージと違う、他の噂は本当か?

>魔法が効きにくい体質 特に不可視性魔法

>バロウッズと仲が良い



 俺の企みは上手くいった。スリム・ウルフは、俺らのファミリーネームについて深くは追及してこなかったのだ。


(やっぱりな。そんな気がした)


 バロウッズとの会話でなんとなく察していたのだ。こいつはたぶん面倒くさがりで、隠されたことをわざわざ暴きにくるほどお節介なやつじゃないだろう、と踏んでいたのだが、大当たりだった。

 ダニエルはもともと大人との会話に屈託なく挑める奴だし、アーネストも大人には慣れている。何より、企みが上手くいってテンションが上がっているみたいだった。


「ねぇ、アンブローズ・カレッジ史上最高の問題児、って本当?」

「……そんな風に呼ぶ人もいますね」

「すっげぇ、何やったらそうなんの?!」

「さぁ? 他人が勝手にそう呼び出しただけなので。私はただ楽しそうだなと思ったことをやっていただけですよ」

「たとえば?」

「たとえば――」


 アーネストに催促されて、スリム・ウルフは具体例を挙げ始めた。そのイタズラの数々に、俺は正直舌を巻いた。


(いや、ぜってぇ誇張してるだろ……)


 そう疑って注意深く様子を窺う。

 だが、嘘をついているようには見えなかった。本当に、昔のことを思い出してただ羅列しているだけです、というような口ぶりで、こちらを楽しませてやろうとか脅かしてやろうとか、そういう意図はまったく見えない。それどころか、丁寧な言い回しを絶対に崩さないようにしているところなんて、こちらをだとは欠片も思っていないような感じだった。かと言って、こちらを不必要にに扱っている感じもない。――まるで同級生と話しているような口ぶり。

 思わず、信じてしまいそうになった。


(っ……いやいや、待て待て! そんな簡単に信用できるもんか)


 大人っていうのは基本的に嘘つきで、演技が上手だ。

 子どもを騙すことなんて簡単だと思ってる。


(ダニエルとアーネストはすぐ騙されるから……俺がしっかりしないと)


 絶対に頼りにはしない、と俺は決意を固めた。




 ――その決意も、すぐに揺らいだ。

 地下水道で、スリム・ウルフの戦う姿を見たからだ。


「すっ……げぇ……!」


 その呟きが、自分の声だとは思わなかった。

 ついさっきまで、スリム・ウルフが俺らの後を追ってこなかったことを呪っていたのに。スーツケースがあって助かったのは確かだけれど、どうして本人が来ないんだろう、って。『最低限のことはしたけれど駄目でした』って見捨てるつもりなんじゃないか、って。

 でも、そんなふうに考えていたことなんてサッパリ綺麗に消えてしまった。

 だって、だって本当にすごかったんだ。

 あんな大きな水棲悪魔を相手に、たった一人で――殴られても一歩も引かないで――大型の魔法を簡単に撃って――瞬殺してしまった。

 軽々と。

 顔色一つ変えず。

 流星のような一撃で、悪魔を完全に粉砕してしまった……。


(すげぇ……)


 薄暗い地下水道に、スーツケースの銀色の光がぼんやりと灯っている。その中に、真っ赤なコートが浮かび上がっている。


 その堂々とした背中の大きさに、俺は確かに、目を奪われた――


 ――直後、その背中がぐにゃんと折れたと思ったら嘔吐する声(音?)が聞こえてきて、感動なんか吹っ飛んだ上にちょっと引いたけど。

 頼りになるのかならないのか、よく分からない。

 ダニエルの戸惑った顔に向かって肩をすくめてみせて、俺たちはそっとスリム・ウルフに近寄った。

 ……とりあえず、見捨てなかったってところだけは、評価しておこうと思う。でもなんとなく任せきれないと思うのは、これは一体何なんだろう?(答え・やり方が全体的に危なっかしくて心配になるから。今なら、ヘンウッドの気持ちも分からなくはない)



>ミルと仲が悪い

>ヘンウッドと仲が良い

>アンブローズ・カレッジ史上最高の問題児、ものすごい悪戯の数々

>グロイのが苦手?

>明星寮への侵入方法 別紙参照

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