第87話 ガラハドの逆襲 1

 東方の戦闘を終わらせたウェルズは、軍の移動よりも一足先に、王都へと移動していた。

 誰も文句を言えない武勲を挙げているウェルズだが、実は参謀としての働きであって、指揮官としては全軍を動かしたことはない。

 ガラハドの軍制はアルトリアとかなり似ていて、5000の兵で一軍となり、これを率いるのが将軍と呼ばれる。

 ウェルズはアルトリア王国からの撤退時におよそ一個軍団の指揮を取り、壊滅した友軍の中で唯一、組織的な撤退に成功していた。

 もし彼が動かなければ、アーリアは国境の砦を落としていた可能性すらある。

 もっともその場合、砦はネーベイアにとってのお荷物となっただろうが。


 北と東では、作戦立案、陣の配置まで全てを完成させた。そして結果として、およそ100倍の損失を敵に生じさせ、その目的を挫いている。

 これでまだ26歳なのであるから、年齢以外に彼を評価しない理由としては、貴族ではないということぐらいになる。

 しかしそれもまた、叙勲すればいいだけの話である。戦時叙勲は既に果たしているウェルズであるが、この度正式に将軍位と共に方面軍司令官に任命され、名誉伯爵となった。

 平民出身の一般仕官としては、史上最速の昇進であった。


 もっとも本人はそれほど喜んでもいない。

 それはこれから出向く戦場が、圧倒的な敵と対するものであるとか、多数の兵士の命が己の肩にかかるとか、そういった殊勝な理由ではない。

 彼はとにかく、貴族という存在からは距離を置きたかったのだ。


 全ての貴族が鼻持ちならないというわけではないが、一般における平民よりはやはり、貴族というのは腐った筋が多いのだ。

 それは貴族という存在そのものが、現世の汚濁を一身に受けているからだと、彼は解している。

 商人として生きるのだと自然と思っていた自分が、毛嫌いしていた貴族になる。

 この世界の皮肉に苦笑しつつも、儀式は終わった。

「ウェルズ・ヤース、卿の奮闘に期待する」

 国王からの言葉を受けて、ただウェルズは頭を下げた。


 名誉貴族は職を辞しても、生涯の年金が出る。

 これまでに二度、北と東で劣勢の味方に策を授け、圧倒的に勝利した。

 これでアルトリア軍まで撃退すれば、もう普通の軍人が果たすべき職責は、充分に果たしたと言えるのではないであろうか。

「俺、この戦いが終わったら退役するんだ……」

 西へと向かう馬の背で、ウェルズはそんな戯言を呟いた。




 一方のアルトリア軍は、アーリアの予想通りに動いていた。

 つまり、自軍を分けていたのである。

 領地だけは手に入れても、食料をはじめとした物資がない。

 そして何より領民がいない。これでは何も手に入れていないのと同じである。


 ロッシ家の率いる軍は、盟主こそロッシ家だと認めているが、完全な全面的命令権を与えているわけではない。

 あくまでも彼らは、貴族家の連合軍なのだ。お互いの利益が明らかに反する命令は受けられない。

 これがネーベイア軍だと、諸侯に対する絶対的な命令権をネーベイア家が持っている。

 それは辺境伯であるネーベイア家が動員権を持っているということもあるが、実戦で戦ってきた国境の領主貴族は、指揮系統が一本化していないと、戦争に勝てないと分かっているからだ。


