後日談:特別な名前で呼ぶ人より

 アーネストErnestに愛称をつけるなら、“アーニーErnie”になるのが一般的だ。

 特別な意味がこもっているわけでもなければ、よく似た別の単語があるわけでもない。


(それじゃあなんであんなに呼ばれるのを忌避していたんだろう)


 アーチがそんなことを思い付いたのは、独り暮らしに戻ってから二日後のことだった。二週間ぶりの一人部屋はなんだか異様に広くて静かに思えた。それでなんだか変な気分になりテレビを点けたら、トーの丘を焦がした異常気象について報じていて、先日の事件のことを思い出したのだ。(トーの丘の惨状はアーチとフィルがやったものだが、すべてワイルドハントのせいということになっている。)

 ヴィンセントとの喧嘩の様子からそう呼ばれたくないんだなということは分かっていた。愛称で呼ぼうという気になるとも思わなかったので、スルーしていたが。


(……エドガーに聞いてみるか)


 アーネストの兄。自分をこの道へ突き落した人物。キャベンディッシュ家の長男。

 最近連絡ひとつしていなかったし、今回の件についても変なところから話を聞くよりはこちらから包み隠さず話した方がいいだろう。そう思ってアーチはスマホを取った。

 エドガーはすぐに出た。


「こんにちは、ウルフです。今お時間よろしいでしょうか」

『ああ、いいよ』


 知ってから聞くと、彼の声はアーネストとよく似ていると思った。アーネストより幾分か冷たくて堅苦しく、威圧感があるが。


『ちょうどこちらも話したかったんだ、アーチボルト。お前、私の弟を死なせかけたな?』


 電話越しにもかかわらず、凍り付くような恐怖が背筋を走った。

 アーチは唾を飲み込んで、肯定した。


「ええ。死なせかけました。私の対応が悪く、後手に回ったのが原因です」

『それだけではないだろう。一通り聞いてはいるが、すべて人伝だ。当事者から話を聞きたい。話せ』

「わかりました」


 アーチより五つも年下なのに、それを感じさせない威厳と貫禄。彼の命令の前に逆らえる人間などそうそういないだろう。

 どこから話したものか。アーチはこの短い二週間のことを思い返し、結局最初から包み隠すことなくすべてを話した。


 アーネストが誘拐された経緯は後になって本人から聞いた話だったが、魔法庁の隅に隠れていたらフィルが来て、「僕からアーチに連絡しておくから」と言われてついていったらしい。プレイステッドだったら絶対についていかなかったのに、と頬を膨らませていたことを思い出す。

 そして車の中でプレイステッドと合流して、驚いたがもう逃げられず、あの状況に至ったのだということだった。

 そこからはご存知の通りである。


 聞き終えるとエドガーは冷たい相槌を打った。


『ふぅん。なんだ、三分の一くらいはアーニーのせいじゃないか。なんでアイツは逃げ出したんだ? いや、そもそもどうしてキャベンディッシュの名を隠したんだ?』

「魔法界ではキャベンディッシュの名は“魔法使いを縛る者”と捉えられていることが多いもので。そのことを気にしたのでしょう」

『ふんっ、ばかばかしい。それとアーニーに何の関係がある? 堂々としていればいいものを、変に縮こまるから図に乗る馬鹿が出てくるんだ』

「私に言わないでもらえますか」

『そう言っておけ』

「ご自分で言ってください」

『アイツは私から逃げる』

「次は逃げませんよ、たぶん。逃げるなとは言いました。それをどこまでやれるかは知りませんが」

『……そうか』


 エドガーは何か考え込むような間を開けた。


『なぁ、アーチボルト』


 こういう切り出し方は兄弟でそっくりだ。アーチは少し笑いそうになったのをこらえて、「なんですか」と先を促した。


『アーニーが停学になると聞いた時、父はそのまま学校をやめさせる気だったんだ。規則で退学処分と決まっているのなら情状酌量などいらん、と言ってな。らしいだろう?』

「……そうですね」


 直接の面識はないが、いかにも言いそうな感じである。


『それを押しとどめたのが私だ。アーチボルトは信頼がおける魔法使いだから、きっとアーニーにとってもいい影響になるだろう、と。――あ、その時に、六年前に父を助けてもらった件も話してしまった。さすがに、もういいよな?』


 六年前の件――フリーランスの魔法使いとして生きていくきっかけになった事件だ。

 エドガーの父、現在のキャベンディッシュ家当主が原因不明の病に倒れたのである。最高峰の名医たちに掛かってもまったくの無駄だったから、呪いか何かに違いないと判断したエドガーがアーチのもとに乗り込んできたのだ。

 パブリックスクールの制服を着た明らかに上流階級の青年が大学にずかずかと上がりこんで、アーチに「おい、お前が魔法使いか?」とぶしつけに聞いた時には、教室中が騒然となった。

