第106話 王都の亡霊 1

 ネーベイア家の第三子、ハロルドというのは不思議な男である。

 美男子であり、武技にも秀で、頭脳も明瞭であるのだが、それだけではない。

 穏やかな空気を持ち、人間関係を円満に構築する、人に恨まれない性格を持っている。

 立場的には敵となる相手でさえ、彼には敬意を払うように見える。


 そんな人間をアーリアはこれまで何人も見てきた。だからこそハロルドを王座につけようと思ったのだ。

 実のところ同じ感覚を抱いた人間が、もう一人いる。

 キンメル子爵家の長男マルシスだ。


 長い人生の記憶を持つアーリアでも、同時代の同じ場所で、そんな人間が二人も現れるのは記憶にない。

 正確に言えば同じ感覚を持っても、格の違いというものがあった。

 だがハロルドとマルシスには、それほどの差を感じない。

 至高の玉座は唯一つならば両者がいずれ争う可能性もあるが、現在は立場が違いすぎる上に、味方同士である。

 さらにアーリアもいるため、マルシスの存在がハロルドを脅かすとは思えない。

(でも一時期曹操の配下だった劉備とか、項羽にへりくだっていた劉邦、あと秀吉と家康の関係もあるか)




 さて、そんなハロルドにエスコートされて、園遊会に乗り込むアーリア。

 身内の宴ならば男装することも多いアーリアであるが、今回は自分の容姿を存分に利用するつもりであった。

(まあ元男だから、男心はよく分かってるつもりだが……)

 長い転生の繰り返しのために、アーリアは欲望がある程度欠落している。

 その中でも特に、生存のために必要ではない、色欲や権力欲などが極めて薄かった。


 そんな彼女が選んだのは、純白のドレスと宝石を大量に扱った装飾品である。

 さすがのアーリアも王都のトレンドなどには疎いため、金だけは出して専門家に任せた。

 この専門家、所謂オカマを引っ張ってきたのが兄のハロルドであり、その交友関係の広さには驚いたものである。


 純白の薄衣は何枚も重なり、縁のレースは繊細である。

 髪は鬘を使ったが、元の色と変わりはない。

 白と黄金を持つアーリアの身を、万華鏡のように彩っている。けばけばしさの一歩手前で、アーリアの彫像的な造作が、その宝石の輝きを押さえ込んでいる。

 なるほど、オカマのプロデュース、恐るべし。




 園遊会は王宮の中庭で行われ、午前から夕方にかけて高位貴族やその子弟が歓談する。

 地位の高い者ほど後から到着するのだが、アーリアとハロルドは比較的早く会場に到着していた。


 ここにおけるハロルドの立場は、辺境伯及びロッシ大公の名代。

 そしてアーリアは東方軍全体の司令官である。

 王族を別にすれば、ハロルドより上の立場の者はいない。


 子爵家以下の貴族しかまだ到着していない状況だが、だからこそアーリアたちはこの時間帯に来たのだ。

 ハロルドの顔を知る者たちが、彼の周りに集まってくる。

 同世代から老人、また女性も含まれていて、彼の手の長さをうかがい知る。

 アーリアはほとんど面識のない者が多数のため、最初は口をふさいでいた。

「ハロルド、あー……今はどういう立場なんだったかな?」

「辺境伯及び大公代理だよ。まあ大公の方は次期大公の代理が正確なのかもね」

「出世したな~? 出世? それでお隣の絶世の美少女は噂の?」

「初めまして。アーリア・ネーベイアです」

 優雅にスカートを持って頭を垂れるアーリアである。


 妹の猫かぶりっぷりに笑いそうになりながらも、ハロルドはアーリアに知り合いを紹介していく。

 王都の正確な情報を仕入れるのと同時に、東方の正確な情報も伝えていく。

(上手いな、兄ちゃん)