 そんな、まだ目には見えていないがはっきりとした危機において、アーリアはまだ情報を収集していた。

 そしてようやく、その名前にたどり着いた。

「ウェルズ・ヤース? 26歳? 平民出身?」

 それはこの世界の軍隊脳に頭を切り替えたアーリアにとって、少し信じられないものであった。


 アーリアはガラハド王国の情報を熱心に集めている。その中には能力のある敵将についてももちろんある。

 だがこのウェルズ・ヤースという人間については見たことがない。

 経歴を調べてみて、なるほどとも思った。ずっと補給部隊の指揮官であったからだ。

 親は商人であり、その経歴もあって、補給部隊を任されていたのだ。数字に強いのは、その出自からも分かるが、それがどうして戦争にも強いのか。

 調査資料を調べていくうちに、アーリアは確信した。

 単にウェルズが、戦争の天才だということに。




 アーリアは戦争の天才と、何度も戦場で戦ったことがある。

 様々な文明の、様々な状況において。

 そして理解したのは、戦術レベルにおいて天才と戦うのは難しいということだ。


 戦闘に勝てるかどうかというのは、結局のところ感覚的なものだ。

 経験を積めばある程度は分かるし、戦場の霧が少なければ、かなり正確にその決着は予測出来る。

 だがそれでも、戦闘というのは賭博的要素が多いのだ。

 この男の意図したであろう戦い方は、戦術の原則に沿って動いている。

 例えば北の戦闘においては、機動力と射程において有利な蛮族を、陣地構築の有利と接近戦の有利で潰している。

 東方においては本質的に士気の低い敵軍を、力攻めの中央突破から反転攻撃を行い、見事に成功させている。

 前者は堅実であり、後者は果敢だ。しかしどちらも、状況に応じた戦術を駆使しているというところが凡人にはない部分だ。


 おおよそ軍人という者は、成功した戦術に固執するし、兵科の運用に得手不得手がある。

 経験でそれを学んだ者ほど、その傾向は強いと思われる。

 だがウェルズにはその偏りが見られない。アーリアが最も彼と近くにあった戦いは、ゴルゴーンの戦いの追撃戦である。あれでネーベイア軍は、一つの進路で足を止められた。

 アーリアは固執せずに撤退したが、下手をすれば別働隊で、大きな被害が出るところだった。

 その後のいざこざであの戦闘の詳細は検討されていなかったが、確かに目のある指揮官がいなければ、ガラハドの損害はもっと大きなものとなっていただろう。


 そんなアーリアであるから、敵将の力量が低いと希望的観測をすることはない。

 おそらくウェルズは、アーリアと同じ戦術を用いてくる。

 それは戦線の拡大により、兵力を集中できなくなってきたアルトリア軍を、各個撃破するというものだ。

 全戦力ではアルトリアの侵攻軍の方が多いが、戦場を限定すれば、ガラハド軍が数の優位を作れる。

 そして作戦においては、おそらくガラハドの――ウェルズの圧勝であろう。


 ガラハドはここまで、砦こそ失陥したものの、戦力の消耗を避けてきた。

 対してロッシ軍は、占領して本当の旨みを得るために、軍をどんどんと分割して、戦力を落としていっている。

 完全に敗北の状況が、ロッシ軍に備わっている。

 数的優位、地理的優位を持ったガラハド軍に、ロッシ軍が勝てる道理がない。

 せめてどこかの戦場で足止めをして、分散していた戦力を集める時間的余裕があればいいのだろうが、それは無理だと分かっている。


 たとえここでアーリアだけでなくゼントールが情報を提供したとして、ゲルゼルが正しい判断を下せるかどうか。

 それより問題なのは、ゲルゼルが正しい命令を発しても、貴族諸侯がそれに従うか。

 従うとしても、それにどれぐらいの時間がかかるか。


 諸侯の軍は斥候に熟練した者を持っていない。

 もちろん騎馬で偵察程度はしているが、ガラハドの陣容は今のところ、危険な領域にまでは達していない。

 ただそれは、時期を待っているだけだ。ガラハドの軍の動きは、驚くほどに連携がなっている。

 いつの間にここまで強くなったのか。それを考えると、指揮官の凄さが分かる。


 ガラハド軍は兵そのものの質が上がったわけではない。

 一貫した意思の元に統率されたため、その戦闘力が上がっているのだ。

「こりゃ負けるわ」

 アーリアは見切りをつけた。

 負けると分かった以上は、理想的に負けさせるべきである。

 自派閥の勢力拡張を目的とし、アーリアはその準備に入った。

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