 ――それに対してアーチが「礼儀のなっていないガキですね。挨拶からやり直してください」と言い放ったことで、余計騒然となったのだが。


 懐かしい思い出だ。


 結局その件は内密に片付けて、キャベンディッシュ氏には“原因不明の重い病気。何か知らんが自然に治った”とだけ説明することにした。キャベンディッシュ家と魔法使いの繋がりは薄い方がいいし、なにより世間にばれたらアーチのその後に響く可能性があったから。

 それで、秘密を知る者は少ない方がよいという判断のもと隠していたのである。


 だが、身内から魔法使いが出てしまった今となってはどうでもいいだろう。万一世間にばれたところで悪いことをしたわけでもないのだし、アーチの立場もかつてほど脆くはない。風当たりはもともと強いのだからどうでもいい。


「何かおっしゃってましたか?」

『いや。一言“そうか”と言っただけだ』

「そうですか」

『今回の件を通して、“これで貸し借りはなしだな”とも言っていたがな』

「なるほど」


 テレビや新聞などで見て持っていたイメージとその言葉は見事に合致した。あまり隠さない人なのかもしれない。


『で、だ。私がそこまでして押し通したのには理由がある』


 理由。きっとエドガーはずっと先のことを考えているのだろう。


『いずれ私は家督を継ぐ。その時にアーニーが魔法使いとして、魔法庁なりカレッジなりにいてくれれば、何かと話が付きやすくなるだろう? 内部の事情も聞けるしな。そういう、政略的な理由だ。上手く事が運べば、アイツにはもっと重要な役割を任せることになるかもしれない』


 少し気に入らなかったが、アーチが何かを言えるような立場ではない。


「……そうですか」

『不服そうな声だな』

「……」

『お前はお前が思っているよりずっと表情豊かだぞ、アーチボルト』

「失礼しました」

『いや、いい。むしろそうであってほしい。不服に思え。不満に感じろ。そしてそれを、出来ればアーニーの前で、私たちにぶつけてくれ』

「それは……」


 どういうことですか、と聞きかけて、ふと思い至り息を呑んだ。


「――それは、エドガー、あなたっ」

『ああ。味方がいれば、アーニーは現実から逃げないからな』

「っ……」

『ひどいだろう?』


 アーチは溜め息をついた。


「ええ、最低です。それでも本当に兄ですか?」

『もちろんだとも。だがそれ以上にやりたいことがある。それだけだ』

「……最低だ」

『そうそう、その調子でいってくれ。私にそんなにあけすけに物を言ってくれるのはお前以外いないからな。思ったことはどんな口汚い罵倒であっても言っていいぞ』

「あなたってマゾヒストでしたっけ?」

『ふふ、そういうわけではないが。……たまに、自分でも自分が嫌になる。そういう時に必要なんだ』

「……」

『兄弟そろって世話をかけるが、よろしくな、師匠・・

「あなたまで弟子にした記憶はありませんよ、エドガー」

『手厳しいな。まぁいい、近々会おう。また連絡する。じゃあな』


 そう言って、エドガーは電話を切った。

 アーチはスマホを放り出して、また溜め息をついた。エドガーが執拗にアーネストのことを“アーニー”と呼ぶのを聞いて、彼が愛称で呼ばれるのを嫌う理由がなんとなく分かったような気がした。

 キャベンディッシュ氏の主張する魔法使いの共存体制が完成するとしたら、それを成すのはおそらくエドガーだ。そしてそのためなら、彼は何だって利用するだろう。アーネストも自分も利用される。いや、もうすでに利用されている。


(恐ろしいやつだ、本当に)


 こうなると、最初に出会った時に見せた涙すら計算の内だったような気がしてくる。


(アーネストもいずれこんな風になるのかな……)


 ぞっとしない話だ。いや、エドガーをけなすわけではない。貴族院議員には必要なしぶとさと狡猾さだろうし、あの精神の強靭さはアーネストに足りていない部分でもある。心を読む力はそのままにあれだけの精神力を得られるならば、それはアーネストに必要な強さだろう。

 敏感であるということは、それだけ繊細で、傷付きやすいということだから。

 しかし、できるだけ純粋で優しいまま、たくましくなってほしいと願うのは、欲張りなことだろうか。傷付いて汚れて壊れなければ、強くなれないものだろうか。


(次会う時には、もう少し何か役に立つことを教えてあげよう。変な通路とか置物の動かし方とか、秘密基地とか……余計なことばかり話したからな)


 次がいつになるかは分からないが。

 そう思った時に、を楽しみにしている自分がいることに気が付いた。

 アーチは首筋を擦った。その仕草が恥ずかしくなったり照れたりした時の癖だということは、本人だけが気付いていない。


(夕飯を済まして寝よう。夜中に叩き起こされることもあるかもしれないし)