 アーリアも感心するほどに、ハロルドは周囲の注目と期待を集めていた。

 影響力のある貴族を一本釣りにするのではなく、その影響下の貴族から意思を統一させていくのも見事だ。

 とてもネーベイア家の男とは思えないが、母親からの隔世遺伝なのだろう。




 伯爵以上の貴族が集まる頃には、既に園遊会はネーベイアの空気に染められていた。

 男臭そうなネーベイアの中で、ハロルドとアーリアは例外である。

 アーリアの場合はそれよりひどい、血臭がするのかもしれないが。


「ハロルド、久しぶりだな」

 その雰囲気の中でも違う空気をまとった青年が、ハロルドに声をかける。

「殿下。お久しぶりです」

 この園遊会の主催者である、先王の孫マルクハットである。

 どこか酷薄な笑みを浮かべる男だが、王位継承権は一位である。

 それなのにまだ戴冠の儀が行われないのは、手続き上の問題である。

 そしてその手続きを遅らせているのがマルムークであり、マルムークが遅らせる理由としているのがマッシナ大公家の動きだ。


 東方の国境が安定し、治安も回復し、権力の集中も成されたとはいえ、アルトリア国内はまだまだ絶賛紛争中である。

 そんな中で経験の少ない王子が玉座を継ぐことを、懸念する勢力がある。

 マルムーク王子自身はそれほどの野心は持っていないという噂だが、その周辺の取り巻きはまた考えも違う。

 国王が存在しないというこの異常事態において、国軍は当然ながら動かせない。

 取り巻きの貴族が軍事的に物事を解決しようとしても、相手もまた軍事的に対抗しようとするだろう。

 そしてその両者が対決した場合、有利になるのは西方にて傍観しているマッシナ大公家のゲオルグである。

 マルクハットとマルムークの共通の認識としては、動かせる軍事力を持つゲオルグが、一番危険ということになっている。


 実際は違う。

 西方は国境付近での紛争がないため、西方辺境伯の統率力が低い。

 それに合わせたわけでもないが、マッシナ大公家もかつてのロッシ大公家より勢力は小さかった。

 あとは西方には、領地内に大神の迷宮を抱えるワルトール侯爵がいたということも大きい。

 そんなわけで東方をほぼ統一したと言えるネーベイアにとって一番嫌なのは、王族共が結託して東方と対決することであった。


 王の死が、全てを動かした。

 東方での混乱は王都には伝わらず、王都では陰謀が渦巻いていた。

 マルクハットの開いた園遊会も、政治的な意味を持つ。

 出席者の顔ぶれや、その間で成される会話が、既に政治的なのだ。




 アーリアは一歩退いて、ハロルドの交流を見ていた。

 時折顔を真っ赤にして話しかけてくる青年貴族がいたが、そこはやんわりとかわしていく。


 アーリアがこの場にいるのは、マルクハットへの交渉材料と見せかけるためである。

 もちろん本心ではない。しかし本心であるように、相手に勘違いさせなければいけない。

 そう、マルクハットは既に正室がいるが、アーリアを側室に求めるように思わせなければいけない。

 その道筋も可能性も、あると誤解させなければいけない。


 王都の有力後継者二人に対して、西方大公家ゲオルグが持っている利点は、自分で動かせる軍事力が存在するということである。

 もちろん王都にも軍はあるのだが、現状では誰がそれを掌握しているのかが不明だ。

 いや、軍務卿に指揮権があるのは分かるのだが、それをマルクハットやマルムークが使えるのかが、制度的には微妙なところなのだ。


 王都へ西方大公が攻め込んできたりした場合は、もちろん相手が大公だろうと、反撃するだろう。

 しかし相手が西方の諸侯へ向けて、軍事的な圧力をかけて勢力下に置こうとした場合、それを掣肘するのに使えるかが微妙なのだ。

 また軍を動かせたとして、それがマルクハットかマルムーク、どちらの影響下になるのかが不明である。

 全ては後継者を決めておかなかった王が悪いのであるが、後継者として認められる力量を示せなかった二人も同罪だ。


 よってこの二人の目的のゲオルグの排除には、諸侯の協力が必要となる。

 その中で最大の戦力が、東方のネーベイア家であった。

 そもそも東方を統一したネーベイアを危険視しないのかという問題については、彼らが王族であることが関連している。

 王都ばかりを重視し、辺境の現状を知らない王族などは、辺境伯などという存在が危険であると認識出来ないのだ。

 これはまあ、歴代のネーベイア家の当主が無骨な武人が多く、二年前の陰謀でゼントールたちが実際に王都で何も出来なくなっていたので、あながち間違いではない。

 しかしアーリアがゴルゴーン将軍を打倒し、国境の砦がネーベイアの物となってからは、事情も変化しているのだ。


 ネーベイア家がいくらその勢力を伸ばそうと、王族の血統がないことが、彼らの判断を甘くしている。

