第99話 キンメル子爵家の男達 2
ブライト・キンメル子爵は苦労人である。
領地は辺境に近く、北方からは辺境を上手く抜けた異民族が、略奪をしに来るような土地であった。
祖父の代にはその土地を奪われ、父が奮闘してようやく取り戻した。
その後はロッシ家の配下のように使われ、先のガラハド遠征では二人の兄を亡くし、失意の中で父も没し、その家督を継ぐこととなった。
ここまで苦労していれば、家の存続に全力を尽くすのも当然であろう。負け組にならないという断固たる意思を感じる。
実際のところ、アーリアはキンメル親子を高く評価している。
隣の貴族家のみならず、その貴族家が従属する派閥にも詳しく、王都を通じて西方まで情報収集員を派遣しているらしい。
そして目の前のガイウスは、武将として優れている。
アーリアの精鋭が、戦場の霧にわずかに惑わされた瞬間、その隙を突いてきたのだ。
戦争というのは、特に前線の指揮官には、天才が存在する。
初陣からして戦功を上げるような、勘働きの鋭い者がいるのだ。
たとえばガラハドのウェルズなどは天才だ。様々な情報を計算した上で戦闘を行っているのは間違いないが、情報の取捨選択と重要度合いの判断などは、才能と言っていいだろう。
彼が撤退戦を成功させるまで、一度も軍の指揮をしたことがなかったことは確かなのだ。
それに対してアーリアは天才ではない。間違いなく凡人だ。
ただ無能というわけではないので、蓄積された経験が、多少の才能の優劣を駆逐するだけだ。
ガイウスやその父のブライトなどは、どちらも天才とまでは言わないにしても、間違いなく才能はある。いや、ガイウスは天才と認めてもいいだろう。少なくともアーリア基準ではそうである。
突撃騎兵の運用は、その機を判断する感覚を持っていなければ、逆に莫大な損害を食らってしまうのだ。
アーリアにしても騎兵は運用するが、その機動力は計算しても、突撃蹂躙という手段は採らない。
被害の大きな戦法は好みでないし、失敗した時の建て直しが大変だ。
それが分かっているだけに、余計にその才能の価値を認める。
大軍の運用まで出来るかは分からないが、一軍の大将までは既にこなせそうな雰囲気がある。しかもまだ若い。
「さて、キンメル子爵とは実は初めて会うんだが、息子の目から見た父親というのはどうなのだろう?」
これまで両者の間を行き来していたのは、ブライトの叔父である。彼もまたなかなかの人物であるとは思えた。もっとも事前の情報では、交渉力よりも戦歴が凄まじかったのだが。
「難しい話ですね。アーリア殿は自分のお父上をどう思いますか?」
「正しく補佐する人間さえいれば、一国の王にはなれる」
ネーベイア辺境伯ゼントールという人間は、覇気もあれば果断の精神もある。
政治的な調整能力や、事務処理能力などは、ネーベイアの男に期待してはいけない。
まあ三男のハロルドなどは、母方の血が強く出たのか、ものすごく例外的な存在であるが。
アーリアの即答に対し、ガイウスも応えざるをえない。
「権謀術数の中にあって外道を行わない、王佐の才を持つと思います」
アーリアは純粋に父親を一人の人間として判断しているが、ガイウスの言葉には父親に対する信頼感がある。
「ならばお兄さんは?」
「私如きの計れる方ではありません」
ガイウスの言葉には憧憬すら感じられた。
数日後、私兵を率いてアーリアに合流したキンメル子爵ブライトは、確かに一廉の人物に見えた。
想像以上に美男な中年であったが、それよりも目立つのは鋭い眼光だ。
野生の獣のように油断なく、それでいて深い知性を感じさせる。
その人生をシナリオのように聞いただけでは分からない、人格の深さと重さを感じさせた。
いい男だ。モテるだろう。そのあたりを調べさせたら、どうやら妻一筋の貴族にしては珍しい愛妻家らしいが。
側室がいないにもかかわらず、子供は8人もいるらしい。
そしてブライトの長子であり、ガイウスの兄であるマルシス。
ガイウスとは一歳違うだけであるが、纏っている風格が尋常でない。
(こういうタイプか~!)