 と立ち上がった時だった。


 着信音。


 画面には見慣れない番号が並んでいた。

 依頼だろうか、と思いながら応答する。


「はい、ウルフです」

『やあ、ウルフ・ジュニア! ご無沙汰だね!』


 その声は大昔に聞いた覚えがあるものだった。

 アーチは記憶を掘り返した。この声。そして“ウルフ・ジュニア”の呼び方。自分をそんな風に呼ぶ人は一人しかいない。


「バーミンガム監督、ですか?」

『そうさ! ハーハハァー、覚えていてくれて嬉しいよ!』


 陽気なおっさん、と言う他ないこの人は、『ヴァルプルギス・ナイト』の監督を務めた人だ。特に父を好んで起用してくれたので、名前を忘れることはありえない。

 声まで覚えているのは、『ヴァルプルギス・ナイト』の撮影の時と父の葬式の時に話したことがあったからだ。当時、暴走してさせてしまった魔性生物を追って撮影現場に乱入したアーチを捕まえ、無理やりオープニングに登場させたのもこの人である。


『お姉さんから君の番号を教えてもらってね! どうしても話したいことがあったものだから! あ、今いいかい? 大丈夫?』

「ええ、平気ですよ」


 相変わらずノリと勢いの強い人だ。アーチは苦笑しながら、ソファに座り直した。


『良かった! あのねぇ、実はねぇ、ああその前に!』


 さすがの彼も少しだけトーンを落とした。


『エイブを殺した犯人、捕まったんだってね』

「はい。グループの内の一人ですが」

『一人が捕まったならきっと残りもすぐさ』

「……そう願っています」


 口ではそう言いながら、実際は無理だろうと思っている部分があった。一人捕まっただけでも大きな一歩なのだ。今頃プレイステッドは何度も何度も尋問されているに違いない。場合によっては、拷問じみたものも受けている可能性がある。それだけ、一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORCの存在は魔法界にとっても頭痛の種なのだ。

 こういう時だけ、警察権が分かれていて良かったかもしれない、と思ってしまう。警察では出来ない捜査・・が魔法使いには出来るから。それがどんな非道な行いでも。


『それでだね、その、これでようやく提案が出来ると思ったんだ、ウルフ・ジュニア』

「提案?」

『そうさ。「ヴァルプルギス・ナイト」が二部作だという話は聞いたことがあるかい?』

「ああ……はい、聞いたことは」

『実はだな、エイブとは二作品すべてに出演してもらうという内容で契約していたんだよ』


 それは初耳だった。


『ところが、あの事件だろう? 無論、事情が事情だから違約金なんて発生しないさ。こちらは一作分だけ契約金を支払って、そこで打ち切りってことにしておいた……の、だけど、ね』

「……」

『エイブがやりかけの仕事がそのままになっていることを許すと思うかい? 思わないだろう? かといって代役を立てるのは難しい! あの映画はエイブが主人公をやるから成り立っていたんだ! 脚本家もエイブ以外では想像が出来ないと駄々をこねるし何より僕だって嫌だ! だからこれはもう完全にお蔵入りにしようかなと思っていたんだ! が! ね! ウルフ・ジュニア!』


 バーミンガム監督の声は徐々に熱を帯びていった。


『実は君のことを少し追っていたんだよ! フリーランスの魔法使いなんだってね? いろんな人から魔法に関連する仕事を引き受けている、と! その時に着ているという真っ赤なコートはエイブのものだろう?! 先日高速列車HSLから飛び降りて颯爽と箒に乗って飛び去っていったのは君だよね?!』

「あー……」


 そういえばそんなことをした。動画を撮られたかもしれないとは思った。確かに、この時代撮った動画はネットに流すだろうし、流れたなら誰が見ていてもおかしくない。


「おそらく、そうだと思います」

『だよね?! 見たんだが、いや本当に、そっくりだ! 驚いた! みんなに見せびらかしてみんなそう言った、エイブの生き写しだと! そこでだ!』


 なんとなく話の続きが読めた――自分が何て答えるか、も。

 監督はふいに落ち着き払って、真摯な声で言った。


『君に仕事を頼みたい、アーチボルト・ウルフ。僕の映画に出てくれないか? エイブだって、君が代役なら文句を言わないだろう。……本当はもっと早く頼みたかったんだけれど、君の心が落ち着いてないんじゃないかと思ってね。今なら……どうかな?』


 自分はいろんな人に気を遣われていたらしい。気遣われないように頑張っていたつもりだったのに。気遣われまいとしているのを見透かされて、あえて放置されていたみたいだ。


(まだ僕は子どもだったんだな)


 そう思ったらなんだか愉快な気分になってきてしまって、そのままアーチは跳ねるような声音で返事をする。


(……次彼らに会った時に、驚かせてやろう)


 いつになくわくわくしてきて、アーチは少年のように笑った。




 おしまい

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