 まあ実際に交渉できる器量を持つハロルドが、柔和に対処しているのもその印象を強くしているのだが。


 王族は残す。それはアーリアの考えと一致している。

 だが全てを残すわけではない。一人か二人いれば、それで充分だ。

 そもそも貴族に王族が降嫁している場合もあるので、血統自体は根絶させることは不可能である。

 現状ネーベイア家が確実に確保しているのは、ロッシ大公家の継承者レックスである。

 これにタニア王女を上手く取り入れれば、正当性の確保としては充分であろう。




 アーリアが真っ黒なことを考えながら貴族の子弟と話している間に、ハロルドとマルクハットは少し席を移していた。

 休憩用の小部屋には、護衛の数もわずかである。互いにソファーに座り、二人は話し合う。

「ゲオルグはともかく、マルムーク叔父上は厄介だな」

 大公家を継いだ人間として、マルクハットはゲオルグを正統な王族から外して考えている。

「他の王族の方々は?」

「公爵以上は俺かマルムーク叔父上についたな。ゲオルグの味方は田舎者だけだ」

 田舎者代表を自称するハロルドとしては、苦笑するのを我慢するしかなかった。


 マルクハットの考えていることは、やはり宮廷内の権力闘争に限定されている。

 金や利権、あるいは陞爵などといったものを餌に、少しでも味方を増やしていく。

 その均衡が崩れた時が、次期王位の決定する時である。

 王都を舞台に軍事力を使って戦闘するなど、考えすらしていない。

 まあ前線を知らない王族であれば、当然のことであろう。


 正直なところ感性は、ゲオルグの方が地方貴族に近い。

 大公は領地があるので、自然とそちらに住む期間も長い。

 領土も広く軍事力も大きいので、貴族間の仲裁などもする機会はあるだろう。

 だからこそ厄介なので、アーリアは最初に潰すと提案したのだが。


 今回ネーベイアは、ゲオルグを排除することで、王都派とも言うべき派閥に加担することになる。

 そして王都派はマルクハットとマルムークに大別されているわけだが、そのうちのマルクハットにネーベイアは比重を置いている。

 血統の正統性であれば、マルクハットが長子相続の慣習に従って有利である。しかし彼はまだ若い。

 万一の時のために、帝王教育を受けていたマルムークであっても、それなりに国王はこなせるだろう。

 何より人生経験が違う。年長というだけで、人は安心感を求める場合があるのだ。


 そんなわけで宮廷工作向けではないネーベイア家ですら、彼は勢力として欲しがっている。

 実質的には王国の三割は、ネーベイアの支配下にあると言ってもいい。

 生産力で言うなら、既に王国の他の部分をはるかに上回っている。

 だからハロルドの要求も、それなりに高いものとなる。それを高いと感じるかは、マルクハット次第であるが。




 タニア王女。

 マルクハットの年下の叔母である。

 母親の立場からも、宮廷での影響力はほとんどない。だが先王も認めた間違いなく王族の一人であり、単純に王家の権威を求めるなら、充分にその価値はある。

「タニアを次期ネーベイア辺境伯の正妻に、か」

 ソファーに深く座ったマルクハットは、鼻をこすった。

「ネーベイア家に、王家の血を入れるのか?」

「王家の血自体は、セメア家を通じて既に入ってますけどね」

「まあ、中央の貴族はたいがい、王家ともつながっているしな。しかし王族をそのまま降嫁というのは前例がないんじゃないか?」

「そうですね」


 ネーベイア辺境伯家は、アルトリア王国でも最強の武門の家である。

 他の辺境領主はそれほど多くの戦力を抱えないし、西の辺境伯は隣国の侵略をほとんど受けていない。

 ガラハドと毎年のように戦っていたネーベイアは、実戦経験においては間違いなく最高の軍事力を持つ。


 そのネーベイアが中央の王家と関係を持つ。その意味は大きい。

「……俺からは異論はないが、俺一人で決められることじゃないな」

 王女であれば政略結婚で使える駒としては、最も価値のあるものであろう。

 しかしマルクハットが勝手に決められるものではない。

 だが彼自身は異論がない。異論を出すとすればマルムークである。

 マルムークが反対すれば、ネーベイアとの関係は悪化する。

 反対しなくても、それは最初にマルクハットが容認してくれたからで、やはりネーベイアとの関係は強化される。


 下手に敵対派閥に使われるよりは、無骨なネーベイアに差し出したほうが、後々の面倒がないだろう。

 このマルクハットの思考は、ネーベイアがアルトリアの中央に興味がないという前提でなされている。

「だがまずは、目の前の敵だな」

 ハロルドは頷き、自分の交渉が成功したことに笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る