長い時を生きてきたアーリアには分かる。
これは乱世にいたら、自然と王になってしまうような人間だ。
ついでに黒く日焼けしたガイウスとは違い、父親に似ながらもどこか穏やかさを感じさせる美男であった。
父は策謀を得意としながらも、義理は通す一線を守っている。
弟は戦に強く、兄に対する信頼は深く、それでいてしたたかだ。
「実際にお目にかかるのは初めてですな。ブライト・キンメルです。こちらは長男のマルシス」
「アーリア・ネーベイアです。ガイウス殿の用兵には苦労させられました」
実際のところ、彼の動かせる兵力がもっと多ければ、アーリアは一度撤退していたかもしれない。
「武人にとっては、最高の誉め言葉ですな」
ブライトは目を細めた。
ネーベイア軍の動きは開戦前の予定以上に、ゲルゼル派や中立派の領土を侵食している。
小さな貴族はもう、おっとり刀で懸命に勝ち馬に乗ろうとしてくるが、ここまで事態が進行していれば、良い条件でネーベイアに組み込まれることは難しい。
そしてアーリアも兄たちも、ほとんどは当初の予定通り、大貴族は大きくその勢力を削っていった。
領地を取り上げることは極力行わなかったが、次男や三男が、あるいは後継者が先にアーリアに付いた場合は、領土を分割させて分家を作らせた。
この方針によって、諸貴族は屈服したネーベイア相手ではなく、一種の裏切り者とも言える縁者に、その敵意を向けることとなる。
分割し、統治せよ。
アーリアはネーベイアの勢力が最大化するように、戦後の支配体制を考えている。
手柄を上げさせるべき対象も、これまでとは違ってくる。敵に勝つよりも、味方に手柄を上げさせる方が難しい。
まあネーベイア軍は後方担当でも評価するので、アーリアの匙加減次第ではあるのだが。
現在の戦争は、まだ中世レベルである。
だがアーリアの率いるネーベイア軍は、装備や戦術で言えば、近世に近い。
ならば兵站の重要度は、他の軍隊とは比べ物にならない。
そんな兵站の管理を、キンメル子爵家のブライトとマルシスは、堅実にこなしている。
ガイウスはこれまでの経緯があるので前線に立っているが、一戦ごとに必ず戦果を上げてくるので、味方の中でもその力量が知られてきた。
弟がそんな戦果を上げていれば、普通はあせりそうなものであるが、マルシスは淡々と軍務をこなしている。
一度詳しく見てみようと思い、ひょっこりと顔を覗かせたアーリアは、マルシスが行っている作業は、自分の手を動かさないものだと知った。
能力を見極めて、適切に仕事を割り振る。下手に自分で働くよりも、よほど効率がいい。
正直なところ、ガイウスの軍事的才能より驚いた。
父親もそうだが、兄弟揃って優秀すぎる。
下の子供達はさすがに普通だとは思うが、まだ二十歳にもならない年長のこの二人だけでも、人材面では素晴らしい戦力となった。
より親交を深め、完全にネーベイアに取り込むためにも、手を打つ必要がある。
そしてそういった時に使われるのが、婚姻である。幸い二人ともまだ結婚していない。
戦況は圧倒的にネーベイア軍の優位に進んでいた。
兄たちも敵対貴族や、旗幟を明確にしなかった中立派を、各個撃破して支配権を増やしている。
この戦争はゲルゼルを倒してレックスを次期大公にすることが、名目上の勝利目標となっている。
しかし実際のところはネーベイアがロッシ家の実権を握り、レックスを傀儡となし、東方の覇者となるのが本質的な目的だ。
そのためにはロッシ家の勢力を分割し、新たに戦功を上げたものに配分していく。
その狙いは完全に果たされ、ゲルゼルの勢力はもはや彼の手の届く範囲にしかない。
そんな戦場の日々の中で、アーリアはブライトを副将として扱うようになっていた。
これまでアーリアは、自分の軍の全権を完全に掌握していた。しかし近代化しつつあるネーベイア軍でも、指揮権を時に分割する必要が出てくる。
そしてそれは完全に成功し、ブライトはアーリア傘下の貴族家を上手く扱い、戦果を上げていた。
そして分かれていた軍は再結集し、ついにゲルゼルとの決戦に挑もうとしていた。
アーリア軍二万に対し、ゲルゼル軍もまた、数だけはほぼ同数を揃えてきた。
「篭城はしないのか」
軍議において、アーリアは呟く。
「しないと言うより、出来ないのでしょうな」
ブライトの言葉に、幕僚や指揮官達は頷く。
その中にはキンメル家の二人の息子も入っている。
ゲルゼル軍の内情は、かなりお粗末なものである。
大公家が本来所有する戦力は、辺境伯家に劣るものではない。だがここまでの過程で、その半分以上を損失している。
純粋に軍事的に敗北して損耗したり、あるいは部隊ごと寝返った例もある。
またここに至っても中立を貫いている部隊もあって、それもまた損失分として数えてある。
ゲルゼルの集めたのは派閥の貴族の私兵と、領民から徴収した民兵。そして傭兵だ。
ロッシ家の財産を使って、多くの傭兵を集めることは出来た。また冒険者さえも、金を使って動員している。
訓練も足りていなければ、連携も取れないだろう。しかし篭城するにも、裏切り者が続出するのは目に見えている。
正確には、篭城しても裏切り者が出るという噂を、ブライトの献策でアーリアが流したのだが。
つまり明後日に行われるであろう決戦は、戦う前に既に勝負がついている。
裏切り者の噂は、確かに流したのはアーリアであるが、事実であるところが救えない。
会戦が始まって、ゲルゼルがどう上手く作戦を立てようが、友軍が動かなければそれは机上の空論である。
もちろんゲルゼルが裏切り者を特定し、排除してもそれはそれでいい。
本当の裏切り者であったかどうかは、もうこの段階ではどうでもいいのだ。
味方を信じられない疑心暗鬼の状態で、まともな用兵が出来るはずもない。
ゲルゼルはとうの昔に敗北し、あとはそれを確認するだけの作業なのだ。
だがその作業を、誰にやらせるかが、地味に問題である。
とりあえずこの日は、中央と両翼に陣形を作ることを、基本方針として終了した。
あとは戦後を見据えた話を、ブライトとする。
「戦場もおおよそは決まったし、あとは布陣ですが……」
先刻の軍議で決まったことではあるが、ブライトの困惑も分かる気がする。
中央に両翼という陣形はそれほど珍しいものではないが、アーリアは左翼の指揮官にマルシスを抜擢していた。
これまでに戦功を上げていたガイウスは、その副将として配置されてある。
戦歴を考えると、別におかしくはない。マルシスとガイウスは、同じ戦場で初陣を飾った。
ガイウスはひたすらに動き回り、大きくガラハドの兵を退けた。
それに対してマルシスは、ただ悠々と戦場を一周してきただけだったという。
これだけならば優秀な弟と、戦場には向かない兄という話になるのだが、これには続きがある。
ガラハドとの戦いは結局、深く進攻しすぎたアルトリア軍が、壊滅とも言える打撃を受けた。
ブライトと二人の息子も、当時はキンメル子爵であった兄の下で、ガラハドの猛攻を受けることになった。
潰走するアルトリア軍の中で、マルシスの周りだけは、空気が違った。
子爵の弟の、そのまた息子である。マルシスは父と弟を先に逃し、殿を務めたのだ。
貴族の常識としては、長男の命は次男よりも優先される。そもそもブライトさえ、武人としてはともかく貴族としての力量は、マルシスの方が優れていると思っていたのだ。
だがマルシスは自分の方が向いている、としてわずか30人ばかりの兵を連れて、ガラハドの追撃に対したのである。
そして彼は生き残った。
部下の全員が負傷したが、一人の脱落もなく、ネーベイアの守る国境まで無事に帰ってきたのだ。
この事実をアーリアは知っていた。だからブライトから接触があった時、その息子目当てに厚遇を約束したのである。
ガイウスまでもが一流の武人であったのは、嬉しい誤算であった。
潰走する軍の殿を務め、それを全うできるような人間が、軍人として無能であるわけはない。
ただ少数の集団をまとめるのが上手いからといって、大軍を率いる能力も優れるのかと言われれば、それも違う。
だから補佐としてガイウスを付けたのだ。左翼5000が、兄弟の指揮する戦力となる。
右翼にもこの内乱で力量を見せ付けてきた貴族を配置している。アーリアは当然ながら中央にあるが、実際の指揮はブライトに任せてみるつもりだ。
なんでもかんでも、アーリア一人がしなければいけないというのは健全でない。知識が元になるものはどうしようもないが、政務や軍務といったことは、教えれば出来るのだ。この世界の人間の知性が、劣っているなどということはない。
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